◆愛好家による緻密で誠実な批評
評者が初めて「真田啓介(まだけいすけ)」という名前を目にしたのは、一九九四年に国書刊行会で刊行が開始された<世界探偵小説全集>の第一回配本として、アントニイ・バークリーの『第二の銃声』が出たときのことだった。そこに解説として付けられた真田啓介という探偵小説研究家の論考は、バークリーという作家の全貌を手際よくまとめた後に、『第二の銃声』がクリスティの『アクロイド殺し』に見られる手法を踏まえながら、いかに「二発目」を撃とうとしたかをくわしく論じたもので、こういう緻密な読みができる人が我が国にもいるのかと大いに驚かされたことを憶えている。
その『第二の銃声』論を皮切りに、真田啓介が書く探偵小説論には可能なかぎり目を通し、そのたびに目がさめるような思いを味わってきたが、その真田啓介の論集が「古典探偵小説の愉しみ」二巻本としてまとまったことはまさしく近来の快事である。仙台市で地方公務員として勤務する著者らしく、荒蝦夷という地元の出版社から出たことも喜ばしいし、おそらくは著者の蔵書と思われる古典探偵小説の原書カバーを敷き詰めたデザインの装幀も美しい。
古典探偵小説の愛好家というものは、熱がこうじると、翻訳で読むだけでは収まらなくなる。未訳作品で隠れた名作があるという噂を聞くと、それを原書で読んでみたくなる。真田啓介がたどったのも、そういう道だった。その道を歩む者は、慣れない英語と取っ組むことになるため、必然的に読むスピードがのろくなる。一文一文を嚙みしめるようにして、玩味しながら読む癖がつく。ゆっくり細部に目を配る癖がつく。
だから、真田啓介の探偵小説論の最大の美点は、作品に対してつねに誠実であるところだ。真田啓介はこう書く。「読むという行為は、一にも二にもテキストを、テキストそれ自体を--それに触発された自分の思いではなく、ましてや自分の側からテキストに貼り付けた思いではなく--読むことのはずである。
この二巻本で、第一巻『フェアプレイの文学』ではアントニイ・バークリー、そして著者が「英国余裕派」と名付けるロナルド・ノックス、レオ・ブルース、エドマンド・クリスピンといった作家たちが集中的に論じられる。そして第二巻『悪人たちの肖像』では、それ以外の主に英国作家たちや、江戸川乱歩、横溝正史といった日本作家も取り上げられる。とりわけ論考が多いのは、探偵小説に対する批判あるいは批評を内包しているような作品を書いたバークリーで、著者に言わせれば、それは探偵小説を憎んでいるからではなく、「愛するあまりの揶揄であり、愛する故にその発展を図らんがための批判」なのだという。これはおそらく、そうした皮肉な作品に惹かれてしまう、真田啓介本人にも当てはまるだろう。探偵小説の細部を仔細に点検し、いわゆる「フェアプレイ」が貫かれていない個所を発見すれば躊躇なくそれを指摘するのは、愛するあまりのふるまいなのである。
いわゆる「黄金時代」の探偵小説家たちにはすべて、いい意味でのアマチュアリズムがある。生活のために書くのではなく、ただ愉しみのために読んで書く、「芸術の基本はアマチュアリズムにこそある」と言い切る在野の研究家真田啓介は、「愛する人」という語義の「アマチュア」をそっくりそのまま体現している。
そしてまた、真田啓介の批評に一貫して流れているのは、節度のあるバランス感覚である。真田啓介が見るところでは、古典的な英国探偵小説が「黄金時代」と呼ばれるのにふさわしい水準に達した最大の原動力は、「プロットとキャラクターが作中で覇権を争う、この両者のせめぎ合い」だった。
「作品の良し悪しは、自分で読んで自分で判断するしかない」と思い定めた真田啓介の論集は、一人の読書人がたどった道の貴重な記録であると同時に、読書という行為の意味をわたしたちに教えてくれる。
【第二巻】

【増補版】


【書き手】
若島 正
1952年京都市生れ。京都大学名誉教授。『乱視読者の帰還』で本格ミステリ大賞、『乱視読者の英米短篇講義』で読売文学賞を受賞。主な訳書にナボコフ『透明な対象』、『ディフェンス』、『ナボコフ短篇全集』(共訳)、リチャード・パワーズ『ガラテイア2.2』など。
【初出メディア】
毎日新聞 2020年8月1日
【書誌情報】
真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみI フェアプレイの文学著者:真田 啓介
出版社:荒蝦夷
装丁:単行本(464ページ)
発売日:2020-06-12
ISBN-10:4904863690
ISBN-13:978-4904863695