日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。


 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
 ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️



■「甲府」は近世になってから

《山梨県の由来》「山」が地名誕生のキーワードに

 かつて甲斐国の中心地である甲府が属していた郡名が「山梨」である。
 古くは「夜萬奈之」「山無」などとも記された。
 その起源には、甲斐八珍果のひとつである「梨」をたくさん産したからという説、甲府平原には「山が無い」からという説、山麓を引き平ならして田畑を開き、村落となったのを「山平(やまならし)の郷」としたことが由来とも。
 山また山という意味の「山成す」という言葉が転じたという説もある。
 明治4(1869)年、甲府県から山梨県に変更した。



《地名の由来》



◉塩山(えんざん)四方から見える山

 甲府の北西部にある「塩の山」にちなんだ地名。
 「四方から見える山」の意で「しほうのやま」が「しおのやま」になり、いつしか音読みされたという説もある。「しおの山」は歌枕として『古今和歌集』にも詠まれている。岩塩が採れたことが由来とも。



◉大月(おおつき)欅が群生していた場所

 この地に「大槻」が群生していたことから「おおつき」というようになった(「槻」とは「欅(けやき)」の古名)。
 その後、駒橋(現在の大月橋)からの月がひときわ大きく見えたところから、「大月」になったとされる。
 全国にある「大月」のほとんどが同じ由来といってよい。



◉甲府(こうふ)武田信虎による命名か

 「甲斐の府中」の略。「府中」とは、国の政治・経済・文化の中心地で、永正16(1519)年、武田信虎が城下町をつくったときに「甲府」と名づけた。
 ただし、その名称が定着したのは、近世になってからといわれる。



◉身延(みのぶ)日蓮上人が入山し改名

 山容が蓑をつけた農夫に似ていたことから「蓑夫(みのぶ) 」と呼ばれた山に、日蓮上人が入山して以来、「身を延びる山」、すなわち寿命・無量・延寿の山として改名された。
 また、「水辺(みずのべ )」が由来という説もある。



(2020年一個人5月号から

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