『艸木虫魚』(岩波書店)著者:薄田 泣菫Amazon |honto |その他の書店

◆飄々たる名文の禅味
薄田泣菫という詩人は、その実、詩人としてよりも、随筆家として巨大な足跡を残した人であった。

私の愛読書のなかの愛読書『茶話(ちゃばなし)』は、その代表的名品で、これさえあれば、ひと夏の無聊を慰めることなどわけもないが、もう少し手軽に泣菫の世界を味わうには、『艸木虫魚(そうもくちゅうぎょ)』に目を曝すのがよろしい。


随筆というものは、畢竟、万巻の書を読んで、その精髄を抜き書きすることだと言った人がある。誰だったかは忘れてしまったが・・・。

そういう意味でいうならば、泣菫の夥しい随筆類は、さしずめそのお手本と言ってもいいくらいのものなのだが、ただし、彼の筆法には一つの顕著な特色がある。

それは、古今東西夥しい書物を読みに読んで、珍談綺談とりまぜて縦横に抜き出し、それに彼一流のユーモアのスパイスを振りかけながら手短に書き流して、どの本から抜き出したことかという出典などは一切書かないことである。だから泣菫の随筆によって私どもは夥しいエピソードやトリビアを知ることができるけれど、いかんせんその原典を知り得ないので、果してこれがほんとうに典拠のある話なのか、それとも泣菫の創作なのか、ただ茫洋として曖昧模糊としている。それが泣菫随筆の面白いところなのだ。


すなわち、学者先生の書いた文章のように煩いまでに典拠を明らかにした野暮天な行き方ではなくて、へえ、なんという面白い話だ、と思ってちょいと頷き、またじんわりと読んでその雅致を味わい、あとは拘泥せずにさらりと読み流す、この一種の禅味のような風合いこそ、泣菫随筆の真骨頂というべく、その読後感はすこぶる爽快である。

【書き手】
林 望
作家・国文学者。1949年東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業・同大学院博士課程単位修了満期退学(国文学専攻)。ケンブリッジ大学客員教授、東京芸術大学助教授等を歴任。『イギリスはおいしい』(平凡社)で91年日本エッセイストクラブ賞、『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』(P・コーニツキと共著、ケンブリッジ大学出版)で92年国際交流奨励賞等受賞、『林望のイギリス観察辞典』(平凡社)で93年講談社エッセイ賞受賞。
古典論、エッセイ、小説、歌曲の詩作、能楽、書評、料理書等、著書多数。近年は『往生の物語』(平凡社新書)『恋の歌、恋の物語』(岩波ジュニア新書)等古典の評解書を多く執筆し、『謹訳源氏物語』(全十巻、祥伝社)で2013年毎日出版文化賞特別賞受賞。近著『謹訳平家物語』(全四巻、祥伝社)、『巴水の日本憧憬』(河出書房新社)、『役に立たない読書』(集英社インターナショナル新書)、『(改訂新修)謹訳源氏物語』(祥伝社文庫)。『源氏物語の楽しみかた』(祥伝社新書)最新刊『謹訳徒然草」(祥伝社)

【初出メディア】
スミセイベストブック 2013年11月号

【書誌情報】
艸木虫魚著者:薄田 泣菫
出版社:岩波書店
装丁:文庫(320ページ)
発売日:1998-09-16
ISBN-10:4003103130
ISBN-13:978-4003103135