スペインの銀行、ウォートンMBA、ウォール街の投資銀行、ヘッジファンド、そして公立高校の数学教師――。米国株投資家・まりーさんの経歴は波瀾(はらん)万丈。

海外志向の原点から米国金融の最前線、そして投資を教える発信者になるまでの歩みを伺います。


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スペインの銀行からウォール街へ。異色のキャリアでつかんだ「負けない投資」の原点:米国株アナリスト・まりーさんインタビュー前編
まりーさんってこんな人!プロフィール

まりーさんプロフィール

スペインの銀行からウォール街へ。異色のキャリアでつかんだ「負けない投資」の原点:米国株アナリスト・まりーさんインタビュー前編
米国在住の米国株アナリスト。日本の私立大学経済学部を卒業後、スペインの銀行に就職。ウォートンMBAを経て、ニューヨークの大手証券会社で米国金融株のエクイティリサーチに従事する。その後、ヘッジファンドのアナリスト、ポートフォリオマネージャーを経験。リーマンショック後は米国の公立高校で数学教師として勤務し、2018年に金融業界へ復帰。現在はヘッジファンド勤務のかたわら、米国株投資や金融リテラシーに関する発信を行う。週2回の米株ファンダメンタル分析勉強会「まりーさんの負けない勉強会」を主宰。 ウェブサイト X: まりーさん@ USA YOLO!(You Only Live Once) YouTube: まりーさんのYOLO@USA!

スペインの銀行からウォール街へ。異色のキャリアでつかんだ「負けない投資」の原点:米国株アナリスト・まりーさんインタビュー前編
著書:『 負けない米国株投資術 米ヘッジファンドの勝ち方で資産を増やす! 』/2024年3月1日発売/まりーさん(著)/KADOKAWA/1,980円(税込)

英語は得意ではなかった。それでも世界で働きたいと思った理由

トウシル:まりーさんの経歴を拝見すると、スペインの銀行、ウォール街の投資銀行、ヘッジファンド、さらに米国の公立高校の数学教師と、かなり異色で驚きました。そもそも海外で働きたいという思いは、いつ頃からあったのですか。


まりーさん:小中学校時代に通っていた東京学芸大学附属大泉では、海外へ留学する友達や帰国子女の友人が周囲に何人もいました。そのため、子どもの頃から自然と「将来的には海外に行きたいな」という思いが芽生えていました。私立大学の経済学部に進学したのも、世界を舞台にして働くための知識を身につけたいと思ったからです。


トウシル:学生時代から英語は得意だったのですか?


まりーさん:いや、それが全然(笑)。大学1年生の夏休みにホームステイした当時は、英会話教室で下から2番目の初級クラスだったんですよ。ただ、物おじしない性格だったのでいろんな人とポジティブにしゃべり続けていたら、いつの間にか「まりーは英語が話せる」という風評が(笑)。


 たった1カ月の米国滞在でしたが、帰国後に受けたテストでは、英会話クラスが一気に上から2番目のクラスまで跳ね上がりました。このときに「英語ってブロークンでも通じるんだ」と大きな自信がつきました。


スペイン語が話せないままスペイン銀行へ。
偶然のチャンスをつかんだ就職

トウシル:大学卒業後はスペインの銀行へ就職されていますよね。米国では英語で勉強してきたのに、なぜスペインを選んだのですか?


まりーさん:大学3年の1月から4年の12月まで米国の大学に留学していたので、帰国した時点ですでに日本の一般的な就職活動は完全に終わっていました。1年留年して就活をし直そうかと考えていたのですが、帰国した翌日に大学へ復学手続きをしに行ったときに、経済学部の研究室の掲示板にスペインの銀行の求人が載っていたんです。


 留学中に南米の友だちができたこともあり、「いつかスペイン語も学びたいな」とぼんやり思っていましたので「お給料をもらいながらスペインに住めてスペイン語も勉強できる!」とこれまたポジティブに考え、すぐに応募しました。もちろん、スペイン語はその時点では一切話せませんでした。


トウシル:スペイン語が話せないのにスペインの銀行に応募するというのは、かなりの強心臓ですね!


