【トップアスリートの夏合宿】
山内晶大(名古屋市立工芸高)インタビュー@後編

◆山内晶大・前編>>なぜ部員6~7人の弱小バレー部に?

 毎日のように顔を合わせた仲間、顧問の声、汗を拭いながら見上げた体育館の天井──。部活に明け暮れた人にも、ほどほどに楽しんだ人にも、それぞれの夏の記憶がある。

高校からバレーボールを始めた山内晶大(大阪ブルテオン)もまた、ごく普通の高校生として部活の日々を送っていた。

 しかし、高校3年生の夏、それまでとは異なる世界に足を踏み入れたことで、その後の人生を左右する変化が生まれる。なぜ、山内はバレーボールに本気で向き合うようになったのか。日本代表へと続く道の始まりと、今だからこそ伝えたい部活の意味を聞いた。

   ※   ※   ※   ※   ※

「素人」だった山内晶大は、高校3年で初めて夏合宿を体験 練習...の画像はこちら >>
 男子日本代表の一角として第一線に立ち続ける山内晶大の高校生活は、いたって「普通のスクールライフ」だった。部活自体は練習の頻度も強度も高くなく、夏休みの期間も半日で活動が終われば、あとは部員同士で遊びに興じる。

 インターハイや春高といった大舞台とは無縁──。県大会どころか、地区大会の、それも一回戦負けは茶飯事だった。

「そもそも自分たちが出ている大会が、何なのかもわからないほどでしたから。(春から夏に行なわれる)インターハイ予選で負けたからといって、特に夏休みの取り組み方が変わることはなく、いつもどおりの部活動のままでした」

 そんななか、県内の強豪校や大学の指導者たちが偶然、山内の在籍する名古屋市立工芸高等学校に足を運んだ。そのことをきっかけに、山内の存在が日の目を見ることになる。それが高校2年の終わり頃で、当初考えていた卒業後の進路も変わることになった。

「もともと、顧問の先生から紹介してもらっていた大学も、バレーボールで行けるのであればラッキー......と思っていました。その頃にはバレーボールも、少しずつできるようになっていたので。

 そうした時に、愛知学院大学からも声をかけてもらえている、と顧問から言われたんです。『それならば、レベルの高いところでやりたい』と思い、進路を決めました」

【まるで違う競技に感じた夏合宿】

 高校卒業後の進路も定まり、山内のバレーボールに対する向き合い方は、ここからさらに濃くなっていく。高校3年目は、高校選抜や国体の愛知県代表に名前を連ねることになったのだ。

「夏前に高校選抜のメンバーに選出していただき、そこで初めて『遠征に出向く』という経験をしました。それまで自チームで他校と練習試合を行なうことはありましたが、合宿という形は初めてでした」

 そうして秋に向けて、今度は国体の愛知県代表に身を置くことになった。だが当然、周りは星城高校や愛知工業大学名電高校、大同大学大同高校といった、愛知県内の実力校ばかり。

「自分は高校からバレーボールを始めただけに、最初はうまくやっていけるかな......という感情でした」と、山内が言うのも無理はない。ただ、「本当にみんないいヤツばかりで、すんなり溶け込めた」のは幸運だった。

 とはいえ、活動自体は別モノ。夏休みの期間は自チームを離れて愛知県代表の練習に参加すると、当時の山内にとっては過酷な時間となった。

「自分の学校だと、練習自体がハードではなかったので、ごはんも普通に食べられたんです。

けれど、県代表の練習がある時は1日中、練習して、練習試合をして、昼休憩が終わればまた練習して、さらに練習試合をして......。

 そんな具合だったので、お昼も全然、食べられませんでした。朝におにぎりを買って持っていったのですが、喉を通らず、生まれて初めてお茶や水で『おにぎりを流し込む』ことをしましたからね(笑)」

 振り返るに、強豪校の面々に「ただただ、ついていくことに必死だった」。場合によっては、そこで心が折れてしまうことだってありえたかもしれない。

 だが、この時の山内の心境は、このようなものだった。

「自分の高校でも顧問の先生に教えてもらっていたとはいえ、そもそも複合練習などができる環境ではありませんでした。だから、いざレベルの高い選手たちと一緒になって練習してみると、それまでやってきたバレーボールとはまるで違う競技に感じたんです。

 なかなかうまくいかないことだって出てきました。でも一方で、あらためてバレーボールの魅力を知るきっかけにもなりました」

【青春満載の夏休みを送ってほしい】

 周りについていくだけで必死だった日々。「『高校に戻りたい』とか『自チームのゆるさがほしい』とか思う余裕すらなかったのかもしれません」と山内はほほえむが、そこで過ごした時間そのものが、その後のキャリアを形成する土壌となったのは確かだ。

 山内は「あの高校3年目の夏から、バレーボールを本格的にやり出した──と言えると思います」と語る。そこにあったのは、中学生の頃にバスケットボール部で覚えた「やらされていた」感覚ではなく、バレーボールを「やりたい」、それこそ「もっともっとうまくなりたい」という高揚感だった。

 トッププレーヤーになった今、あらためて山内は学生たちに、こんなエールを送る。

「今の僕の立場からすれば、『とにかく一生懸命に競技に励んで、スキルアップして、自分のチームでいい結果を残せるようになろう』と言うべきかもしれません。

 ただ、それはもちろん必要ですが、かといって、やらされているだけのバレーボールはしてほしくないとは思います。楽しくなければ、たとえ部活であっても行きたくなくなるでしょう? それに楽しさがあれば、向上心も生まれてきます。ただこなしているだけの練習だと、上達もしませんからね」

 山内の場合はある意味、身を置く場所を変えられたことで、競技への取り組み方そのものも変化した。けれども、そこに至るまでの穏やかだった日々を否定することはない。

「高校の部活動は、その時の自分にはおそらく適していました。急にきつい練習をバレーボールでもやっていたら、もしかしたら嫌だと思っていたかもしれません。なので、いい頻度と練習量だったのかなと」

 高校生活で過ごした、3度の夏休み。1年目、2年目の夏と、3年目の夏は両極端だった。だからこそ、山内はにこりとしながら口にする。

「高校生活の3年間って、あっという間に過ぎてしまう。

学生のみなさん、夏休みの使い方はバレーボールだけじゃないですよ(笑)。

 もちろん、どんどんうまくなって日本代表を目指してもらうのもすばらしいことですし、ぜひそうなってもらいたい。でも、学生らしく、お祭りに行ったり、友だちと遊んだりして、青春満載の夏休みを送ってほしいなと思いますね」

 ゆるくても、きつくても、その時にしか得られないものが、山内晶大の部活にはあった。

(了/文中敬称略)


【profile】
山内晶大(やまうち・あきひろ)
1993年11月30日生まれ、愛知県名古屋市出身。身長204cm、体重85kg。ポジション=ミドルブロッカー。名古屋市立工芸高でバレーボールを始め、愛知学院大3年時の2014年に日本代表デビュー。2016年にパナソニック パンサーズ(現・大阪ブルテオン)へ加入し、2021-22シーズンから4シーズン主将を務める。Vリーグのベスト6を3シーズン連続で受賞。オリンピックは東京大会、パリ大会に出場し、ネーションズリーグでは2023年に銅、2024年に銀メダルを獲得している。

坂口功将●取材・文 text by Kosuke Sakaguchi

編集部おすすめ