なかなかブレイクしなかった古坂大魔王
古坂大魔王は、90年代に活躍したお笑いトリオ・底抜けAIR-LINEのメンバーだった。お笑いのセンスには定評があり、芸人仲間の間ではその実力を高く評価されながらも、なかなかブレイクに至らなかった人物だ。一時期は音楽活動を志向し、芸人を廃業していたこともある。
ピコ太郎は音楽と笑いの要素が見事にミックスされており、古坂のエッセンスが詰まっているといえよう。そんな彼の笑いの原点である底抜けAIR-LINEとはどんなトリオだったのかふりかえってみたい。
古坂大魔王が所属していた底抜けAIR-LINE
底抜けAIR-LINEは1992年に結成された。メンバーは当時は本名で活動していた古坂和仁、小島忍、村島亮である。(この3名は日本映画学校の同級生)。
この学校は映画科のほか俳優科があり、ウッチャンナンチャンやバカリズム、ドロンズなど多くのお笑い芸人を排出しているが、底抜けの3名はそろって中退している。
彼らの芸風は「ハ~イどーも!」のツカミから始まり、スピード感のあるショートコントを次々披露していくものだ。1ネタが5秒や10秒で終わるものもあり、ショートショートコントというべきものであった。
同事務所にはバナナマンも
さらに、メンバーの身長が、古坂が186センチの長身であるのに対し、小島が170センチ、村島が160センチほどであったため、見た目で大中小をそなえる、バランスの良いトリオだった。
もっとも人気があったのは村島亮だろう。小動物のようなルックスで「かわいい」と多くの女性ファンを獲得した。小島は活動の初期は江口洋介風の長髪サラサラのストレートヘアであり、時代を感じさせる。
所属事務所はのちにホリプロに吸収合併されるM2カンパニーである。同じ事務所の所属芸人にはバナナマン、X-GUNらがいた。
知名度を上げた『ボキャブラ天国』シリーズ
彼らの知名度を上げたのが、同時期の若手芸人に同じく『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ系)であった。
ただ、番組出演中の1997年5月に、村島が俳優を目指し脱退してしまい、メンバー2人のコンビとなる。しかし、彼はその後もFAXでメンバーにネタを送っていたというから、関係は良好だったようだ。
音楽活動を開始した古坂大魔王
さらに、お笑い活動と並行して、「NO BOTTOM!」名義で音楽活動も開始する。もともとリズム感を重んじるネタをやっていただけに、音楽志向は必然であったといえる。古坂の故郷である青森県のねぶたをテクノミュージックに取り入れるといった大胆な試みも行われた。
また、同時期には、音楽を武器にロンドンで一旗揚げたいと『マネーの虎』(日本テレビ系)に出演するも、マネー獲得には至らなかった。
その後、2005年に小島忍が脱退し、ゲームデザイナーに転身。そのため、底抜けAIR-LINEはこの時期に実質的に解散したと言える。
2008年には古坂が芸人に復帰し、古坂大魔王を名乗り活動を始める。
※イメージ画像はamazonよりペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)