日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。


 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
 ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️



■古代鳥取部の拠点

《鳥取県の由来》
鳥を捕る人々が多く住んでいた県



『日本書紀』によると、垂仁(すいにん)天皇が寵愛した第一皇子の本牟智和気御子(ほむちわけのみこ)が、鵠(くげ)が渡るさまを見てはじめて言葉を発したことから、これに喜んだ天皇により設置された「鳥取部(とりとりべ、ととりべ)」に由来する。また、奈良時代のころ、現在の鳥取市久松山付近には水鳥などがたくさんいたことから、これを捕る「鳥取部」が多く住み、周辺の地域を「鳥取」と呼ぶようになったことが地名の由来ともいわれる。



《地名の由来》◉智頭(ちず)因幡に入る最初の道

 古代から因幡(いなば)国七郡のひとつに数えられる歴史ある地名。「ち」は「道」、「ず」は「あたま、はじめ」の意味で、「因幡に入る最初の道」を意味している。実際、江戸時代に当地は、因幡国に入る第一の宿であった。



◉御来屋(みくりや)後醍醐天皇が当地に上陸

 元弘3(1333)年、流刑先の隠岐島を脱出した後醍醐天皇がこの地に上陸したという伝承から、男嶋崎を「御来屋」に改称したという。あるいは、伊勢神宮の「御厨(みくりや)」に由来する地名ともいわれる。



◉三徳山(みとくさん)仏教の三徳から命名

 山名は「法身(ほっしん:仏の本体)」「般若(はんにゃ:心理を認識し悟りを開くこと)」「 解脱(げだつ:束縛から離れて自由になること)」からなる「三徳」に由来する。
 古くは「美徳山」と称した。山全体が三仏寺の境内で、中腹に投入堂がある。



◉米子(よなご)八十八歳で恵まれた子宝

 昔、子宝に恵まれない長者夫婦が毎日、賀茂神社にお参りしていたところ、88歳になったとき子を授かったという伝承から「八十八の子」で「米子」。あるいは、稲がよく実るという意味で「米生(よなおう)の郷」や「米(よね)の郷」が由来とも。





(2020年一個人5月号から

編集部おすすめ