サッカーW杯北中米大会で日本代表観戦記「万オブ・ザ・マッチ」を連載してきた直木賞作家・万城目学氏(50)が、同コラムの番外編として20日に終了したW杯を総括した。スペインの優勝で幕を閉じ、さまざまな世界の潮流も見えた今大会。

「世界的祝祭の夢の跡」と「日本代表の現在と未来」を、Jリーグ創設期から見続けているサッカーフリーク、そして変幻自在のファンタジスタ作家ならではの視点で描いた。

 〈1〉 過去最多48チームが参加した今大会における、数えて104試合目だったという決勝戦。

 スコアレスのまま延長戦に突入したとき、不意に蘇ったのは、生まれてはじめてテレビで観たワールドカップ決勝戦の記憶―、すなわち1994年、場所は同じくアメリカで対戦カードはブラジル対イタリア。あのときもスコアレスのまま試合は延長戦に突入し、当時予備校生だった私はせっかく早起きしたのに、しょっぱい試合だなあ、と眠気をこらえながら観戦を続け、最後に迎えたのはロベルト・バッジョのPK失敗とNHK山本浩アナの「外したー」のラストコールだった―、なんて思い出であり、この試合もこのままPK戦に突入し、最後にメッシがPKを外す劇的な終わり方が待っているのかも、とぼんやりと予想していたら、延長後半にスペインがついにゴールマウスをこじ開け、そのままワールドカップを掲げるに至った。

 ついに敗れたアルゼンチン。間違いなく、今大会でもっともインパクトを残したチームである。もしも、往年の「珍プレー好プレー」的な編集で今大会を振り返ることができたならば、小競り合いが発生するたびに『仁義なき戦い』のフレーズが流れ、

「何じゃい、何じゃい!」

「われィ、ウチの親分を何後ろから削ってくれとんじゃい!」

 親分メッシのまわりにわらわらと集まってくる若い子分衆というシーンを、山ほど演出できただろう。

 決勝に残るチームとは思えぬ失点の多さながら、どんな相手であれ最後は泥臭い殴り合いに持ちこみ、驚異的な終盤の追いこみで勝ちをもぎ取ってきたアルゼンチン。準決勝でイングランド相手に85分に追いつき、92分に突き放して試合を決めた不屈の闘志は圧巻だった。どれほどダーティーで暴力的なプレースタイルであっても、これも「絶対に負けたくない」という勝利のメンタリティのかたちなのだと教えてくれた。

 それにしても、子分衆がかなり無理筋のいざこざを起こしても、それを止めるでもなく、どちらかと言うとけしかける方向で自ら次のファウルを受けにいくメッシという選手は、改めて不思議な個性の持ち主である。どれほど場が荒れようと、彼がフェアな振る舞いを率先して見せることはない。

それどころか、親分なのに、子分が喧嘩している間、空を眺めているときさえある。一方で彼には、アルゼンチン国民の期待を一身に背負うレジェンドとしての悲壮感が常にまとわりついている。道徳的スポーツマンシップが希薄な割に、強固で勤勉な彼なりの正義感が同居している。その複雑な人間性。現役引退したら、自伝本を読んでパーソナリティに触れてみたい選手、ぶっちぎりのナンバー1だ。

 〈2〉 言うまでもなく、アルゼンチンとスペインは根っこが同じである。五百年前に南米大陸に足を踏み入れたスペイン人征服者の末裔が築いたのがアルゼンチンという国だ。ならば互いに、どこか親類と対戦するような気分なのだろうか? それとも、もはや赤の他人に等しいのか? われわれには感知できぬ微妙な機微が介在するか、しないのか。言語が同じという共通点は間違いないところだが、少なくともファイティングスタイルは対極的な二チームの対戦だった。常に相手との距離を取って、フットワーク軽くパンチを繰り出すタイプのボクサーに似たスペインと、クリンチしたついでに頭突きをお見舞いし、隙あらば接近戦の殴り合いに持ちこもうとするアルゼンチン。結果はスペインの技術至上主義が攻守においてアルゼンチンを上回り続け、90分間被シュート数ゼロという鉄壁の守りまで見せつけた。

 私はサッカーにおいて「スペインが強い」という事実が好きだ。

なぜなら、その事実は日本をよりよい方向に導いてくれるからだ。スペインのサッカーの育成方法はおそろしいほどの現実主義一択で、そこに根性論は存在しないし、体罰なんてものはハナから発想すらない。今ではさすがに少なくなったが、ほんの数年前まで、指導者が選手に体罰や強い叱責ができなくなったことで指導の質が下がった、といったスポーツ教育論をたまに見かけることがあった。その都度、思い出したのがスペインの強さである。圧迫的な指導などせずとも、世界一のチームを作れる。「コンプラ的にできなくなった」指導の効果などすべてまやかしであり、問題は選手の側にあるのではなく、指導者の質にあると教えてくれるのが、私にとってのスペインの強さだ。

