◆新日本プロレス「G1 CLIMAX 36~天山 引退~」(15日、両国国技館)観衆7777(超満員札止め)

 “猛牛”天山広吉が15日、両国国技館での新日本プロレス「G1 CLIMAX 36」で引退した。

 1991年1月11日のデビューから35年あまり、平成のマット界で最前線を突っ走り、時代が令和となってからも新日本プロレス一筋にリングを支えてきた猛牛。

2003年、04年の「G1」連覇など幾多の名勝負と05年には四冠統一戦で脱水症状でKO負けするなど栄光と挫折を刻んだ両国のリング。メインイベントで天山は「テンコジ」タッグで盟友の小島聡と「引退試合」を行った。

 当初は5分1本勝負も天山が「無制限1本勝負」を小島に呼び掛け、リング下の棚橋弘至社長が受諾し「時間無制限1本勝負」で対決。最後は9分22秒、ラリアットで敗れた。

 試合後に08年4月に歴史的な裏切りを受けた飯塚高史が乱入。襲撃を受けたが天山は、和解を要求。握手を求めると飯塚は、苦悶しながらも握手に応じ右手をあげ35年のプロレス人生をたたえた。

 試合後の引退セレモニーには、新日本プロレスを代表し永田裕志、棚橋弘至社長から花束を贈呈。館内のスクリーンで金本浩二がメッセージを送った。

 続いてプロ野球・横浜DeNA前監督の三浦大輔氏、デビュー前のプロレス学校で同期だった元UWFインターナショナルの金原弘光氏、ケンドー・カシン、DDTの秋山準、前石川県知事の馳浩氏、武藤敬司、長州力、藤波辰爾、最後に「狼群団」「「nWoジャパン」「T2000」で共闘し放送席で引退試合のゲスト解説を務めた蝶野正洋がリングインし花束を贈った。

 引退の10カウントゴングを鳴らし、新日本の選手に胴上げされリング上で記念撮影。肉声でファンへ「ありがとうございました」と感謝をささげ35年あまり戦い抜いたリングを去った。

 今後は、新日本プロレスに在籍したまま芸能活動を行う。第二の人生でもプロレスのさらなる普及に努めていく。

 引退試合、セレモニーを終えバックステージで天山は報道陣のインタビューに応じた。以下は質疑応答の全文。

 バックステージには小島と永田裕志が付き添い、質問を受ける前に天山が報道陣へ口を開いた。

 「ありがとうございました。本当、自分にとって仲間でもあるライバルでもある盟友でもあるコジと試合ができて、本当に最後首が折れるかと思いましたけど、本当にスッキリこれで何も悔いはなく次のステップにスタートに立てるかなと思いますね。コジ、ありがとう」

 小島と握手。

 「なんかあんなに食らったの、なかなかないんやけど、もう本当に昇天しましたんでありがとうございます、今まで。テンコジとしてもね、ちょっとやりたかったけど、本当にね、またどっかでね。ありがとうございましたコジ」

 

 続けて永田に声をかける。

 「永田もありがとう。

いやいやもっとね、試合が成り立てば良かったんですけど…もうコジが手加減してくれへんからさぁ。頼むわ~もう…本当にまともにガンガン来てもらって、戦って最後に終えることができて、永田も凄い応援してくれてありがとうございました、本当。ありがとうございます。ちょっと先に引退させてもらうけど、永田はまだまだ10年、20年……やってください。陰ながら応援します」

 ―どんな気持ちで引退試合を戦い抜きましたか?

 「そうですね。今もう自分が持てる本当に出し切ったっていうか、とにかく受けもそうですけど攻めもなかなかちょっと思うようにいかなかったんですけど。でも、やっぱりお客さんの本当に応援があって、本当に応援のおかげでここまでできることができたって感じで本当に感謝してます。ここの両国国技館という会場も本当自分にとってはやっぱり思い出がある会場でもあるんで、この会場で最後の試合を迎えて…コジとテンコジ対決でしたけども、本当に身も心もスッキリなったっていう感じで。なんかもう泣いちゃうかなと思ったんですけど、なんかボロボロ泣いて喋れないかなと思ったんですけど、意外となんか。本番前のリハーサルっていうか、自分で喋った時はめちゃくちゃ泣いちゃって。本番では全くなんかちゃんとと喋んなきゃ、ちゃんと立たなきゃみたいな感じで…フラフラしちゃってあれなんですけども、体の方もやっぱりこんななのを見て皆さん分かると思うんですけど、やっぱり体をしっかり治して、まあリングに立つことはないと思うんで、あとは皆さんの新日本プロレスの若い世代の人たち、本当に陰ながら応援していきたいなと思います。皆さんにも支えられてね、ここまでやってこれて本当に感謝してますんで、これからの新日本プロレスをもっともっと盛り上げて応援したいと思っていますんで、よろしくお願いします」

 ―やり切れましたか?

 「自分の持てる技っていうのは全部が全部ちょっとコジには通用しなかったというのもありましたけど、でも、やっぱり、それを…技うんぬんというよりも向かっていく気持ち?やっぱりそういうこう『何、この野郎!』っていうね、本当に若い頃に馳さんとか長州さんとか、そういう教育されて育った世代なんですけども、やっぱり『何コラ!』っていう気持ちを持ってね、戦って戦ってきましたんで、とにかく今の世代も、まあ根性論を押し付けるわけじゃないけども、歯を食いしばって『この野郎!』って感じでね、これからの試合も皆さん、お客さんに見せた方がいいんじゃないかなと思います。

なんの話でしたっけ?」

 ―大天山コールを最後に聞いた時の気持ちはいかがでしたか?

