ニッポン放送でお送りしている『NEXT STAGEへの提言』。
仲代達矢、上柳昌彦アナウンサー
この番組は、日本を代表する各界の著名人が毎週登場。
1932年東京都出身。俳優座付属の養成所に4期生として入所。1955年に卒業し、俳優座に入団。1975年には、俳優養成所の「無名塾」を妻・宮崎恭子さんと設立。無名塾からは、役所広司さんなどを輩出。2015年には文化勲章した。
俳優である仲代は“役者”という肩書を大切にしているという。そのわけを訊いた。
仲代:自分以外の何かになって、役によって、変わっていかなきゃいけない。
仲代達矢といえば、日本映画史を代表する黒澤明監督の名作「七人の侍」に出演した経験も。仲代が、俳優座養成所時代に、通りすがりの侍役として、ほんの“数秒”の出演となったのだが、その収録の様子が、いまも忘れられないという。
仲代:通りすがりの侍として出演しました。ただ歩くだけですよ。セリフはないんです。これが黒澤明先生はね、永遠と半日やらせるんですよ。朝から昼間、(七人の侍の)早々たる先輩みんな待たせて。地獄ですね。(黒澤明監督から)「役者なんかやめろ」って言われながら。
その後、黒澤明監督は映画「用心棒」で、主演の三船敏郎の相手役として、仲代をキャスティングすることになるが……。
仲代:(黒澤明監督から)「用心棒」の出演オファーがあったとき、実はお断り申し上げたんです。(黒澤明監督が)「なんで断るんだ」って聞かれて、私は「実は七人の侍に出演した時、侍役が散々で、ダメだと思ったので。私は侍やめようと思ってますから」と、断り申し上げました。すると(黒澤明監督が)「あれだけやったから俺は、お前を抜擢するんだよ」と言われました。でもね、それでも断りました。台本見たら面白い役なんですよ。こんなものは私できませんから。七人の侍の時、ただ歩くだけの役でも、できなかった。
最後に、次の世代に向けた提言を伺った。
仲代:妻(宮崎恭子=筆名:隆巴)の言葉を贈りたいと思います。「ただ頑張ってねと言っても、どう頑張っていいかわからないでしょう。頑張るって、皆が仲良くすることよ。頑張ることの中心は、愛なの。最後の言葉、隆巴」。これを、若者に向けた提言にしたいと思います。