
「死体」と「シタイ」のダブルミーニング
私立欅坂学園3年C組は、文化祭でお化け屋敷を出すつもりが、けっきょく準備が間に合わないまま開催当日を迎える。担任の徳山大五郎(嶋田久作)の死体の発見からすでに7日が経っていた。この日、徳山殺しの「犯人」が、クラスメイトのひとりであることが判明する。それもかなり意外な人物だった。
一体、殺害の動機は何だったのか。クラスメイトらから問い詰められ、「楽しくなるかなと思ったから」と答える彼女。しかしそれは快楽殺人といったものでもないらしい。彼女の弁解はこうだった。
「死体がきっかけで、長濱(ねる)さんは毎日学校に来れるようになったよね?」
「菅井(友香)さんが裏口入学の疑いが晴れたのも、死体のおかげでしょ?」
「ほかのみんなも色々あったじゃん。死体が出てきて、自分の殻を破れた気がしない?」
「死体のおかげでクラスが活き活きしたと思わない?」
これには当然ながら、みんなから反発を食らうのだが、彼女はここで、それまで相手にされてこなかった自分が、死体のおかげでやっとクラスの仲間に入れてもらえたのだと打ち明ける。そして「この楽しい時間がずっと続けばいいって……思ってた」と目を真っ赤に泣き腫らしながら謝るのだった。
詭弁といえば詭弁だが、しかし彼女の言うことはあながち間違いでもない。
ちなみにこのドラマのサブタイトルは、最終回こそ「シょっぴきタイ」と変則的になっていたとはいえ、「隠シタイ」「騙シタイ」「裁判シタイ」などという具合に毎回「シタイ」と入っていた。つまり“死体”と“行動への願望”のダブルミーニングというわけだ。何のことはない、テーマはすでに第1回からずっとほのめかされていたのである。
橋部、グッジョブ!
と、ここまで「犯人」とカギカッコ付きで書いてきたとおり、じつは彼女は真犯人ではなかったことが、このあとあきらかにされ、まずはめでたしめでたしということになる。ただし、これまでの徳山の死体の扱いからすれば、このクラスにいる全員が罪を免れないことになってしまうわけだが……さて、どうなったか。
生徒たちが後片付けをしていると、気づけば教室から徳山が消えていた。そのとき、教室の前の廊下を学園の用務員兼副理事長の橋部(今野浩喜)が台車を持って通りかかる。台車のうえには、以前徳山をいったんグラウンドへ埋めにいった際、死体を包み隠すのに使ったブルーシートとロープが。そこへキャンプファイヤーの開始を伝える校内放送が流れる。ということで、徳山がどうなったかは察しがつくだろう。
新たなドラマのはじまり……?
すべてが終わり、教室の窓から生徒たちがキャンプファイヤーを眺めていると、
「この一週間はさ、徳山なりの最後の授業だったのかな」
「そういうのいる?」
「みんな、先生にありがとうって言わない? ねえ、言わない?」
「おいおい誰か止めろよ」
などと、マジに話をまとめたがる声とそれにツッコむ声が交互にあがる。シチュエーションとしてはもろ青春ドラマだが、醒めた視点がパロディめいている。
そうしているあいだに徳山は燃え尽き(たぶん)、エンドロールが流れる。あれ、クレジットに田中要次ってあったけど、どこに出てたっけ? と思っていたら、何とエンドロールのあと、田中が思いがけない形で登場した。いかにも新たなドラマのはじまりを予感させるように――。
終わらない文化祭=アイドル
それにしても、犯人とされた彼女の「この楽しい時間が、ずっと続けばいいって思ってた」というセリフといい、最終回が文化祭だったことといい、そしてラストで物語のループを予感させるところといい、どうも既視感があるなと思ったら、押井守監督のアニメ映画「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」と似ているのだ。
思えばあの映画も、仲間といつまでも一緒にいたいというヒロイン・ラムの願望から、学園祭が延々と続くというストーリーだった。そもそも卒業というシステムが採用されて以降のアイドル自体が、終わらない文化祭みたいな存在になっているわけで、そう考えると、このドラマは一種のアイドル論になっていたのだなと思う。
余談ながら、平手友梨奈の出身地でもある私の住む県では、このドラマの終了にともない地上波から欅坂46のレギュラー番組がなくなってしまった。ここはぜひ東京のキー局制作の番組をネットしてもらうか、新たな番組が始まることを期待したい。
(近藤正高)