 おもしろいのが、今大会8戦無敗という圧倒的な強さで優勝したスペインに、ワールドカップで最後に90分で打ち勝ったチームが実は日本代表だという事実だ(前回カタール大会で、スペインは日本代表に1―2で敗れたのち、ベスト16でモロッコにスコアレスドロー、PK戦ののち敗退)。

 四年前、日本代表を率いていたのは言うまでもなく森保監督である。今大会、さらなる積み重ねを引っ提げ挑んだわけだが、どうだろう? 私は率直に言って、前回カタール大会の日本代表のほうが強かったように感じる。

 スペインに逆転勝ちしたという四年前の偉業については、「前大会はククレジャがいなかったから」という巨大なアドバンテージのおかげだった気もしなくもないが(それだけに三笘がいなかったことが、日本にとってどれだけのダメージだったか!)、四年前のほうが優れていたと思う理由は、ドイツ戦、スペイン戦の後半の逆転劇で見せた戦う姿勢にある。相手を怖れず立ち向かう勇気。そのスイッチを巧みに入れる魔法を持っていたことが、人々が森保監督を名将と認めるようになったきっかけだったと記憶するが、今大会、森保監督は魔法のあやつり方を忘れてしまった。

 〈3〉 俺が俺がの強烈なエゴイスト集団である代表選手たちをまとめあげ、彼らの角を矯め、八年かけて確かな一体感を持つチームを作り上げたことに関する、森保監督の手腕は見事のひと言である。だが、その代わりに森保ジャパンが少しずつ失っていったのが「狂」の気配だったように思う。

 ベスト8、ベスト4の試合を見ながら、このどこかに日本代表が組みこまれた、もうひとつの未来を想像するも、イマイチしっくりこなかったのは、あまりに日本代表のイメージがクリーンなままだったからだ。

 今大会、決勝トーナメントを勝ち進むチームには、いずれもそのチームごと何かしら「狂」の気配が見受けられた。前大会の日本代表には、間違いなくそれがあった。バランスを崩してでも攻撃的選手を前線に並べ、相手のペースを乱して殴り合いに持ちこみ、何だかんだのうちに追いつき、逆転してしまう、という今大会のアルゼンチン的な「狂」の要素を持ち合わせていた。

 されど、今大会の日本代表はその「狂」を発現する前に敗退した。返す返すも悔やまれるのはブラジル戦の後半、守りに入ったきり、ひたすらボッコボコにされた無残な姿が、最後の日本代表の記憶になってしまったことだ。イングランドですら、1点を守り切ることができず、日本代表とまったく同じ過ちを繰り返すかたちでアルゼンチンに逆転されてしまった。自陣に押しこめられ、クロスをひたすら放りこまれる展開になったとき、連動性も一体感も出番を失い、チームの利点は完全に殺される。あのとき森保監督はリーグ戦の戦い方をしてしまった。何十試合とあるリーグ戦ならば、耐えきれる場合もあっただろう。

だが、ワールドカップでは無理だ。格下が守りに入り、攻める勇気を失ったとき、そのまま無傷で済む幸運は決して訪れない。

 これからの日本の四年間は、ボッコボコにされたブラジル戦の後半のイメージを常に背負いながらの少し暗めの旅になる。

 それでも、日本代表が今大会を経て得たものは大きい。最大の学習は、グループリーグを突破するために必要な戦力、戦い方を完全に把握したことではないか。

 ならば、次に獲得するべきは決勝トーナメントの戦い方である。どれだけ疲れていても終盤、サイドのカットインからいちばん遠いゴール地点、すなわちゴールポストのファーの角ギリギリを狙って、キーパーも触れられぬ膨らみあるカーブを描いて、巻きこむようなミドルを叩きこむ。これができる選手がいるかいないかで、日本のような中堅国が強豪を粉砕するチャンスは大きく変動する。たとえば「狂」の気配を濃厚に持つ、塩貝あたりが四年後にこのシュートを決勝トーナメントでぶちこんでくれたら、今度こそ日本はベスト16、ベスト8への道を切り開くのではないか。

 そう、目標は謙虚に。まずは決勝トーナメント1勝を目指し、また一歩目から始めようじゃないか。

 ◆万城目 学(まきめ・まなぶ)1976年2月27日、大阪市生まれ。

50歳。京大法学部卒。2年間の化学繊維会社勤務を経て、2006年「鴨川ホルモー」でボイルドエッグズ新人賞を受賞し、デビュー。07年「鹿男あをによし」、09年「プリンセス・トヨトミ」など、ドラマ・映画化された小説多数。23年、「八月の御所グラウンド」で直木賞受賞。新刊「ホルモー燦燦」が絶賛発売中。

編集部おすすめ