元ヤクザでクリスチャン、今建設現場の「墨出し職人」さかはらじんが描く懲役合計21年2カ月の《生き直し》人生録。カタギに戻り10年あまり、罪の代償としての罰を受けてもなお、世間の差別・辛酸ももちろん舐め、信仰で回心した思いを最新刊著作『塀の中はワンダーランド』で著しました。
舞台はいよいよ刑務所編へ続きます。■留置所のオカマ「私、一人じゃ寂しいわ~ん」
留置場のエリア内に入ると、鉄扉の内側にいる留置人たちの食後の喧騒がボクの耳を襲った。二人の担当がその場でボクの手錠と腰紐を外し始めた。すると、鉄扉の裏側から野太いオネエちゃんの声が聞こえてきた。
「ねぇ、ねぇ、新入りさんが来たんじゃない。ねぇ~担当さーん、いい男なら私の部屋に入れてくださ~い。私、一人じゃ寂しいわ~ん。お願いしま~す」
その声にボクが驚いていると、苦笑した担当がオカマの科(しな)をつくりながら、「うちの留置場には〝これ〞がいるんだ」と言って、手の甲を頬に当てて見せた。
ボクは、これから長くなる留置場生活も飽きないだろうなと思った。
手錠を外され、ガランとした保健室へ連れて行かれると、担当が床にゴザを広げた。
「着ている物、全部脱いで裸になって……」
ボクは言われるままに裸になった。
「はい、こっち向いて。口を開けたら舌を出して……」
担当から言われるまま向き直り、口を開けて舌を出した。担当がその口の中を背伸びをして覗いた。
「よし、次、後ろを向いて前屈みになり、股を開けてケツを広げて……」
ボクは言われるまま後ろを向き、前屈みになって両手で無様に尻を広げた。
この新入りのときの儀式は何回やっても屈辱的だった。この裸検診は新入りが身体に何か隠匿していないか調べるのである。中には尻の間にシャブや注射器をガムテープで貼り付けているジャンキーもいたりするから驚く。そうかと思えば、女物の下着を何枚も身に着けている変態野郎もいる。担当たちは、何も好き好んで被疑者の裸検診をしているわけではないのだ。
一通りの手続きが終わると、用意されてあった冷えた官弁(夜飯)を、生ぬるい白湯(さゆ)で胃に流し込んだ。そのあと、ボクは居住区に通じる境界線の鉄扉を開けて中に足を踏み入れた。
ここはドイツ式監房であることから、大小まちまちの造りになっていて、部屋数は入口脇の一房から六房まで並び、六房は少年犯罪の少年房となっている。少年房には衝立が立てられ、成人房の留置人たちが覗いてちょっかいを出さないよう、配慮がしてあった。大人の毒牙に冒されないようにとのことなのだろう。
ボクが入ってきたので、留置人たちは好奇な目で鉄格子の周りにまとわりつき、ジロジロとボクを見ていた。食後であっただけに、皆、どこの部屋の房も活気づき、ざわめいていた。ボクは一房と書かれた部屋の鉄格子の間から大きな顔を押しつけているヒラメ顔の留置人と間近で遭遇した。
「こらっ、また、いい男だと思って見ているな。変なこと言うんじゃないぞ」
ニヤつきながら、担当が一房の住人に言った。すると男は、扁平な顔にくっついているヒラメのような小さな目をパチパチさせながら、担当を見上げた。
「あら、担当さん、焼きもち焼いているの? でも、いい男じゃな~い。担当さんが入ってくるって言っていたから、私、もっと中年のクソ爺イを想像していたわ。
担当はニヤニヤしながら、ボクは半なかば呆れた顔で、滔々と喋るヒラメ男の顔を眺めていた。
「きゃー、私、はしたないことを言ってしまったわぁ~、恥ずかしいわ~、顔から火が出るじゃな~い」
ヒラメ男が急に両手で顔を覆い、さも恥ずかしそうに後ろを向いてしまった。
途端に他の部屋からドッと笑い声が巻き起こる。ヒラメ男はオカマにしては規格外の顔で、よくもまあオカマになったなというくらい、桁(けた)外れに不細工な顔である。■「おーい! サカハラ、拳銃出せェー!」

