(本紙主幹・奥田芳恵)
2024.9.18/宮城県仙台市のミューシグナル本社にて
●小学生の頃から授業中にラジコンカーをつくっていた
芳恵 エンジニアとして米Motorola(モトローラ)に就職して、オーディオの仕事をされていたわけではないんですか?
宮崎 自動車に載せる半導体をカスタマイズする仕事だったんです。あまり面白くなかったですね。設計はほとんどやれなくて、米国やイスラエルで設計するものを各メーカー向けに販売するわけです。トラブルがあるとその対応といった後ろ向きの仕事しかなかったんですね。
芳恵 それで、当時の上司の方がスピンアウトして起業すると聞いて、渡りに船と思ったわけですね。
宮崎 いや、それは悩みましたよ。ちゃんとした会社に就職できたわけですし。
芳恵 何を求めて設立直後のベンチャー企業に飛び込んでみようと思ったのですか?
宮崎 自分たちで面白い半導体をつくりたいと思ったんです。とはいえ、完全オリジナルの半導体をつくるというのは、数多い半導体ベンチャーの中でもほんの一握り。でも幸いにも自分たちのチップをつくることができたんです。そこに自分が設計した回路も入っているわけです。とてもレアなケースでラッキーでした。音声・音楽再生用の半導体だったんですが、アーキテクチャーの設計もしつつ、その上で動く音楽再生プログラムも書きました。それに世界初の部分もあって当時新聞にも載ったんですよ。
芳恵 そこからオーディオのキャリアが始まったんですね。いつごろからエンジニアを目指すようになったんですか?
宮崎 小学生の頃からものづくりは好きで、毎日工具を持って学校に通っていました。そのころからぼんやり考えていたのかもしれませんね。授業中もロボットとかラジコンカーとかをつくるので、一日中作業していました。親も先生もあきらめていたみたいです。4年生の時に父がPCを買い与えてくれて。父は東北大学の教授でコンピューターが専門だったからだとは思うんですが。何ページもあるゲームのプログラムを打ち込んで遊んだり、改造してみたりしていました。
芳恵 すごく小さい頃からハードもソフトも両方で、すでにエンジニアっぽいじゃないですか。
宮崎 ところが、高校に入るとテニスに没頭してエンジニア活動はリセットされちゃうんです。少なくとも高校3年間は一度もPCを触っていないと思います。
●クラウドファンディング 国内最高額を集めたポータブルDJシステムを開発
芳恵 でも2年半で辞めてしまって、半導体ベンチャーに転職されて。そこから今度は自分で会社を起業されたわけですが、それにはどんな理由があったんですか?
宮崎 ベンチャーはすごく楽しくて、10年ほどいました。ただ、しょせん部品なので、自分の製品と言える機会がないわけです。携帯電話の中に入っています、ということではなく、やっぱり最終製品をつくりたくなったんですね。自分で完成形を目指したくなったんです。そこでファウディオという会社を立ち上げました。
芳恵 クラウドファンディングのMakuakeで最高額を集めたDJプレーヤーをつくった会社ですね。BCNのイベントでも活用しています。
宮崎 ありがとうございます。
芳恵 しかし、新会社ミューシグナルとして再起動されたわけですね。ファウディオ時代の一部製品のサポートも再開されたとか。
宮崎 いったんサポートが途切れていたんですが、『GODJ Plus』やポータブルスピーカーの『OVO』などについてはミューシグナルで引き続きサポートを再開しています。以前の会社で一緒に働いていた仲間も新会社に再集結して開発に取り組んでいます。
芳恵 それはよかったですね。ところで近々DJマシンの新製品がリリース予定だと伺いましたが……。
宮崎 ポータブルDJシステム『FJ1』ですね。
芳恵 音楽はお好きなんですよね。
宮崎 実はあまり音楽に興味はないんです。好きなアーティストも特にないし、普通の人と比べても音楽は聴かないほうだと思います。でも、耳はいいんです。機器の設計やプログラムが間違っていたときに発生する音はわかります。街中で流れている音楽にも敏感です。音が飛んだり止まったり変なノイズが入るのは聞き逃しません。職業病ですね。
芳恵 ちょっと意外ですが、まさに技術の人という感じがします。最後に、これからどんなことをしていきたいと思っていますか?
宮崎 (……30秒ほどの沈黙)今の環境が良すぎるので、現状を続けていきたいと思っています。どんどん湧き出てくるアイデアから、皆さんを驚かせる新しいものをつくり続けていきたいですね。
●こぼれ話
宮崎晃一朗さんが何冊もの開発ノートを見せてくださった。同行したカメラマンと一緒に、思わず「おー!」と歓声を上げる。とても細かく丁寧に書かれた開発ノートは、きれいで何かに印刷したら、デザインとしてもとてもかっこいいなと思えるほどだった。この中には、先を越されてしまったアイデアやボツになったアイデアも詰まっているとのこと。感慨深そうに過去のノートをめくって振り返る宮崎さん。
小学生の頃は、授業中にロボットなどをつくって、それを休み時間中にみんなに見せる――ということを毎日繰り返していたそう。親に勉強しなさいと言われた覚えがないというのも驚きだ。親も先生もあきらめていたと宮崎さんはおっしゃるが、本当はどうだろうか。その人並外れた集中力や好奇心に期待していたからではないだろうか。そして、その秘めた力を信じていたからとも思える。
「Wi-Fiで音を飛ばすことができると思ったのですか? 大手企業もやっていないのに」。ずいぶん失礼な質問を投げかけた。「何かできそうだなって思った」と、ひょうひょうとした表情で答える宮崎さん。ただ、大変そうだと思ったとも。誰も成し遂げていないことを実現する課程では、いきなりひらめいて成功への道が照らされるわけではないようだ。既存の常識や不可能という思い込みを一つ一つ否定して、潰していくようなそんな地道な作業に思えた。誰も見たことのない製品をつくりたいと宮崎さんは語る。半導体設計とデジタルオーディオの分野で、豊富な経験をもつベテランエンジニアでありながら、まだ世の中にないものをつくり出したいというチャレンジ精神を常に抱いている。ものづくりが好きな思いは小学生の頃のまま。年を重ね、技術を手にして、より一層ものづくりを楽しんでいるように見える。アイデアはどんどん湧き出ていて、枯渇するイメージはないとか。なんだか頭の中が忙しそうだが、いつも何かを考えて、つくることを繰り返しているのが、宮崎さんらしいのかもしれない。
一見、やり尽くされたように感じるオーディオの世界に、新風を巻き起こした宮崎さん。これからも新たな感動と発見をもたらしてくれるだろう。「この手があったか!」と思わせる何かを。(奥田芳恵)
心にく人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第360回(下)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。