歴っしゅ! 歴ドル美甘子です。「ラブラブ♡偉人伝」今回のテーマは、戯曲「月形半平太」のモデルになった「武市瑞山(半平太)と富子夫婦」です。
時は幕末。土佐勤王党の盟主としての厳格な一面とは違った、瑞山の恋愛面でのもう一つの顔を探っていきます!

「月形半平太」のモデルにもなった武市瑞山(半平太)と富子夫婦 【歴ドル美甘子のラブラブ♡偉人伝】
武市瑞山(瑞山記念館・著者撮影)


武市瑞山は文政12年、土佐藩に生まれます。通称は半平太。坂本龍馬と親戚関係にあり、身分は土佐藩独特の上士と下士の中間にあたる白札格でした。
冷静沈着で皆から一目置かれる優等生。文久元年8月に土佐藩の同志の団結を計画し、土佐勤王党を結成します。


「月形半平太」のモデルにもなった武市瑞山(半平太)と富子夫婦 【歴ドル美甘子のラブラブ♡偉人伝】
晩年の武市富子夫人(瑞山記念館・著者撮影)


妻の富子は天保元年、土佐藩郷士の島村雅風の長女として生まれ、嘉永2年に瑞山の元へ嫁ぎました。

武市瑞山(半平太)の人格は素晴らしく、色白で美形、背も高かったそうで、後に行友李風の戯曲『月形半平太』のモデルになりました。
「月様、雨が…」
「春雨じゃ、濡れてまいろう」
色男半平太のこの粋な名台詞、有名ですよね。演劇の中では、お茶屋遊びに興じて京都の先斗町辺りで浮き名を流していましたが、実際の暮らしぶりは慎ましく、女性に対しては潔癖とも言えるくらい真面目で、妻を大変大事にする稀にみる愛妻家でした。

「月形半平太」のモデルにもなった武市瑞山(半平太)と富子夫婦 【歴ドル美甘子のラブラブ♡偉人伝】
月形半平太(角川映画HPより)


子どもは居なくても、君が居ればそれでいい!



妻、富子は二十歳の時に瑞山の元に嫁ぎ、13年の間一緒に仲睦まじく夫婦生活を送りましたが、唯一の心配ごとが子宝に恵まれないことでした。

ある時、武市夫妻に子どもがなかなか授からないことを心配した、土佐藩同志の吉村虎太郎が、瑞山のためにと、富子に七去(しちきょ)を説き、離縁できる七つの理由の中に、子宝に恵まれない事も含まれていたため、少々強引に実家に帰らせました。その隙に瑞山の屋敷へ次々と若い娘を送り込んだのです。
瑞山は娘には誰一人として手を付けず、吉村の計略に気づいて、厳しく叱責しました。吉村としては瑞山に良かれと思ってした事でしたが、これが裏目にでてしまいました。お節介が少々行き過ぎてしまいましたね。
その時の富子の気持ちを思うと、大変辛かったと思いますが、愛する主人のためには子孫を残したほうがいいとぐっとこらえて、実家に帰ったのでしょうね。瑞山はすぐに、「子どもは居なくてもいいんだ、君が居ればそれでいいんだよ!」と富子を実家から呼び戻しました。かっこいい!これは月形半平太の台詞にあっても良さそうですね。
富子はすごく嬉しかったはずです。ますます瑞山に惚れ込んだことでしょう。


現代は男女共に晩婚化が進み、特に女性においては子どもを産むことのできる年齢のリミットは、医療の進歩があるとはいえ、大変デリケートな問題です。そこで、こうしたことがあったときに、如何に女性の立場にたって考えて、優しく対応する事ができるか。瑞山のように思いやりのある男性が増えてくれることを切に願います。

完璧過ぎないところがいい!愛すべき、唯一の欠点!?



