ニュージーランドの「ヒロシマ・デー」
ニュージーランドの「ヒロシマ・デー」は今年で30回目を迎えた。
8月になると、ニュージーランドでは「Hiroshima day(ヒロシマ・デー)」という言葉をよく見聞きする。広島に原爆が投下された日、つまり、世界で最初に原爆が投下された8月6日を「ヒロシマ・デー」と呼び、まるで自国の歴史のように、さまざまなメディアで取り上げられるからだ。
最初のうちは、「ニュージーランドと広島」と言われても、いまいちピンとこなかったが、ニュージーランドが「非核国家」であることを知り、なるほどと納得。この国には核兵器も原子力発電所もなく、原子力船の寄港さえ禁じている。つまり、広島に投下された原爆こそが、非核の原点なのだ、と。

観光地としても有名なクライストチャーチでは、1976年以降、毎年、原爆で犠牲になった広島の人々を追悼する集会が開かれている。この時期になると、ほかの国でも、平和集会が行われるが、ニュージーランドのように、原爆の被災地である広島をクローズアップし、現地の人がコーディネートをしている集会はあまり聞いたことがない。

今年、わたしはその集会に参加した。
市の中心にあるヴィクトリア公園で午後5時にスタートしたが、8月といえば、南半球のニュージーランドはまだ真冬。肌寒いなか、約300人もの人々が集まり、「ヒロシマ・デー」への関心の強さをうかがわせた。

反核活動家たちの演説、原爆をテーマにした詩の朗読、現地の日本人と広島から招待された小学生約20人による『上を向いて歩こう』の日本語での合唱など、予想していた以上の充実した内容。終戦直後に広島を訪れたという、御年90歳のニュージーランド人のお話も聞けたが、聴衆の中からはすすり泣く声や、「ノー・モア・ヒロシマ」という声がしていた。日本から遠く離れたニュージーランドで、原爆で亡くなった日本人のことを想い、悲しみ、涙する人たちがいる。日本人として、何度も熱いものがこみあげてきた。


「ノー・モア・ヒロシマ」は、国境を越えた切なる願いなのだと、ここニュージーランドで痛切に思った。(畑中美紀)