空に浮かんだ気球に広告が描かれたもの、これがアド・バルーンである。
アドバルーンは広告を意味する「ad」 と気球を指す「balloon」を組み合わせて作った和製英語で発祥の地はわが日本。
18世紀にフランスのモンゴルフィエ兄弟によって考案された気球が明治に入り日本でも作られるようになり、明治33年には山田猪三郎(34歳)が日本最初の日本式係留気球を製作、特許を取得している。
日本初のアドバルーンは大正2年5月に東京日本橋に揚げられた。広告主は「レイト化粧品」なる会社。その後森下仁丹などもアドバルーンを揚げるようになり、大正8年にはクジラ型の変形アドバルーンも登場したらしい。
この頃は気球そのものに文字を書くのが主流だったが、大正10年に気球から文字の入った旗をつける画期的なアイデアが登場。これは地上の人々の目にもよく見えたことからアド・バルーンの広告効果は広く認知されるようになった。
このアイデアを考え出したのは大正8年に神田で広告業を始めた水野勝蔵氏。現在もアド・バルーン製作をしている銀星アドの創始者である。当時地上の広告には税金がかかっていたが、空には税金がかからず広く開放されているというのがアドバルーン開発の大きな動機だったとか。
昭和33年、在日外国人向けの月刊雑誌『今日の日本』(3月号)にアドバルーンに関する記述がある。
「ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルやパリのエッフェル塔と同じくアド・バルーンは東京の空の特色である。摩天楼のない都会の空に浮かんだこの『掲示板』は広告界に貢献した日本独特のものである……」
バブル崩壊後、アドバルーンを揚げる企業は減ったそうだが、まだまだマンションのモデルルームの広告や屋内イベントの装飾として活躍している。
アドバルーンは広告を意味する「ad」 と気球を指す「balloon」を組み合わせて作った和製英語で発祥の地はわが日本。
18世紀にフランスのモンゴルフィエ兄弟によって考案された気球が明治に入り日本でも作られるようになり、明治33年には山田猪三郎(34歳)が日本最初の日本式係留気球を製作、特許を取得している。
日本初のアドバルーンは大正2年5月に東京日本橋に揚げられた。広告主は「レイト化粧品」なる会社。その後森下仁丹などもアドバルーンを揚げるようになり、大正8年にはクジラ型の変形アドバルーンも登場したらしい。
この頃は気球そのものに文字を書くのが主流だったが、大正10年に気球から文字の入った旗をつける画期的なアイデアが登場。これは地上の人々の目にもよく見えたことからアド・バルーンの広告効果は広く認知されるようになった。
このアイデアを考え出したのは大正8年に神田で広告業を始めた水野勝蔵氏。現在もアド・バルーン製作をしている銀星アドの創始者である。当時地上の広告には税金がかかっていたが、空には税金がかからず広く開放されているというのがアドバルーン開発の大きな動機だったとか。
昭和33年、在日外国人向けの月刊雑誌『今日の日本』(3月号)にアドバルーンに関する記述がある。
「ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルやパリのエッフェル塔と同じくアド・バルーンは東京の空の特色である。摩天楼のない都会の空に浮かんだこの『掲示板』は広告界に貢献した日本独特のものである……」
バブル崩壊後、アドバルーンを揚げる企業は減ったそうだが、まだまだマンションのモデルルームの広告や屋内イベントの装飾として活躍している。
アドバルーンという言葉は製作者側が作った言葉ではなく一般の人々によって昭和7、8年頃から使われるようになったものなのだそうだ。ちなみに「アドバルーンを揚げる」という言葉があるのをご存知でしょうか? 意味を知りたい方はこちらでどうぞ。(こや)
編集部おすすめ