「マサコの部屋には入れないの。危険だから」
担当が男にからかうようにして言った。男は「マサコ」という名前だった。
「あら、嫌だぁ、危険だなんて。こんなに可愛い乙女なのにぃ……」
そのマサコが口を尖らせる。
「あー、可愛い乙女のところには、いい男は入れないの」
担当官にそう言われ、マサコは途端に相好を崩した。
「あら、担当さん、可愛い乙女だなんて、嬉しいこと言ってくれるじゃない。だったら赦してあげるわん」
マサコは危険視されていたことから、野郎ばかりいる雑居部屋には入れなかった。入れれば部屋の男たちのチンコを皆口に入れてしゃぶってしまうのは自明だったからだ。そのため、新入りが来ると、自分の好みの男を見つけては、本気ともつかないジョークを飛ばして楽しんでいたのである。
このマサコの罪名は暴力行為と窃盗だった。事件の発端はこうだ。
保谷駅の側のコンビニで、マサコが万引きしているところを女子高校生たちに見られてしまい、通報されてしまった。
それに腹を立てたマサコが、「あんたたち、何、余計なこと言ってんのよ」と女子高校生二人に暴力を振るい、駆けつけてきた警官によってパクられたのである。その後の調べで検事から犯行に及んだ動機を聞かれたマサコは、もっともらしく真面目な顔をして、
「私、生理中でイライラしていたの。だからつい手が出ちゃって……。検事さん、赦(ゆる)してくださーい。
担当がけたたましい音を立てて四房の扉の鍵を外し、房扉を開けた。ボクは白いペンキで五番と書かれたスリッパを脱ぐと、房扉の前に揃えた。
「先ほど、土野さんという人から洗面用具一式、差し入れがあったみたいだから、あとで入れておくから」と担当が耳元でささやいた。
どうやら、四課から連絡が行ったため、弟分の尚が差し入れに来たようだ。
再びけたたましい音を立てて房扉が閉められると、部屋には四人の先客がいた。
結局ボクは、カード詐欺とシャブ取締り法の二本立てで起訴と相なってしまった。御上から判決をいただき、移管になるまでの2カ月間の留置場生活では、朝飯の改善(毎朝、ホイップクリームとあんこの乗ったコッペパン二本だったことから、うんざりしていた)を叫び、要望書を書きまくったものである。
そして、係長相手に「夜も煙草を吸わせろ!」と言って、留置場の厄介人どもを煽動し、「タバコ吸わせろ!タバコ吸わせろ!タバコ吸わせろ!」とシュプレヒコールを叫んだりして、毎日の無聊(ぶりょう)を慰めていた。
ある日、それが現実となった。それは、係長が不用意に発した言葉の言質を、ボクが取り、吉祥寺のある組織の人間と二人で、就寝後に吸わせるようにしてしまったのだ。
ボクが移管になるまで続いたそのタバコの味は、また格別だった。
事件になった盗難カードは、所沢の駅前で拾った物として処理された。給油で使った分はすべて弁済した。その結果、2年2カ月の実刑となった。
八王子拘置所(通称「八拘(はちこう)」)へ移管になる日、ボクは三階の外階段から、見るからに柄の悪そうなマル暴の面々に見送られた。相変わらず誰も垢抜けていなかった。パイナップル柄のド派手な開襟シャツを着たイガグリ頭が踊り場から見下ろして、
「おーい! サカハラ、元気でやれよーォ! 身体に気をつけてなーァ!」と叫んで手を振ってくれていた周りのデカたちもそれに釣られて別れの短い言葉をかけてくれる。
しかし、その中で一人だけ違ったことを言った奴がいた。係長だ。別れぎわになっても、まだ、「おーい! サカハラ、拳銃出せェー!出て来たら、オレのところへ持ってこーい!」と叫んだのである。
ボクはそんな欲張り係長に呆れつつも、心の中でお世話になった礼をつぶやき、また一歩前進だなと、護送バスに乗り込んだのだった。
(『ヤクザとキリスト~塀の中はワンダーランド~【塀の中】編へつづく)