フェンシング女子サーブル日本代表
江村美咲インタビュー(前編)

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 2024-25シーズン、FIE(国際フェンシング連盟)のワールドランキングで年間王者に輝いた江村美咲。日本女子選手として、そして日本のサーブル選手として初めての快挙だった。

 東京、パリとオリンピックに2大会連続で出場し、パリでは団体銅メダルを獲得。2022年と2023年の世界選手権では個人2連覇を達成するなど、輝かしい結果を残してきた。そんな江村にとっても、シーズンを通して安定した成績を収めた証ともいえるこのタイトルは、大きな意味を持つ。

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 江村は幼い頃から、一度ハマるとのめり込むタイプだったという。小学生の頃には、校庭や公園にある遊具の「うんてい」に夢中になり、休み時間になると黙々と取り組んでいたそうだ。なぜ、そこまで「うんてい」にハマったのか、今となってはわからない。ただ、その没頭する気質は、今も変わらない。

 現在、その情熱が注がれているのは、もちろんフェンシングだ。高校時代にはリオオリンピック代表争いに加わるまでに成長。その後、当時はまだ女子部員が少なかった中央大学フェンシング部に新たな歴史をつくりたいと、同大学法学部へ進学した。

 7月22日に開幕した世界選手権(香港)に臨む江村は、フェンシングと、そして自分自身とどのように向き合い、バランスを取ってきたのか。27歳のトップアスリートの素顔に迫った。

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── フェンシングと学業を高いレベルで両立し、トップアスリートとして歩んできた道のりについてうかがいます。子ども時代、勉強と競技にはどう向き合っていたのでしょうか。

「正直なところ、勉強は普通というか、普通以下だったと思います。国際大会に出る時も、テスト前だったら一応、勉強道具を持っていって飛行機のなかでやるんですけど、すぐ寝ちゃう(笑)。でも、持っていっているだけで偉いなって。自分なりにはがんばっていました」

── 勉強は好きだったのですか?

「勉強は、やらなきゃいけないからやる、という感じでした。成績も主要5教科は本当にダメで、なかなか頭に入ってこないタイプだったんですけど、興味がある分野に関しては満点近く取れるんです。技術・家庭科のような科目は、いい成績を取っていましたね。

 大人になると、勉強が気分転換になったりもすると思うんですけど、当時はまったくそういう感覚はありませんでした。試合前に時間が余ったりすると勉強する時期もあったんですけど、やっても本当に頭に入ってこないタイプでしたね」

【ライバルふたりに負けたくない】

── 生活の中心は、やはりフェンシングですよね。

「はい。そもそもフェンシングは小学校3年生の時に、自分で『やりたい』と言って始めました。フェンシングをやっていたらかっこいいかな、くらいの気持ちでした。

 ただ、父(江村宏二さん/ソウル五輪フルーレ代表)はともかく、母はフェンシングをあまりやらせたくなかったみたいで。バスケットボールなどの団体スポーツをやらせたかったと聞きました。でも、始めてからは応援してくれていました」

── 幼少期は大分県で過ごし、小学5年生の時に東京都板橋区へ引っ越されました。それまで取り組んでいたフルーレからサーブルに転向(※)したのも、この時期です。

※フルーレは、胴体とマスク下部のビブ(首を覆う部分)が有効面で、剣先による「突き」のみが得点となる。一方のサーブルは、腰から上の頭部、胴体、両腕が有効面で、「突き」に加えて剣身による「斬り」も認められる。

「フルーレではなかなか勝てなかったんですけど、たまたまサーブルの大会に出たら優勝したんです。賞品が『ウサビッチ』のジグソーパズルだったので出場したんですけどね(笑)。でも、その優勝がきっかけで、日本ではまだ層の薄かったサーブルに転向することにしました。

 中学は地元の板橋区の学校に通いました。ただ、同い年で、福岡県のタレント発掘事業で見出されたふたりの選手(向江彩伽と髙嶋理紗/2014年仁川アジア大会では3人そろって代表入り)には、当初まったく勝てなかったんです。

 ふたりは中学入学と同時に上京し、JOCエリートアカデミー(東京都北区)に入りました。

彼女たちはフェンシング歴は短いのに、身体能力が高く、すぐに強くなっていった。この勝てない時期が、とても苦しかったです」

── お母さんに「辞めたい」と相談したのは、この頃ですか?

「そうですね。でも、母と話し合って、辞めないことになったんです。母からは『全然辞めてもいいけど、美咲が辞めたあと、将来そのライバルのふたりが活躍してテレビに出て、それを画面の前で見ている側になってもいいと思えるなら、それでいいんじゃない』と言われました。

 私はやっぱり負けず嫌いなので、それは耐えられないと思って踏みとどまりました。母は、私の性格をわかったうえでそう言ってくれたのかなと思います。当時はただ、そのライバルふたりに負けたくない一心でした」

【世界でも戦えるかもしれない】

── 敗北感が原動力になり、自分が負けず嫌いだと再確認した出来事だったのですね。

「彼女たちに徐々に勝てるようになったのが、中学3年の終わり頃でした。その頃、初めて欧州カデサーキット(17歳以下の国際大会)で金メダルを獲ることができたんです。その成功体験は大きかったですね。

 それまでは、日本の女子サーブルは歴史も浅くて、日本人が世界で勝つイメージが、自分のなかにどこかありませんでした。ヨーロッパの選手はすごく強いし、『優勝は難しいんだろうな』という気持ちがあったんです。

でも、一度勝てたことで、『もしかしたら、世界でも戦えるかもしれない』と思い始めました。そこから本格的に、メダルを狙うようになりました。

 シニアの先輩に勝ちたいと思ったり、タイミングに恵まれて常に追う相手がいたりしました。目の前の勝てない相手に勝ちたい──。その思いを一つひとつ積み重ねていったら、気づいたらここまで来ていた、という感じですね」

(つづく/文中敬称略)

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【profile】
江村美咲(えむら・みさき)
1998年11月20日生まれ、大分県大分市出身。170cm。女子サーブル。ソウル五輪フルーレ代表の父と世界選手権エペ代表の母のもと、幼少期に競技を開始。大原学園高(JOCエリートアカデミー)時代から頭角を現し、中央大学進学後も実績を積んだ。2021年4月、日本フェンシング界初のプロ選手として活動を開始。世界選手権個人戦2連覇や、2024年パリオリンピックでの日本選手団旗手、団体銅メダル獲得など歴史的快挙を達成。抜群のスピードと果敢なアタックを武器に、日本フェンシング界を牽引している。

了戒美子●取材・文 text by Yoshiko Ryokai

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