「放送事故連発だろ」『24時間テレビ』“キツい内輪ノリ”がなぜか面白かった理由 カオスな生放送を救った有吉弘行の凄み
「放送事故連発だろ」『24時間テレビ』“キツい内輪ノリ”がなぜか面白かった理由 カオスな生放送を救った有吉弘行の凄み

テレビはまだまだトガっている。心に“刺さった”番組を語るリレー連載「今週のトガりテレビ」。

今回は、テレビウォッチャーの飲用てれびが、今年の『24時間テレビ』の印象に残った深夜のコーナーについて語る。

日テレファミリーの歌合戦がカオスな時間に

何を見せられているのか、最後までよくわからなかった。ただ、なぜか目が離せなかった。

8月29日・30日に放送された今年の『24時間テレビ49―愛は地球を救う―』(日本テレビ系)は、「わたしの家族の話~あなたは誰を想う?~」をテーマに掲げていた。同番組の深夜パートでは、毎年バラエティ色が強いコーナーが放送されるのだが、今年のその時間が、なんとも変だった。

コーナータイトルは「内村光良&有吉弘行の日テレファミリー歌合戦~私がファミリーと届けたい歌~」。番組全体の総合司会の一人を務める内村光良(ウッチャンナンチャン)が率いる「花組」と、有吉弘行が率いる「星組」に分かれ、『有吉の壁』『X秒後の新世界』『上田と女が吠える夜』など各番組の出演者が歌対決を繰り広げるコーナーだ。

まさに「日テレファミリー」大集合。もちろん、ファミリーといっても『笑ってコラえて!』の所ジョージや『月曜から夜ふかし』のマツコ・デラックスなどが出たりはしないわけだが。いとこだけの親戚の集まり、といった感じ。

番組は、各番組の出演者が交互に歌う形で進んでいく。で、この歌の時間が変だった。SixTONESのメンバーや山崎育三郎など本職の歌手も一部出ているのだけれど、歌うのは基本、芸人やタレントだ。

お世辞にも歌はうまいとは言えない。

加えて、替え歌、モノマネ、謎のミュージカル……。統一感のない「出し物」が歪に積み上がっていく。そのなかに、ブラックビスケッツのもはや驚きもありがたみも薄れた何度目かの「復活」まで短時間で織り込まれる(今回の『24時間テレビ』内でも2回目)。

まさに混沌。日テレ特有の、「こっちはずっと一緒にやってきた仲間です」という空気を視聴者にも半ば強引に共有させる内輪ノリが、混沌に拍車をかける。

もちろん、この「雑」のてんこ盛りは意図的なものだろう。わざと素人的な手跡が残されている。だからだろうか。徐々に見ているほうはマヒしてくる。倒錯してくる。なんだかおもしろくなってくる。

SNSでも、「めっちゃ面白いけど、放送事故連発だろ」「歌合戦…放送事故レベルだよね(笑) めっちゃ笑うけどなぜ生放送が許されるんだってくらいの仕上がりwww」といった声が見られた。

この時間を得も言われぬおもしろさに仕立て上げたのは何だったのか。やはり有吉の手腕が大きい。

「テレビで今やっていいの?」オリラジ中田に直球イジり

RADIO FISHの『PERFECT HUMAN』が歌われる際には「テレビで今やっていいの?」と中田敦彦(オリエンタルラジオ)をイジり、せいや(霜降り明星)とヒコロヒーの『ジンギスカン』に対しては「楽しい結婚式になりました」と溢れ出る披露宴の「出し物」感を指摘する。

あるいは、近藤春菜(ハリセンボン)に「チェ・ホンマンさんも?」と振って、春菜から「チェ・ホンマンは似てねぇだろ!」といつもの「じゃねーよ」の変化型を引き出す。

畑芽育とCRAZY COCOがあいみょん『マリーゴールド』を可もなく不可もなく歌ったあとは「もう歌詞いいね! 歌詞最高!」と、ストレートにイジりにくい2人の歌を絶妙な間合いで笑いに変える。

日テレの内輪ノリの厳しい感じと、それが生放送で問答無用に垂れ流されるゾクゾク感。その混沌極まる時間を、有吉が強引かつテクニカルに「おもしろい」に整序していく。

コーナー全体が意図的に仕掛ける違和感に、即興的に落としどころを作り、笑いに変えていく。意図的な「雑」が勘付かれそうな瞬間には、有吉が介入しライブ感に引き戻していく。

最後は有吉が落としてくれる。その信頼感が、視聴者を「雑」に「あえて」乗っかり楽しむ共犯者にする。笑いのピークは、きしたかののサザンオールスターズのモノマネだっただろうか。

桑田佳祐の似てない全力モノマネが堂々とお送りされる時間。笑いすぎて吐きそうになった。

今回の『24時間テレビ』のテーマは「わたしの家族の話」だった。ここで「あえて」このテーマに引き戻して考えてみれば、有吉のスタンスもまた家族的だったかもしれない。

日テレ「ファミリー」が勢揃いしたとは思えないこの時間、そこに「ファミリー」感があったとしたら、混沌を引き受け、離脱せず、その場を成立させる有吉に何より感じた。

家族の時間はスムーズに流れる瞬間ばかりではない。アクシデントもある。問題も次々起こる。ただ、他の関係性とは違い、家族は簡単にリセットできない。だからこそ、ややこしい。内部に留まり、問題を引き受け、なんとか対処する。その連続だ。

今年の『24時間テレビ』が視聴者に突き付けたもの

『24時間テレビ』全体を見渡してみると、そこでは数々の家族の関係が取り上げられていた。障害のある子とその親。能登半島地震で被災した飲食店を再建する親子。喉頭がんで声を失ったつんく♂ とそれを支える家族の実話をもとにしたスペシャルドラマ。そして、先天性の障害のある娘をもつ星野真里のチャリティーマラソン。

そこには、さまざまなトラブルがありつつも、簡単に離脱できない家族のなかに留まり、それぞれの生活をなんとか成り立たせようとする人たちがいた。

家族とは、たぶんそういうものなのだろう。完璧なメンバーが揃って、完璧な時間を過ごすことではない。むしろ、大小さまざまなアクシデントをひっくるめて、誰かがその場を引き受け、どうにか成立させることだ。日常へと戻し、生活にしていくことだ。

一方、画面に映る人たちと「家族」ではない私たちは、そこから逃げることができる。場合によっては、番組全体を「偽善」の一言で処理して立ち去ることもできる。

さまざまな家族の姿を受け止め、家族ではない者として、どれだけ連なることができるのか。「わたしの家族の話」を、「わたしたちの社会の話」につなげられるのか。そんな問いを、私たちは突きつけられていたのかもしれない。

文/飲用てれび

 

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