まりーさん:銀行側に「英語が話せて経済学の知識がある経済学部の学生が欲しい」という事情もあったようです。しかし、経済学部で英語がバリバリ話せるような層は、大手商社などに就職を決める人が多いので、よく分からないスペインの銀行の、しかも1年間だけのプログラムには優秀な応募者がなかなか集まらなかったようです。


 面接では「あなたは今までどこに隠れていたのですか!」と面接官に驚かれたくらいです。そのままスムーズに採用が決まり、大学を卒業した翌月の4月にはもうスペインへ飛んでいました。


トウシル:まさにチャンスを逃さずにつかみ取ったわけですね。現地での仕事はいかがでしたか。


まりーさん:最初の4カ月は午前中はスペイン語の授業。

午後は銀行で業務見習いでした。英語が話せる上で習うスペイン語はまるで方言を習っているようで、しかも現地で毎日使って練習できるので、割と簡単に習得できました。残りの8カ月は終日インターンシップで、一種の長い採用面接のようなものです。


 自分からいろいろな部署へ行き「何かやることはありませんか?」「これはどうやるのですか?」と質問しに行って仕事をもらいつつ、合間には、財務状況がいい銀行のデータと審査しなければいけない銀行のデータを比べて、表にしてレポートにしていました。そうした姿勢と仕事内容が評価され、国際部門の審査部に無事採用されました。


トウシル:順風満帆なキャリアの滑り出しに見えますが、そこからなぜ米国のMBA(経営大学院)へ向かうことになったのですか。


まりーさん:スペインでの生活は本当に楽しいものでしたが、毎日仕事の後に飲みに行き、お昼休みも3時間近くあるような、アップワードモビリティ(よりハイレベルなキャリアを手に入れようとする上昇志向)が少ない環境に「このままでいいのかな…」と危機感を覚え始めたんです。


 そんな時に、日本からハーバード・ビジネス・スクールへ留学した方の本を読み「米国にMBAを取りに行こう!」と決意しました。そこからは独学で猛烈にテスト勉強をし、ペンシルベニア大学のウォートン・スクールという名門ビジネススクールに進学することができました。


トウシル:米国での生活はいかがでしたか?


まりーさん:1年生と2年生の間の夏休みに、インターンシップでニューヨークのウォール街にある投資銀行での勤務経験をしたとき、米国金融の世界にすっかり魅了されてしまいました。


 私がいたスペインの銀行は、スペインの国内では最もキャリア意識が高い人たちが集まるトップ企業だったと思います。それでも、ニューヨークの投資銀行で働く人たちの意識の高さや上昇志向の強さは、世界がまったく違いました。


「絶対にこっちの方が面白い! ここで働きたい!」という目標ができたので、スペインの銀行の時と同じようにインターン中も必死に立ち回り、無事にニューヨークの大手証券会社に入社し「エクイティリサーチ」という部署でアナリストとして働くことになりました。


スペインの銀行からウォール街へ。異色のキャリアでつかんだ「負けない投資」の原点:米国株アナリスト・まりーさんインタビュー前編
スペインの勤務先から社内留学でウォートン・スクールへ。MBAを取得したらスペイン銀行に帰国するという条件だったが、偶然にも不況でレイオフが続いていて「戻ってもポジションがない」という状況。そのまま米国への転職が認められた。まりーさんの、運やラッキーを呼び寄せる力が底知れない…

ウォール街で見た上昇志向とリードアナリストの壁

トウシル:ついに金融の最前線であるウォール街に立ったわけですね!


まりーさん:でも、入ってからが大変でした。入社後も、希望する株式(エクイティ)リサーチ部門でポジションを得るには、自分から仕事を取りに行くガッツが必要です。


 また、レポートの責任者として名前が載り、顧客対応も担う「リードアナリスト」にならない限り、どれだけ優秀でもアシスタントであるジュニアアナリストのままです。私は3年ほど必死に働き、ジュニアとしては社内で最高ランクの評価をもらえたのですが、やはり言葉の壁が立ちはだかりました。


トウシル:国際舞台で活躍されていても、やはりネイティブの壁は厚いのですか。


まりーさん:リードアナリストは、裏方で数字を分析するだけではなく、テレビのニュース番組に呼ばれて解説したり、巨大なヘッジファンドや年金基金、保険会社などの大口顧客に自社から株を買ってもらうように売り込む、いわば高度な営業職の側面が非常に強いのです。


