79年前の今日は1941年11月26日(日本時間11月27日)は大日本帝国が、アメリカという「鬼」に滅亡を約束された日なのだニャン。
日本人だってあの戦争は「無謀だ」と知っていた!!!!!
でも、厄介なのは・・・日本の敵は「日本人」同士だということに「気づいて」いたコーデル・ハルの知略にハメられたことだったのだ。
■そもそもハル・ノートって無茶苦茶な要求だったのか⁉︎
「ハル・ノート」は高校日本史に登場するキーワードだ。
平民ジャパンなら、おぼろげに覚えている。
ABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)包囲網で詰められ、石油全面禁輸措置を受けた。
ハル・ノートを突き付けられ、やむなく開戦を決意した。
真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争に突入、破竹の勢いで戦線を拡大した。
それもつかの間、ミッドウェーで惨敗、ガダルカナルで餓死、硫黄島で玉砕、東京大空襲で首都壊滅に至る。
沖縄では住民が火炎放射器に焼かれ、本土では子供に穴を掘らせて敵上陸に備えた。広島・長崎と原爆2個を投下され、天皇陛下のラジオ放送で終わった。
マッカーサー閣下が来て、戦犯が裁かれ、日本は平和になりましたとさ、めでたし。
絶対に受け入れ難い最後通牒、ハル・ノートって何だ。
そんなに無茶苦茶な要求だったのか。
いや、そんなことはない。
一見、穏やかなものだ。
中国とインドシナに展開する軍事行動を放棄し、ヒトラーと縁を切り、国際的枠組みで地域平和を実現しよう、というだけの話だ。
「ハル4原則」(注)には、アメリカの譲歩妥協と、双務的性格を見ることができる。
(注) 【ハル四原則】
❶すべての国の領土と主権尊重
❷他国への内政不干渉を原則とすること
❸通商上の機会均等を含む平等の原則を守ること
❹平和的手段によって変更される場合を除き太平洋の現状維持
皮肉にも戦後の「日米安保条約」「日米地位協定」のような、片務的・隷属的なものではなかった。
アメリカは当時の日本の実力(短期的戦争遂行能力)を承認していた。
同時に、その集団的情緒不安定を恐れていた。
日本は逆に、自らの実力(潜在的交渉力)と、相手の実力(一旦決意後の徹底的無慈悲)を見誤り続け、近視眼的な自暴自棄に向かって疾走した。
■必敗でも、日本が戦争をやりたくなる方へナビしたアメリカ

歴史に「もしも」は無い、と人は言う。
ハル・ノートを“突き付けられ”たから、戦争に突入した。
悪いのはハル・ノートで、俺たちじゃない。はめられたという謀略論、かわいそうなのは我々だという被害妄想、そして、1億総ざんげの加害妄想。単純化された思い込みと、誤った記憶は祖国の神話となった。

3年8か月で310万人が死んだ。
無条件降伏するくらいなら、ハル・ノートを飲んでやめておけば、“まだマシ”だった。
8か月にわたる日米交渉の甲論乙駁において、引き返す機会は何度もあった。
駄々っ子のように手前勝手な主張に徹し、ドツボにはまって自滅した。
交渉で自爆路線を回避し、非戦で立ち回っていたら、台湾、朝鮮半島、千島列島は領土だった。対共産圏を錦の御旗に満州も樺太も当面はいけた。外地経営は困難を極め、軍部は天皇を人質にとって悪さをしただろう。
しかし、無差別爆撃で国土が焦土と化すことはなかった。
原爆も落とされていなかった。
世界秩序は、いまと大きく違うものになっていた。
なのにどうして。何年も前からやるつもりだった。
負けると知っても、やりたくて、やりたくて、仕方がなかった。
5年も前から特別会計で資金も貯めて、ヤルと決めていた。
デス・ノートには自ら皇国の名前を書いていた。
■説得するのは面倒だ、ならアメリカと戦争やっちゃえ!

