その事件が起きたのは、今からちょうど50年前……。
甲府星人と徳タケ喜一さん(写真提供:一般社団法人「UFOKOFU1975」)
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
1975年(昭和50年)2月23日のことでした。場所は山梨県甲府市上町。時間は午後6時少し前、小学2年生のK君とY君は、自宅近くの公園でローラースケートをして遊んでいました。
その時、K君が東の空にオレンジ色に輝く大小2つの飛行物体を見つけます。1つは北へ遠ざかりましたが、もう1つは二人の上空にやってきて、団地の高さほどの低空に浮かび、その姿は明らかに空飛ぶ円盤でした。二人が近くのお寺に身を隠していると、それはどこかへ飛び去ってしまいました。
「あれ、UFOかな。なんだろうね」
あたりがすっかり暗くなって、家に帰る途中、ブドウ畑でオレンジ色に光るモノを見つけました。引き寄せられるようにブドウ畑に入っていくと、なんと、そこには! 銀色のUFOが着陸していました。
好奇心旺盛な二人は左右に分かれてUFOを観察していると、K君の目の前で突然「ガチャン」という音がしました。すると機体の一部が開き、中から階段がスルスルと伸びて、不気味な姿をした宇宙人が現れます。

二人の少年が目撃した宇宙人を元に製作された甲府星人(写真提供:一般社団法人「UFOKOFU1975」)
身長は130センチほど。
この時、UFOの反対側にいたY君は、宇宙人が現れたことを知りません。Y君は、不意に後ろから……、ポンポンと2度肩をたたかれます。
振り向くと目の前に、宇宙人の顔! あまりの恐怖にY君は、腰を抜かし、その場にへたり込んでしまいました。そのY君をK君が助け起こし、二人は走ってその場から逃げ出します。
家に帰った少年たちは、「UFOだ! 宇宙人がいる!」と興奮して話し、家族で再びブドウ畑に行くと、まだオレンジ色の光が点滅していましたが、近づくとその光は闇の中へ吸い込まれるように消えていきました。
この目撃事件は、山梨日日新聞に報じられ、その後、テレビ局の取材を受け、「宇宙人に肩を叩かれた小学生」として一躍、時の人となりました。ところが、こうしたUFO目撃事件は「嘘だろう」「子供の作り話だ」などと疑われ、それ以来、二人は口をつぐみ、真相を語ることはありませんでした。

二人の少年が目撃した宇宙人を元に製作された甲府星人(写真提供:一般社団法人「UFOKOFU1975」)
昭和50年2月23日に起きた「甲府UFO事件」から50年……。
徳タケさんは千葉県生まれの37歳。子供の頃からラジオと妖怪が大好きでした。
「父からもらったラジオで、首都圏各局のラジオ番組をいろいろ聞いていて、高校生の頃、電話リクエスト番組にメールがよく採用されたこともあって、いつかラジオ局で働きたいなぁ、という思いがありましたね」
20代の頃、大手のCDショップに勤めた徳タケさんは、「エフエム富士」がスタッフを募集していることを知り、すぐに応募。29歳の時、ADで採用されます。現在はディレクター、そして毎週土曜日午前0時から放送の、妖怪専門番組「妖怪TALK」のパーソナリティを担当されています。妖怪とUFOの関係を伺うと……。

「甲府UFO事件」の現場に設置された、宇宙人に肩を叩かれる「顔はめパネル」と徳タケ喜一さん(写真提供:一般社団法人「UFOKOFU1975」)
「UFOは、江戸時代などにも目撃されているという記録があるんですよ。当時は『虚舟』などと呼ばれ、宇宙人やUFOは妖怪と同じように扱われていたと思われます。
その活動ですが、徳タケさんと一緒に活動する仲間たちは、二人の少年が目撃した宇宙人を「甲府星人」と名付け、商標登録し、クラウドファンディングで、着ぐるみやグッズを制作。また地元の和菓子屋さんと協力して「甲府UFOどら焼き」を作りました。
2023年、一般社団法人「UFOKOFU1975」を設立。さらに、2月23日を「甲府UFOの日」という記念日を制定しました。事件が発生した場所には「顔はめパネル」や事件を説明したプレートを設置し、UFOの聖地にしていこうと盛り上げています。
2月23日、「天皇誕生日」で「富士山の日」でもあるこの日。甲府市内で、『甲府UFO事件』の50周年を記念したイベントが開催されます。もしかすると、この日、50年ぶりにUFOが現れて、あなたの肩を叩くかも……。
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