 そうした背景から「まりーは言語の壁があるから米国の機関投資家に株を売る営業は難しいだろう」と判断されていたのではないかと思います。リードのポジションが空くたびに、ジュニア同士の争奪戦に名乗りを上げたのですが、何度挑戦してもその席をもらうことはできませんでした。


トウシル:それは非常に悔しい経験ですね…。その壁をどうやって乗り越えたのですか。


まりーさん:「これ以上ここで頑張っても上にはいけない」と早めに見切りをつけ、より投資判断や運用成果に近い立場で勝負できるヘッジファンドのアナリストへと転職することにしました。


出産、レイオフ…まさかの失業で公立高校の数学教師へ転身

トウシル:努力の方向性を変えて損切りしたわけですね! ヘッジファンドへ移られてからは、生活は変わりましたか?


まりーさん:ヘッジファンドへ移った後も、一般のアナリストよりも大きな収入を得られる「ポートフォリオマネージャー」になるために、別のファンドへ転職しました。


 この頃に長女を出産しましたが、すぐにフルタイムで復帰してポートフォリオマネージャーとして2年間必死に働きました。

ただ、ある時、ナニー(乳母)さんの方が私よりも長い時間子どもと一緒に過ごしているんだな…という事実に気づいてしまいました。


 ヘッジファンドの運用というのは、24時間100%コミットして結果を出さなければならない過酷な世界です。しかし、子どもとの時間を過ごしたい気持ちが強くなってしまった私は気持ちが分散してしまい、思うようなリターンを出せなくなってしまったんです。


 そこで再び「子どもとの時間を最優先しよう」と損切りをして、古巣のヘッジファンドのボスに掛け合って、2007年にパートタイムのアナリストとして復帰させてもらいました。ようやく、仕事も育児も両立できる完璧な環境になったと思っていたのですが、その矢先の2008年、あの「リーマンショック」が世界中を襲いました。


トウシル:よりによって、というタイミングですね。


まりーさん:私がいたヘッジファンドからも一気に資金が流出して、社員を大量解雇する大嵐が吹き荒れました。私はパートタイム勤務でしたし、夫も働いていたので、容赦なくクビを切られて無職になりました。その時期は夫の不動産事業もうまくいっておらず、夫婦そろって完全に無収入という期間がしばらく続きました。


 こうなると、生活に使えるお金は限られますので、維持費の負担を理由に、2007年に400万ドルで購入していたビーチフロントの家を約半値の250万ドルで売却せざるを得ませんでした。大きな損失を抱え、仕事にも就けない。今振り返れば、この時期は本当に八方塞がりでした。


トウシル:天国から地獄というような状態ですが、まりーさんのことですから、ここでくじけなかったんですよね。


まりーさん:もちろんです!「だったら別のやりたいことにチャレンジしよう!」と気持ちを切り替え、高校の教師を目指すことにしました。


トウシル:高校教師!? 突然なぜ…?


まりーさん:娘と一緒に夏休みが取れる仕事として高校教師を選びました。米国には、教師が不足している教科に限って、民間業界からセカンドキャリアとして教職免許を取得できる制度があります。数学は不足している教科の一つだったので「経済学部出身だし、数学の教師ならいけるだろう」と思い飛びつきました。


トウシル:経済学部出身とはいえ、そんなに簡単になれるものなんでしょうか。数学科卒でもなければ教職課程も取っていなかったのですよね?


まりーさん:教職免許を取るには単位が足りなかったので、地元のコミュニティカレッジ(短大)で数学の単位を猛スピードで履修し、必要な単位をかき集めました。そうして2年間必死に勉強して教職免許を勝ち取り、米国の公立高校で5年間、数学教師として教壇に立ちました。


トウシル:公立高校の先生は楽しかったのでしょうか? まりーさんには物足りなかったのでは?


