「6人に4個ずつミカンを配ると、ミカンは何個必要ですか?」という問題、どう答えますか?
6×4=24。24個!
ぼくは、こう答えるでしょう。

でも、小学校では、答えはマルで式はバツになるそうです。
えええええー!
なぜでしょうなぜかしら。
いま小学校では、かけ算は「1つ分の数×いくつ分」の順番で書かないとマルにならないのです。
つまり4×6=24が正解。
納得いかない。
ネット上でも、納得いかない父親をどう説得すればいいのかという質問トピックが盛り上がってたり(かける数とかけられる数)、mixiに「算数「かけ算の順序」を考える」というコミュができてたり(mixiコミュ「算数「かけ算の順序」を考える」)と、幾度も話題になっている。


で、かけ算の順番ってどういうことなの?
ということを考察した本が『かけ算には順序があるのか』だ。
三章構成。
第一章が、まさに上記の「4×6と6×4は違うのか」問題。
いま小学校でかけ算がどのように教えられていて、そこにはどんな歴史があり、数学者たちはどう考えているのかを丁寧に考察していく。
第二章は、九九の歴史。古代中国の文献にあらわれる九九のエピソードからはじまり、九九がどのように教えられてきたのかという歴史に迫る。

第三章は「なぜ2時から5時までは3時間で、2日から5日までは4日間なのか」という謎。たしかに言われるとどうしてだろう?と疑問符がむくむくわきあがってくる問題を考察。分離量・連続量という概念を導入して解説する。

で、かけ算の問題は、いったいどうなのか?
“mixiの「算数「かけ算の順序」を考えるコミュの管理人の積分定数さんが、文科省に電話して問い合わせた際も、文科省としては、「かけ算の式には順序があるという指導をしていないし、順序はどちらでもいいという指導もしていない」という回答だった”らしいのだ。
じゃあ、どうして順序が違うと×になるなんてことが起きているのか?
算数教科書を発行している出版社が教師用に出している「教師用指導書」のすべてに、“かけ算の式の順序を教えるように”と書かれているのだそうだ。
なんで、そんなに順番にこだわる必要があるのか?
このあたりの経緯の詳細は、ぜひ本書を読んでほしいのだが、がっつり大雑把に示すと以下の通り。


かけ算の意味を教えたい(「同じ数のもの」が「いくついくつある」ときに「ぜんぶの数」を求める新しい計算である!)

「同じ数のもの(1あたり分の数)」「いくつある(いくつ分)」の2つの関係をとらえたうえで式をたてるよう指導する。

その時に「1あたり分の数」×「いくつ分」の順で書けという約束を作った。

その約束通りに書いてないものはバツとする。

ってことらしいのだ。
では、その約束は、守らなければ不正解とすべき普遍性があるのか?
本書は、「それはねーよ!」という具体例を挙げている。
英語ではどういう順番なのか。
数学者はどう考えているのか(“遠山啓、矢野健太郎、森毅の3人とも、6×4でも4×6でもどちらでもいい”)。
そもそも、「1あたり分の数」「いくつ分」は厳密に分けられるのか。“最初に6人の子どもに1個ずつ配ると6個必要で、それが4回繰り返す”と考えれば、逆に書いても、順番の約束を守っていることになる。

かけ算の順序問題が興味深いのは、ただ数学としてだけではなくて、教える側と教わる側のコミュニケーションの問題がふくまれるからだろう。

“3匹のウサギの耳はいくつか、という問題に、「3×2」という式を書いた子どもに、「ウサギの耳は3つなの」と嫌がらせ的な反問をする教師がいる”

「1あたり分の数」「いくつ分」の関係を理解してもらうために、「1あたり分の数」×「いくつ分」の順で書いてみようというその場のルールを設けるのは良いとしよう。それは教え方のひとつとしてありかもしれない。
でも、その教える側の都合をずっと押しつけたまま、テストの採点まで影響させるというのは傲慢だ。

でも「受験ではバツになるのですよ、そうなったとき責任取ってくれるんですか」という書き込みがネットにあって、驚いた。
「他人事だから言えるんだよ」という誹りを受けるであろう前提で言うけど「今、そんなくだらない理由で選別するファッキンな学校に行ったって、しょうがないだろ、マジで」。
(米光一成)