戦後81年、かつて敵だったアメリカ兵を弔ってきた、三重県のあるお寺を取材しました。

終戦の年に墜落した「B29」に乗っていた11人の石碑まで作ったその思いとは。

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8月15日、全国で終戦の日の式典が行われる中、三重県名張市では日本の国旗と共に星条旗が掲げられ、アメリカの国歌が演奏されました。

石碑に刻まれているのは、この地に墜落したアメリカ軍の爆撃機B29に乗っていた11人のアメリカ兵の名前です。

きっかけは境内に落下した“B29の破片” アメリカ兵を81年間弔う寺 「敵も味方も命は一緒」 命の尊さを次の世代へ
CBC

墜落するB29の姿…「まるで映画のようだった」

終戦間際の1945年6月5日、現在の三重県名張市の上空でアメリカ軍の爆撃機B29一機が日本軍の攻撃を受け墜落しました。

(栢本茂男さん 90歳)
「B29がどんどん飛んでいって、たまに『パーン』と私たちを狙ったのか分からないが鉄砲の音がした」

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名張市に住む栢本さん夫婦。茂男さんは当時9歳で目の当たりにした、墜落するB29の姿を今でも鮮明に覚えています。

(栢本茂男さん)
「弾が当たったB29は3回くらい上空をグルグル回って、最後は青蓮寺の一ノ谷に墜落した。『ドッドドドン ドドーン』という響きと真っ黒な煙が上がった。まるで映画みたいな感じだった」

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生き残った9人のアメリカ兵は終戦直前に処刑

墜落したB29には11人が乗っていて、その場で2人が死亡しました。

(栢本好子さん 88歳)
「助かったアメリカ兵は手を後ろで縛られて、目隠しして連れて行かれた姿を鮮明に覚えている」

パラシュートで機体から9人が脱出しましたが、住民に捕らえられ日本軍によって終戦直前に処刑されたとされています。

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このアメリカ兵11人の供養を続けているのが、墜落現場のほど近くにある「地蔵院」です。

(地蔵院 耕野一仁さん 77歳)
「北の方から南の方に向かって飛んできて、地蔵院の上空をかすめ飛んだ。父親と母親は境内にいて(機体が)あまりに低いので『熱いな』と思うほど、B29の焼けている熱を感じたそうです」

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供養を始めるきっかけは… 境内に落下した“B29の破片”

住職だった父の一弘さん(当時33)が、境内に落下したB29の破片を拾い上げたことが供養を始めるきっかけでした。両手に収まるほどの金属片、当時の住職のメモが残されています。

(当時のメモ)
「昭和二十年六月五日 午前十時四十分、青蓮寺に墜落した米国B29の破先」

側面には、製造会社の「BOEING」という表記も。

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(地蔵院 耕野一仁さん)
「B29の機体に手を合わせるなんて時代ではなかったと思う」

B29が撃墜されたあと、名張市内は空襲を受けて多くの人が命を落としました。

当時は100戸ほどだった青蓮寺地区でも、36人が戦争で亡くなっています。

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「敵も味方も命は一緒」父の忘れられない言葉

そんな中で、敵兵の供養を始めた父親に疑問をぶつけたと言います。

(地蔵院 耕野一仁さん)
「村で36名が亡くなっているので『村の人の感情が悪くならないか』と言ったら、『ばか言うな、敵も味方も命は一緒やないか』と言ったことは今でも忘れられない」

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父・一弘さんは地元の戦没者とともに、亡くなるまで50年近くアメリカ兵の供養を続けました。

(地蔵院 耕野一仁さん)
「父の思いを引き継がないといけないという思いで手を合わしていたが、表に出して供養するという気持ちにはならなかった」

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アメリカ兵の「追悼碑」と名前や階級も刻んだ「石標」を建立

住職を継いだ一仁さんも供養は続けていましたが、戦後60年が過ぎた頃 父の思いを形に残そうと、2006年 現場近くにアメリカ兵の追悼碑を、翌年にはアメリカ兵の名前や階級も刻んだ石標を建てました。

(地蔵院 耕野一仁さん 2007年)
「戦後62年になりますと、『敵も味方も命は大切だ』という思いをともに共有するという立場で考えた。歴史の中でこういうことがあったということを語り継ぎ、子どもに『平和な世の中になるように』という思いを引き継いでいただく」

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この時にも迷いはあったと振り返ります。

(地蔵院 耕野一仁さん)
「(戦争で)亡くなった人たちの遺族の気持ちは優先した。どういう風に思うかなと。言っていただいたのは、『うちの父親が亡くなったのは南方諸島やフィリピン諸島や、そこで追悼碑を建ててくれたら嬉しいやんか』と言ってくれた。区の役員さんが建立に伴うお金まで出してくれた。当初は夢にも思わなかった」

当時、地元の区長を務めていた栢本茂男さんも父親を戦争で亡くしていますが、追悼碑の建立を後押しした1人です。

(栢本茂男さん)
Q.慰霊碑の建立は悩んだ?
「悩むということはなかった。戦争だから日本に戦死者がいるのは当たり前だし、向こうにも悲しむ遺族もいるし、お互いのことだと」

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「命の尊さ」を次の世代へ 語り部としての活動も

地元住民の協力で追悼碑が建てられて今年で20年。

(地蔵院 耕野一仁さん 7月25日)
「日本という遠い異国でB29が落ちて亡くなったのに、『手を合わしてあげるのは当然やないか』言われた」

一仁さんは父の教えでもある「命の尊さ」を次の世代へ伝えるべく、語り部としての活動も始めました。

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その姿を見つめるのが、今年4月に住職を引き継いだ息子の統仁さん(44)です。



(地蔵院 耕野一仁 前住職)
Q.息子さんはどうですか?
「ヒヤヒヤすることがあるが、そのうちにちゃんとなると思う」

(地蔵院 耕野統仁 住職)
「まだまだ分からないこともたくさんあるので、父親に聞きながら私なりに引き継いでいけたらなと思っている」

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「伝えていくことの難しさ…」平和への祈りをつなぐ

今年の終戦の日。住職を引き継いで初めての追悼式典です。

(地蔵院 耕野統仁 住職)
「B29墜落より81年の夏、平和でのどかな現代の日本。戦争の面影は昭和の時代から平成 令和の時代と移り変わり、なお一層遠くなりつつあります。戦争で犠牲となった多くの若者とその家族の心中を察する時、戦争を憎み 平和の大切さを後世に伝えることをお約束し、追悼の言葉といたします」

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敵味方の区別なく弔ってきた81年。これからも、平和への祈りをつなげていきます。

(地蔵院 耕野統仁 住職)
「だんだん戦争体験が薄れていく。自分が体験したことがないので、伝えていくことの難しさを感じながらも、2年目3年目を行ってまずは戦後100年、その次 次としていきたい」

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