甲子園は、球児たちが夢を追いかける舞台であると同時に、長い野球人生が再び交わる場所でもある。高校時代の同級生、大学で汗を流した仲間、プロでともに戦ったチームメート、そして甲子園で対戦したライバル──。

立場は指導者へと変わっても、その縁は今なお続いている。今夏の甲子園にもさまざまな縁が交差している。

【夏の甲子園2026】仙台育英の同級生、元巨人のチームメイト...の画像はこちら >>

【選手と記録員として甲子園準優勝を経験】

 仙台育英(宮城)の須江航監督と岡山学芸館の佐藤貴博監督は、仙台育英時代の同級生だ。2001年春の選抜では、須江監督は記録員、佐藤監督は背番号14の選手としてベンチ入りし、ともに準優勝を経験した。

 監督としては、2019年夏に初めてそろって甲子園に出場。一昨夏が2度目、そして今夏が3度目の同時出場となる。過去2度は対戦の機会がなかったが、三度目の正直で「同級生対決」は実現するのか。甲子園の常連校同士だからこそ期待したくなる、ぜいたくな夢と言えるだろう。

 この両監督は高校時代の同級生だが、大学時代に同じ釜の飯を食った間柄の監督もいる。今夏の出場校では、3人の監督が同時期に同じ大学でプレーしていた。1991年の東北福祉大では、4年生だった花咲徳栄(埼玉)の岩井隆監督、2年生だった東日本国際大昌平(福島)の江井康胤監督、そして1年生だった健大高崎(群馬)の青?博文監督が、同じユニフォームを着ていた。

【元巨人のチームメイト】

 さらに珍しい縁が、かつてNPBでチームメートだった智辯和歌山・中谷仁監督と東海大甲府(山梨)・仲澤広基監督だ。1997年のドラフトで阪神から1位指名を受け、1998年に入団した中谷監督は、楽天を経て2012年に巨人へ移籍。その年限りで15年間の現役生活に幕を下ろした。

 一方、仲澤監督は2008年のドラフトで巨人から6位指名を受け、国際武道大から2009年に入団。2012年はプロ入り4年目のシーズンを過ごしていた。

 中谷選手は2012年に一軍で5試合に出場したものの、主戦場はファームだった。仲澤選手は一軍出場がないままシーズンを終えた。そのオフ、中谷選手は現役を引退。仲澤選手は翌2013年に中谷選手がかつて在籍した楽天へ移籍し、同年に一軍初出場を果たした。

 その後、ともに高校野球の指導者の道を歩み、中谷監督は2021年夏に全国制覇を達成した。一方、仲澤監督は2024年に母校・東海大甲府の監督へ就任。今夏、監督として初めて甲子園出場を果たし、かつての先輩を追いかける新たな一歩を踏み出した。

 同じく智辯和歌山・中谷監督には、今大会、監督として甲子園に戻ってきたかつての対戦相手がいる。1997年夏、智辯和歌山の主将兼捕手として全国制覇を果たした中谷監督は、初戦の2回戦で初出場の日本文理(新潟)と対戦した。その日本文理で2年生ながら「2番・二塁」で先発出場していたのが、現在、日本文理を率いる鈴木崇監督だ。

 試合は、鈴木選手の適時三塁打などで日本文理が2回表までに5対0とリード。しかし、智辯和歌山はその裏から反撃を開始し、21安打19得点の猛攻を見せる。5番を務めた中谷選手も2打数2安打4四球と打線をけん引し、智辯和歌山が19対6で大勝した。

【母校ではないユニフォームを着て再会】

 また、享栄(愛知)へ移って今夏初めて甲子園の舞台に立つ大藤敏行監督は、中京大中京(愛知)の監督として2009年夏に全国制覇を果たした名将である。

 中京大中京の監督として初めて甲子園に出場した1997年春の選抜では準優勝に輝いているが、このとき2年生でベンチ外だったのが、現在、中京(岐阜)を率いる今村陽一監督である。

 なお、現在の中京大中京を率いる高橋源一郎監督は、1997年の選抜で準優勝した当時の主将だった。今村監督は部長として高橋監督を支え、2019年の明治神宮大会優勝、2021年の選抜ベスト4などを経験した。

 今村監督はその後、岐阜の中京に転じ、昨秋監督に就任。恩師である大藤監督とともに、母校ではないユニフォームを着て、甲子園の舞台に立つことになった。

【馬淵監督につながる数々の縁】

 最後に明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督は、今回で春夏通算41回目の甲子園(2020年の交流試合を含む)。それだけにゆかりのある人物は多い。

 神村学園(鹿児島)の塩田将孝部長は教え子で、1997年春の選抜に2番・セカンドで出場していた。

 立命館宇治(京都)の里井祥吾監督は、鳥羽(京都)の3番・ファーストとして2000年の選抜準々決勝で馬淵監督率いる明徳義塾と対戦。試合は里井監督の2安打4打点の活躍もあって、鳥羽が12対5で快勝している。

 長崎日大・山内徹也部長も1999年夏に同校の2年生捕手として出場し、2回戦で明徳義塾にサヨナラ勝ちを飾っている。

 また、社(兵庫)でおもに6番を打つ山口諒大は、明徳義塾が松井秀喜氏に5連続敬遠の策を講じて話題になった1992年夏、星稜(石川)のエースとして甲子園のマウンドに立った山口哲治氏を父に持つという縁がある。

 優勝旗を目指す戦いの裏側では、こうした数え切れないほどの「縁」が、甲子園で交差している。勝敗とはまた違う物語が、この夏も聖地に息づいている。

戸田道男●文 text by Michio Toda

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