◆“歌の相撲”五百年ぶりの復活
(A群) (B群)
・歌垣 ・方人
・連歌 ・筑波山
・歌合 ・歌仙
A群とB群の関係ある事項を棒線でつなげ、という問題がもしあったら出来るだろうか。A群の事項を古い順に並べよ、はどうか。
この本を読むまではとても無理だった。まず歌合と方人(かたうど)がつまずきの石。
古い順にいうと歌垣、歌合、連歌で、歌垣は筑波山、連歌は歌仙、歌合は方人とつながる。歌垣、歌合、連歌の三つについて、受験知識じゃなく、実感として、臨場感をもってイメージできる人は、日本文学史の専門家でもまれではなかろうか。
今や中国雲南の少数民族などに細々と伝わるにすぎない歌垣は別にしても、連歌のような江戸時代に盛んに行われたものでも、近年の丸谷才一、大岡信など諸歌仙による連歌巻戻し運動のおかげで、なるほどこういうことをして若き日の芭蕉なんかは楽しんでいたのか、とようやく実感できる。
さいわい連歌は巻き戻されたが、歌合となると、室町時代を最後に途絶え、以後五百年、空白がつづく。
たいていのことは五百年もやってないと、再興しようったってどこから手を着けたらいいか分からないし、だいいち関心のありどころが完全にズレているからそんな気にすらならない。
ところが日本の歌というのは不思議なものらしく、一九九六年三月三十日、天気雨、二十人の現代歌人がやろうとしたら見事に出来てしまったのだった。世の中はチロリに過ぐる五百年。
この本『短歌パラダイス 歌合二十四番勝負』(岩波新書)はその記録にして、かつ、歌合ルネッサンス宣言の書である。
歌合を簡潔に言うと、“歌の相撲”だ。
さて方人を呼び出そう。
陣営は〈紫〉と〈くれない〉。五百年ぶりの復活第一番勝負の題は「海」。
紫:奪うため破壊するため(力あれ)海道をゆく倭寇のように 〔田中槐(えんじゅ)〕
くれない:連綿と海老の種族を生みだしてわが惑星(プラネット)のくすくす笑ひ 〔井辻朱美〕
この二歌について、両陣営の念人たちの言葉の矢が土俵上を飛びかう。
紫の俵「ほんと読んでると力が湧いてくる歌ですよね」
くれないの岡井「ほんとうに力ありますか?(笑い)むしろあの括弧つきの(力あれ)はポストモダン系統なんじゃないかな。
紫の道浦「お言葉を返すようですが、いま地球規模での環境破壊とか、命の危機がうたわれている中で“くすくす笑ひ”は呑気(のんき)すぎるんじゃないですか」
などなど各陣営、熱弁、詭弁を十重二十重に重ねて、さて判者の軍配は、
高橋「くれないの海老の方をとります。海老の方がイメージとしてはっきりと一つの形象を結んでくるんですね」
歌にうとい私にも、向こう正面から著者の小林恭二がしてくれる実況中継と解説は、知らなくても読むと止められない碁の観戦記と同じように、文としてとても面白く読めた。歌合が文学というよりゲームとしての性格が濃いからだろう。大陸とくらべた時の日本の伝統的文学のきわだつ特色として“色恋”を指摘したのは丸谷才一だが、“ゲーム性”も加えていいように思う。
最後に文句を一つ。歌合の会場の写真が載っているのだが、その光景たるや郷土史研究会の発表会というか、不正融資の理事長を問いつめる組合員の集まりというか。いずれがアヤメカキツバタの現代女流歌人のあで姿がちゃんと映えるようにしてほしい。次なる課題は歌合復活にふさわしい華のある座の設定です。
【この書評が収録されている書籍】
![“歌の相撲”五百年ぶりの復活](http://imgc.eximg.jp/i=https%253A%252F%252Fs.eximg.jp%252Fexnews%252Ffeed%252FAllReview%252Fa8%252FAllReview_00004255%252FAllReview_00004255_2.jpg,quality=70,type=jpg)
【書き手】
藤森 照信
建築史家。建築家。
【初出メディア】
毎日新聞 1997年5月25日
【書誌情報】
短歌パラダイス―歌合二十四番勝負著者:小林 恭二
出版社:岩波書店
装丁:新書(256ページ)
発売日:1997-04-21
ISBN-10:4004304989
ISBN-13:978-4004304982