 「もう本当にここまでやってきていろんなことがありましたし、いいことも悪いことも含めて、でもやっぱり最後の最後ににね、皆さんに天山コールで応援していただいて、本当にその皆さんの応援が何より自分が元気をもらいました。もう本当に長い間お世話になりました。ありがとうございました」

 ―ファンの皆さんに一言いただけますか?

 「本当はね、ウチの家族、家内とか子供とかのおかげでって言いたいところなんですけど、絶対家族はNGだから言うなよって言われてたんですけど、やっぱり支えてくれたっていうのはありますし。でも、やっぱり一番はファンの皆さんが自分のことを応援してもらって、応援してもらったのでここまで来ることができたっていう。本当にファンの人に感謝しきれないぐらい本当に言いたいと思います。本当に今まで35年間、ありがとうございました」

 ペットボトルの水を飲む。

 「号泣しちゃうかなと思ったけど、涙が出てこなかったから。家帰って泣きます。皆さんにホント支えられて、そのおかげでここまで。ありがとうございました」

 ―試合前に、5分1本勝負から時間無制限に変更しろと言ったのは、最初から決めていた?

 「そうですね、はい。最初、会社の側が5分1本勝負っていう風に発表されたんで。5分ではねえ、お客さんも納得しないだろうじゃないですけど、自分的には、コジとね、トコトンやり切りたいっていう、そういう気持ちだったんで。

もう勝っても負けても、とにかくぶつかって、コジと戦たかったっていう。5分なんて気にしない、ホントに無制限っていう気持ちでいました」

 ―引き分けで引退では気が済まなかった?

 「そんな最後は後味悪いから、とにかく、コジのラリアット痛かったわぁ~、もう、ホンマ!ホントにありがとうございました、コジ。ありがとうございました」

 ―試合が終わった時に思ったことは?

 「両国国技館の天井を見て、『ああもう、これで選手としてはもう終わりなんだな』って。やっぱり、感慨深いものがありましたけど、何か、涙が出てこなかったよねえ。かれちゃったかもしれない、それこそ。そういうのも全部抜けちゃった感じで。ホントに皆さん、ありがとうございました、ここまで」

 ―飯塚選手と和解を求めたのは、やり残した思いがあった?

 「自分のためにね、ギリギリこんな最後になって姿を現してくれて、ホントに『何しに来たんだ、この野郎!』って感じですけども、やっぱり来てくれただけで本当に感謝しますし、その気持ちを、昔の友情タッグ組んでたことを思い出してほしかったし。やっぱり最後の最後はね、自分も今日が最後なんで、彼もやっぱりもう引退して、これから先、何かそういうストーリーがあるわけでもないし、『もうこれで最後でしょう?』みたいな、自分的には、『飯塚さん、もうヒゲ剃ってまともにやってください』って、そんな感じでした」

 ―家を出てくる時には、ご家族からねぎらいの言葉などは?

 「珍しくね、朝11時ぐらいに出たんですけど、お盆休みで息子も嫁もね、普通だったら『行ってきます』って言ったら『はい、はい』みたいな感じですけど、2人ともちゃんと立って、『パパ頑張って!』『お父さん、頑張れよ!』みたいな。すごく『お、何かすごいな』と思って、感動しまして。『頑張ってくるから』って」

 ―今日は会場には来られてたんですか?

 「そうですね。『前の方でちょっとリングに上がってくれ』って言ったんですけど、そしたら『いやもう、ボックス席の一番後ろで見てるから』って言って。『あなたが主役なんだから』みたいな感じでしたけど、支えられたっていうのは、ホントに家族の力もありました。

あんまこれ以上言ったら、また……」

 ―帰宅されたらご家族にも『終わったよ』というのを……。

 「ちょっとね、最近、風呂が汚くなってるんで、風呂掃除しなきゃいけないなと。またこれから、選手としてはもう終わっちゃいましたけれども、家の中ではちょっと厳しい生活になるかもしれませんが。ちょっとそれ考えると、憂鬱な感じですけれども。まさにツームストーン」

 報道陣が大爆笑。

 「本当に皆さん、35年間、長い間。皆さんのおかげで支えてこられて、ここまでやることができました。本当にありがとうございました。何かまた?…大丈夫ですか?ありがとうございました」

 報道陣から大きな拍手がわき起こり記者会見は終わった。

 ◆天山 広吉(てんざん・ひろよし)本名・山本広吉。1971年3月23日、京都市で生まれ。55歳。

新日本プロレスが立ち上げた「新日本プロレス学校」に入門。91年1月11日、今冶市公会堂での松田納戦でデビュー。93年の第4回「ヤングライオン杯」で優勝し欧州へ武者修業。95年1月に凱旋帰国し、蝶野正洋、ヒロ斎藤と狼群団を結成した。97年にはnWoジャパン入りし99年1月4日、小島聡とのテンコジタッグでIWGPタッグ王座を奪取した。00年には、蝶野率いるT2000の一員となりトップとして活躍した。03年8月の「G1 CLIMAX」で初優勝。同年11月には、高山善廣を破りIWGPヘビー級王座を初奪取した。04年の「G1」も優勝し連覇を達成。06年には全日本プロレスの「世界最強タッグ」に小島聡のタッグで出場し初優勝するなど、常に第一線で新日本マットを支え続けた。身長183センチ、体重115キロ。得意技は、アナコンダバイス、モンゴリアンチョップ、アナコンダマックス、TTD、ダイビングヘッドバット。

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