もし自分が「外国人」だったら? ドイツ極右デモを目の当たりにして実感した移民排斥への不安
AfDのデモ隊(奥)と反AfDのデモ隊(手前)

5月最後の日曜日、私はベルリンの中心にある国会議事堂に向かった。「ドイツのための選択肢(AfD)」党が呼びかけた、現地メディアによると、戦後最大規模という触れ込みの極右デモを見るためだ。


AfDは右派ポピュリズム政党で、排外主義、性差別主義などの右翼的な価値観を掲げている。これらの価値観を求心力にして、「大衆」を「既存のエリート層(=特に現政権)」に反発するように、あおるのが同政党の特徴だ。AfDは匿名性の高い政党でもある。「匿名性が高い」というのは、AfD支持を公に表明する人はほとんどいないため、個々のAfD支持者の具体的な姿ははっきりと浮かび上がってこないからだ。

排外主義という点で、ドイツで外国人である私は、AfDからすれば排斥の対象に捉えられる可能性がある存在である。日本において、多数派の日本人の範疇に入る私にとって、ドイツでの生活は、時に真逆の体験を与えてくれる。


国旗を振り外国人排斥を主張する大規模極右デモ


デモが開かれている地区に到着すると、AfDの一団が遠くに見えた。さらに近づこうとしたが、AfDのデモ隊はガッチリと警察にガードされているので不可能だ。警備の厳重さが、このデモに対する緊張の高さを表している。
もし自分が「外国人」だったら? ドイツ極右デモを目の当たりにして実感した移民排斥への不安
ブランデンブルク門前で国旗を振るAfD側のデモ参加者

AfDの一団は、基本的に党の呼びかけに共感した人たちで構成されている。AfDはデモ前にドイツ全土の支持者に熱心に今回のデモへの参加を訴えていた。ただし、ドイツ公共放送連盟(ARD)のニュース番組「ターゲスシャウ」によれば、一部のデモ参加者には50ユーロ(約6500円)が渡されたという報道も出ている。

こうして動員された約5000人のAfDの党員と支持者は、ドイツの国旗を片手に、デモ当日はベルリン中央駅から国会議事堂横を通り、ブランデンブルク門まで練り歩いた。


人種差別を唱える人たちがドイツ国旗を振る光景は異様だ。国旗を振る行為はナチス時代の権力への盲信した服従を思い起こさせ、主張はナチスの犯した虐殺を想起させる。この様子を見ていると、今は直接の目標にはなっていないものの、次のターゲットが外国人である自分になるかもしれないという不安も、脳裏をよぎる。

ブランデンブルク門という場所も象徴的だ。ここはベルリンのシンボルであり、権力者が自分の力を示すための舞台として、歴史上たびたび利用されてきた。AfDも、ブランデンブルク門に集まることによって、自分たちの勢力を印象的にアピールしようとした。


極右の主張に意思を明確にするベルリン市民


AfDの大々的なデモに対して、他の市民たちは静観しているわけではない。今回の場合、すぐに13の反AfDデモが組織され、SNSやポスターを通して参加が呼びかけられた。警察の発表では、この反AfDデモには2万5000人が出向いたそうだ。

AfDに対抗する人を動員するために、それぞれのデモには工夫が凝らされていた。例えばクラブシーンの関係者が主催したデモは、参加者がテクノ音楽に合わせて踊りながら行進するといった具合だ。
もし自分が「外国人」だったら? ドイツ極右デモを目の当たりにして実感した移民排斥への不安
反AfDのプラカードを掲げるデモ参加者

デモが行われる場所も自由だ。中央駅と国会議事堂のエリアの間を流れるシュプレー川では、いかだや船に乗った人々が、「二度と繰り返さない」と書かれた旗を掲げて、AfDのデモに抗議していた。
このメッセージは過去のナチスの犯罪を意識しており、「非人道的な残虐行為はもう繰り返さない」という意味だ。

また、国会議事堂の正面には各政治グループのスタンドが設置され、そこではデモ用のプラカードを無料で作るサービスが提供されていた。当日何も持っていなくても、その場でデモ用のグッズをまかなえるようになっている。


極右の主張に対し立場を明確にする独大手メディア


ドイツの大手メディアはAfDに対して反対の立場を明確にしている。AfDに好意的な報道は、自分たちの政党の広報ぐらいである。

特にドイツ公共放送局ARDの報道は皮肉たっぷりに伝えた。
AfDの国会議員が、「ドイツを愛する者がこんなにもたくさんいる!」と力強く演説する姿を放映した後に、「たくさん……というのは約5000人ですが」とコメントし、視聴者の笑いを誘っていた。
もし自分が「外国人」だったら? ドイツ極右デモを目の当たりにして実感した移民排斥への不安
「違法な人間はいない」と書かれたデモ用プラカードを作るスタンド

今回のAfDのデモは、デモ開始前は「戦後最大規模」との触れ込みだったが、結局戦後最大規模には達しなかった。

おかしいと思ったときは、それぞれが声を上げる(上げられる)。すると、いったん考える時間ができ、一方向に転がっていくことを止める機会になる。この民主主義の仕組みは、時に物事が到達するまで時間がかかる結果になるかもしれないが、そこが良さでもあるのだ。
(田中史一)