まりーさん:教えること自体は非常にやりがいがあり、授業も工夫を凝らして学生と誠実に接してきたのですが、公立高校だったので学生の学習意欲が均一でなかったり、教育を重視しない親もいたため、クラスのマネジメントがとても大変で、神経をすり減らす日々が続きました。


 5年間教師を続け、よりやりがいのある私立高校へ転職しようと思い、推薦状を書いてもらうために、リーマンショックの時まで働いていたヘッジファンドのボスに連絡を取りました。そうしたらボスから「仕事を探しているのならフルタイムで戻ってこないか」とオファーをもらえたんです。


数学教師から米国株発信者へ。
無駄な経験は一つもなかった

トウシル:ひゃー。またすごいタイミングでラッキーが巡ってきましたね。こうしてお話を伺っていても、まりーさんからは運を引き寄せるパワーを感じます。


まりーさん:私、運にも恵まれてますが、ラッキーが来たときにパッと動く瞬発力には自信があるんです(笑)。このチャンスもはじめは雇用のオファーではなかったんです。話を聞いてボスたちのニーズを的確に読み取り、フルタイムで雇ってもらえるように一晩徹夜で資料を作り、すぐにプレゼンしました。


 ただ金融業復帰の一つの懸念が、娘と一緒に夏休みが過ごせなくなること。そこで「娘の学校が休みの時は私も休みたい」と条件を出してみたんです。するとその条件も飲んでもらえて、信じられない形で金融界への復帰を果たすことになりました。


 フルタイムで働き始めた時、久しぶりに金融のプロの大人たちとロジカルな会話ができた瞬間は「そうか、私はこういう会話に飢えていたんだ!」と心の底から感動しましたね。


一つの夢がダメになっても、プランB、プランCが常に頭の中にある

トウシル:そこからどのようにして、現在の米国株インフルエンサーとしての活動につながっていくのですか。


まりーさん:金融業界に戻って2年がたった2020年、コロナ禍を機に全社的に在宅勤務が促進されたため、ネットを見る時間ができたんです。世界的にコロナ禍でムードがダウンしている中、少しでも世界とつながりたいと思って「Quora」という質問投稿サイトで、米国在住者の目線から米国のコロナの状況を発信しはじめました。


 当時、米国視点で日本に向けた情報を展開している人がまだ少なかったため、すぐに「いいね」が集まるようになり、フォロワーも増えて発信の面白さに目覚めてしまいました(笑)。


トウシル:そこからTwitter(現X)に移行されたのですね。


まりーさん:Quoraは長文を書くのが大変だったので、文字制限のあるTwitterに移りました。米国在住の日本人の視点で、日本語+英語の翻訳をぶら下げるスタイルで投稿を続けたところ、「生きた英語が学べる!」という視点からも人気が出て、数カ月で何万人ものフォロワーを獲得しました。


 その発信の中で、金融市場の反応や需要を徹底的に分析するリサーチも発信していたのですが、やはり「投資・米国株」に関するツイートがバズる確率が高く、大きな需要があるという知見を得ることができました。


トウシル:スペインの銀行、ウォール街、ヘッジファンド、そして高校の数学教師という、一見バラバラに見える全ての経験が、唯一無二のポジションに見事につながっているのですね。


まりーさん:振り返ってみれば、無駄な経験なんて一つもありませんでした。高校の教壇で毎日20~30人の生徒を相手に「どうすれば相手の脳内に言葉が伝わるか」を必死に考えて授業を組み立てていた5年間の経験があったからこそ、投資の考え方を誰にでも分かる言葉でかみ砕いて伝えることができているのだと思います。


トウシル:一方で、普通の人ならくじけてしまうであろう苦難にも何度も直面されています。なぜ今日までご自身の道を切り開き続けることができたのでしょうか。


まりーさん:私は気持ちの切り替えが人一倍早いと思うんですが、その理由は「やりたいことが常に山ほどある」からなのだと思います。何かがダメになったとしても「別のやりたいことに挑戦する時間が新しくできたな!」とポジティブに捉えます。好奇心が旺盛すぎるんでしょうね。いつでもプランBやプランCが用意されているので、落ち込んでいるヒマはありませんでした。


トウシル:まりーさんの打たれ強いメンタルの背景にある「損切り人生」とキャリアの歩み、非常にエキサイティングで勉強になりました。後編では、激動の人生を経てプロのアナリストとして行き着いた「米国株投資哲学」と「負けない投資の王道」について、さらにディープに切り込んで伺いたいと思います!


『「98%の人はS&P500でいい」ウォール街を知る投資家の米国株実践論:米国株投資家・まりーさんインタビュー後編』はこちら>>


(トウシル編集チーム)

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