節分の夜に十字路で「厄落とし」をした
(上)数えで33歳なので、33円と33個の大豆を紙で包み、十字路へ。(下)私の大事な厄落とし現場。白い包みがちょっと目立ちますが、犬の散歩をする人、この紙にうんこなどさせないでくださいね。本当に。
1月初旬放送の「松紳」で、今年が厄年という松本仁志のために、全国各地のユニークな厄落とし方法が紹介されていた。

「早朝に見知らぬ人に声をかける」など、気になるものがいくつかあった中で、私がいちばん興味をひかれたのは「節分の夜に、十字路に物を捨てる」という方法である。
これは、鳥取県などの厄落とし行事で、何を捨てるかについては、「お金」「大豆」「自分の大切なもの」など諸説あるようだ。ちなみに、番組内では千原Jr.が「稼ぎに応じて」として、松本仁志に「4100万円捨てろ」と指示していた。

実は私もいま31歳、数えで33歳の「本厄」である。ぜひ厄落とししたいが、千原Jr.の法則に従うなら、自分あたりは33円が妥当な線か。それとも、大盤振る舞いしたほうが効果はあるのか? とにかく待ってろよ、十字路。

調べてみると、鳥取県の広報のメルマガ「とっとり雑学本舗」に「厄年にあたる人が、節分の晩に自分の年の数だけの豆と、一文銭などを紙に包み十字路にもっていって人目につかないように落として帰るというものです。帰るときはあとを振り返らないというのがしきたり」とあった(詳しくは『鳥取の民俗365日』(鶴田憲弥著)、『因幡・伯耆の年中行事』(霧林道理著)などに記述がある)。

一文銭はないので、なんとなく33円と大豆を33個、紙に包み、自宅近くの十字路に落とすことにした。ただし、十字路にはコンビニがあり、人通りも多いので、人のいない時間を見計らって行なわなければならない。

午後11時。大豆と33円の包みをポケットにしまい、十字路へ向かった。人はぽつり、ぽつりと通る程度だ。
多少、周りに目を配りつつ、人目がないのを確認し、素早く十字路にある民家の植え込みに包みを落とした。不審人物だろうか。紙が白いので、若干目立つかもしれないが、気にしない。落とした後は、ルールにのっとって振り返らず、逃げるように帰宅した。

こうして、「厄落とし」は拍子抜けするほど簡単に終了した。大変な思いを経験していないだけに、厄から逃れられる実感には乏しいが…。
 
鳥取県広報に問い合わせると、この十字路の方法は「現在は行なわれていないんじゃないでしょうか」とのこと。さらに、鳥取県立博物館に確認してもらったところ、こちらでも「現在行なっているという話はきかない。ただ、紙の中身が大豆の場合は、現在も行なっている可能性がある」ということだった。

本当に厄が落とせたのかどうかは、ゆっくり長い目で見守っていきたい。(田幸和歌子)
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