瑞山は剣の腕前も素晴らしく江戸では鏡心明智流の士学館、桃井道場の塾頭を務めたほど。芸術文化への教養も深く、指導者として一目置かれ、瑞山先生と皆から先生をつけて呼ばれ、慕われていました。

そんな瑞山にも、唯一の欠点がありました。
ある時瑞山が蔵の中で、大好きな浄瑠璃の義太夫節を小声で語っていると、それが大変音痴だったのです。妻の富子は晩年にこう語っています。
「非常に不器用な人で、撃剣は朝から晩まで遣ったが、あるとき義太夫を稽古して唸りました処、それはそれは下手の骨頂で、節も文句も滅茶々々でした」
大好きな浄瑠璃を気持ちよく語っていたら、妻富子に「節も文句も滅茶々々」と、散々な言われよう。でも可笑しいですね。いつも完璧な瑞山のみせるチャーミングな欠点!? に富子もホッコリしたことでしょう。


これは男女共に言える事ですが、常にカッコつけたり完璧すぎると、スキがなさ過ぎて警戒されたり、自分では叶わないと思ってあきらめられてしまうことがあると思います。服装だったり、持ち物だったり、会話だったり、相手がホッと安心できるスキをうまく作ることが大事ですね。

寂しい時にはコレを見て。獄中からの自画像!



「月形半平太」のモデルにもなった武市瑞山(半平太)と富子夫婦 【歴ドル美甘子のラブラブ♡偉人伝】
「獄中自画像」 高知県立歴史民俗資料館蔵(Wikipediaより)


土佐勤王党を率いて、土佐藩を尊王攘夷論に転換させた瑞山でしたが、八月十八日の政変により、政局が大きく変わり、土佐藩主山内容堂の命により投獄されてしまいます。投獄後、瑞山は自分の留守宅に訪ねてくる牢番にも酒を振る舞い、もてなすようにと、富子に手紙を送ります。富子は瑞山の言いつけ通り、牢番をもてなし、瑞山が投獄された1年9ヶ月の間、毎日三食の手作り料理を差し入れました。
瑞山へ宛てた手紙には単調な牢獄生活を慮り、四季折々の草花の絵や、自作の押し花を入れたり、瑞山に無駄の時間のないようにと、本や絵の道具も差し入れました。富子の健気な行動に牢番も心を打たれ、ある時、「男装して忍び込んでくれれば、面会を許可しよう」と言います。富子はそれはそれは喜びましたが、ハッと我に返り、「もしこの事が発覚して夫の身に何かあってはいけない」と考え直し、申し出を断りました。それを聞いた瑞山は「会いたい事は百も承知、よくぞ断念してくれた」と富子の対応を褒め、寂しいときはこれを見よと、富子に差し入れてもらった絵の道具で自画像を書いて送りました。現代まで残っているこの瑞山の獄中自画像。富子が大切にして残していたからこそ私たちが見ることができるのですね。

牢番達も瑞山に心打たれ、同志からの秘密の書簡をやり取りさせてくれたり、酒や鰻、煙草や季節の花々なども競うように差し入れたそうです。瑞山は実は鰻が嫌いだったそうですが、牢番の気持ちに応えるために、おいしいと答えたら、毎回牢番が鰻を持ってくるので困った…なんていう話も富子宛の手紙に書いてあります。

「月形半平太」のモデルにもなった武市瑞山(半平太)と富子夫婦 【歴ドル美甘子のラブラブ♡偉人伝】
瑞山切腹の図(瑞山記念館・著者撮影)


獄中でも、牢番や、妻に対する思いやりをわすれない瑞山。素晴らしいですね。
瑞山が投獄されている間は、富子は自宅で瑞山と同じように過ごすと決め、板の間で寝起きし、寒い冬も布団を使いませんでした。瑞山の手紙により、最期が近いことを悟ると、用意していた手縫いの白装束や裃などを送ったそうです。瑞山は富子の心遣いに感謝し、三文字切腹で見事に果てました。

「月形半平太」のモデルにもなった武市瑞山(半平太)と富子夫婦 【歴ドル美甘子のラブラブ♡偉人伝】
武市瑞山・富子夫婦のお墓にて(著者撮影)


現在、高知県高知市にある武市瑞山のお墓の隣には、富子の墓も並んで建てられています。獄中生活で離ればなれになっていた二人ですが、天国で一緒になっていることでしょう。

現在では遠距離恋愛中でもSNSの発達によって、無料でテレビ電話ができたり、昔よりは寂しさを感じなくなっているかもしれません。けれど、瑞山の似顔絵のような、手で触る事の出来る、好きな人の身代わりや大切な物。プレゼントや手紙でもいいのかもしれませんが、そういった特別なギフトがお互いにあると素敵ですよね。ぜひ、男性の皆様も瑞山先生の愛と優しさ溢れる一面を参考にしてみてくださいね。