嘘だと言ってよ、ジャッキー! ファンからの悲鳴が聞こえてきそうな問題作だ。イー・トンシン監督の『新宿インシデント』で、ジャッキー・チェンは今まで演じてこなかった悪役をどっぷりと演じている。
『ドランクモンキー 酔拳』(78)でブレイクして以来、ジャッキーの映画には常にユーモアが盛り込まれ、爽快感のあるクンフーアクションが売りだった。巨大な悪の組織には"七小福"時代からの仲間であるサモ・ハン、ユンピョウとの友情パワーで立ち向かった。そして『プロジェクトA』(83)の時計台ダイブや『ポリス・ストーリー 香港国際警察』(85)の電飾ダイブをはじめとする体を張ったスタントで、世界中のファンのハートを掴んできた。『サンダーアーム 龍兄虎弟』(86)の撮影中に頭蓋骨陥没の重傷を負ったニュースを聞いたときはマジでビビった。
ブルース・リーが『燃えよドラゴン』(73)で「考えるな、感じろ」という哲学的な名言を残したのに対し、ジャッキーはしばし「映画が成功すれば、それはボクの力。失敗すれば、監督のせい」とジョーク交じりにインタビューに答えている。
今回の『新宿インシデント』は90年代に騒がれた日本での中国人不法就労問題を取り上げているが、20世紀後半の中国の激動の民族史を描いたドキュメンタリー映画に『失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン』(02)という興味深い作品がある。このドキュメンタリーの主人公はジャッキーの父親と母親。山東省出身の父親は実は国民党の元スパイで、ジャッキーを愛してやまなかった母親は若かりし頃はアヘンの運び屋をやるなど暗黒界で顔の利く姉御だったという、かなり驚きの内容なのだ。政治体制の変動期にあった中国で生き抜くために2人は必死で、ようやく辿り着いた香港でジャッキーが生まれたという次第だ。
『新宿インシデント』のキャンペーンのためにペニンシュラ東京に滞在中のジャッキーにコメントをもらえる僥倖に恵まれた。気さくなジャッキーは「やぁ、よろしく」とニコニコと日本の記者団に笑顔を投げ掛ける。通訳の言葉は頭の中で瞬時に石丸博也の口調に変換される。
あの~、ジャッキーの両親は香港に来るまで大変なご苦労をされたそうですね。今回のジャッキーの役と重なって見えたんですが、役づくりの上で意識したんでしょうか?
「ん~、それは違うなぁ。
こちらの深読みした質問は、世界のスーパースターに軽くいなされた形となった。
「みんなも知っての通り、アクション俳優の寿命はとても短い。ボクだって、昔みたいな動きを同じようにすることはもうできないよ。それで10年くらい前から、具体的には『The Myth/神話』(05)などで少しずつ今までと違った役に取り組んできたんだ。でも、正直ここまでハードな役には踏ん切りが付かなかった。『ワンナイト・イン・モンコック』(04)を撮ったイー・トンシン監督だから委ねることができたと言えるだろうね」
過去の名声にとらわれないジャッキーは55歳になった今も身軽だ。カメラマンの前で椅子の背もたれの上にぴょんと飛び乗る軽業を披露してみせた。そして、ジャッキーは今回の映画の中でも俳優として思いっきりダイブしてみせた。これまでのスターとしてのキャリアを台無しにしかねない危険なスーパーダイブを。
時代は変わる。ジャッキーも変わる。手を伸ばしても届かないスーパースターの背中を、それでもボクらは懸命に追い掛けるしかない。
(文=長野辰次)
●『新宿インシデント』
製作総指揮/ジャッキー・チェン
監督・脚本/イー・トンシン
出演/ジャッキー・チェン 竹中直人 ダニエル・ウー シュー・ジンレイ 加藤雅也 ファン・ビンビン 峰岸徹 長門裕之 倉田保昭
R-15
配給/ショウゲート
5月1日(金)より新宿オスカーほか全国にて順次公開
http://www.s-incident.com/
●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX
[第9回]胸の谷間に"桃源郷"を見た! 綾瀬はるか『おっぱいバレー』
[第8回]"都市伝説"は映画と結びつく 白石晃士監督『オカルト』『テケテケ』
[第7回]少女たちの壮絶サバイバル!楳図かずおワールド『赤んぼ少女』
[第6回]派遣の"叫び"がこだまする現代版蟹工船『遭難フリーター』
[第5回]三池崇史監督『ヤッターマン』で深田恭子が"倒錯美"の世界へ
[第4回]フランス、中国、日本......世界各国のタブーを暴いた劇映画続々
[第3回]水野晴郎の遺作『ギララの逆襲』岡山弁で語った最後の台詞は......
[第2回]『チェンジリング』そしてイーストウッドは"映画の神様"となった
[第1回]堤幸彦版『20世紀少年』に漂うフェイクならではの哀愁と美学