実録『アルカトラズからの脱出』を知る人に遭遇した
(写真上から)<br>これがアルカトラズ島。<br>自書にサインをするクーン氏。<br>未だ見つからない3人の手配写真。<br>当時の様子が再現された独房
サンフランシスコ湾沖に浮かぶアルカトラズ島は、草木も育たないような岩ばかりの無人島だった。
ゴールドラッシュの時代、要塞が造営され、アメリカ大陸太平洋沿岸最初の灯台に灯が点され、陸軍懲戒用兵舎を経て、連邦刑務所アルカトラズ刑務所、通称「ザ・ロック」へと生まれ変わった。


島を取り巻く過酷な自然環境と厳重な警戒により、アルカトラズ刑務所は、脱獄絶対不可能の最終刑務所とされていた。そのため主に凶悪な強盗犯や殺人犯や政治犯、マフィアの親玉アル・カポネも投獄されていた。

しかしその伝説も破られる日がくる。1962年6月、14名の囚人が脱獄を図り、未だ3名が発見されていない。クリント・イーストウッド主演映画『アルカトラズからの脱出』は、この事件を基に作られているので、詳しいことはその映画をご覧あれ。

その後いろいろあって、今ではすっかり様変わりし、国立公園として格好の観光スポットになった、アルカトラズ刑務所のブックストアで、にこやかに自書「Alcatraz」にサインをされているダーウィン・クーン氏は、今では数少ない当時を知る人物の一人。彼は、1934年に始まり1963年に閉鎖されるまでに収容された1545人の内、1422番目の囚人だった。

自書によると、決して幸せでなかった子供時代を過ごしたクーン氏は、ご多分に漏れずギャングとなり、仲間数人と銀行へ押し入ったが、敢えなく御用。懲役約30年を言い渡され、1959年にアルカトラズ刑務所へ送られた。
そこで、脱獄を図ったフランク・モリスとアングリン兄弟らと出会う。

私も他の観光客に混じって、購入した本にサインをしてもらった。そして「今まで何千何万と同じ質問を繰り返されてきたんだろうなぁ」と遠慮ながら、やはり同じ質問をしてみた。


「未だ見つからない3人は、無事にメキシコにたどり着いたか、マイアミに戻ってきているかもしれない」

「一緒に脱獄しようとは思わなかったのか?」の質問には、曖昧にしか答えてくれなかったが、彼らが海へ逃げる際使ったとされる、浮き輪の材料になったレインコートは、自分がやったものだとおっしゃっていた。

事件の翌年、財政理由からアルカトラズが閉鎖された後、クーン氏は別の刑務所へ護送される。その時の写真が、パネルで展示されていた。

出所後キリスト教会へ入り、後に奥さんとなる女性と運命的な出会いをする。
そして今は、奥さんと二人で、親が刑務所等に入って不在の家庭の子供たちのための、里親施設を運営されているそうだ。

74歳になるクーン氏は、出所以来決して近づこうとしなかった、かつて自分が過ごした独房を、今年初めて訪れたのだそうだ。
にぎやかな観光客に混じって、生きて出られないだろうと覚悟していた独房に座る彼の、胸の内に去来する思いはどんなだろうと、柄にも無くシリアスに考えてしまうのだった。
(チン・ペーペー)

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