最大貿易相手国と最後の交渉をするふりをして、全面戦争を仕掛ける高揚感に脳が痺れていた。上層部は中堅層の血気にビビッていた。
2.26事件以来、テロが怖い。上司が部下に媚びていた。

奇襲攻撃でアメリカ全土をショックに陥れ、奮い立たせておきながら、よきときに講和に持ちこもうとは、虫が良すぎた。
日本人を劣等民族と嘲るヒトラーをアテにした。
思想的に不倶戴天のスターリンと、便宜的中立条約を結び、頼みの綱とした。ソ連を使ってアメリカを抑え、日独で欧州とアジアを分割統治せんと本気で妄想した。
サイコな虐殺者たちへの能天気過ぎる他力本願。
陸海軍指導部一人ひとりが皆、欲張りで、お人好しで、度し難いバカだったのか、狂っていたのか。
そんなことはない。あるはずがない。
陸海軍には日本中の俊英が集っていた。
官僚はいまよりはるかに優秀だった。
秋丸機関や企画院が精緻な情報分析も行っていた。
経済学者たちが国家計画を立てていた。
大本営政府連絡会議は10対1の彼我の国力差を知っていた。
大事なことはぜんぶ御前会議に諮った。
世界に冠たるエリート集団が天皇の名のもとに統帥権を行使した。
すべては計算され、予知されていた——日本の敗戦が。
■敗戦後、最優秀日本人は余生を楽しみ、国民はすりつぶされた

ハル・ノートを突き付け“させて”、ジャパンは、真珠湾攻撃で清水の舞台から飛び降りた。
眠れる巨人の顔面に銃弾を撃ち込み、立ち上がる動機を与えたのは、この日本だ。
最優秀日本人たちの集団エゴと集団無責任による確信犯、計画的犯行だった。
第二次世界大戦の全戦線に展開したアメリカの戦没者は40万人(現コロナで26万人死んでいる!)で、他の主要国に比べればはるかに少ない。
世界の犠牲者6000万人の0.66%だ。
一個人、一将兵の生命にこだわる“チキン度”の圧倒的高さが、アメリカを戦後世界の覇権国家にした。
アメリカ軍は補給と医療に膨大な資源を投じた。
船は沈みにくく、軍用機は頑丈に作られた。
最前線でも輸血をして負傷者を救い、撃墜されたパイロットは潜水艦で救出に向かった。
他方、帝国陸海軍は、口勇ましく無頓着に限界まで戦線を伸ばした。
武器弾薬も食料も与えず、兵隊をコマとして捨て続けた。
戦没将兵の6割以上が飢餓と病気で、戦うことなく死んだ。
挙句の果てに特攻という愚劣な戦術で、貴重なパイロットを消費した。
愚策を思いつき実行させた戦争指導部、大本営幕僚参謀、司令官たちの大多数は戦死も餓死もしなかった。人類史上最大の大量殺戮を、かすり傷一つ負わずに余裕で生き延びた。人命軽視を憚らなかった鬼たちは、鬼畜と呼んだアメリカに恭しく従い、属国ジャパンを裏で表で支配した。
口を拭い、恩給も受け、その後の人生を密やかにエンジョイした。
家を焼かれ、家族を失った国民には1円も支払われなかった。
デス・ノートに将兵の名前、国民の名前を書いても、自分の名前だけは書かなかった。
■ハル・ノートとは日本人自身の破滅への「デス・ノート」だった

歴史に「もしも」は無い。
しかし、ドイツ第三帝国と大日本帝国が第二次大戦の勝者として地球を分割するSF小説『高い城の男』(フィリップ・K・ディック)の世界は、少しズレれたマトリックスとして、いまここに、つながっている。
結局、ハル・ノートが示したものとは、なんだったのか⁉️
表面的には「ユルすぎる」要求の文脈の「裏」で、日本人の「戦争」しか選択肢がなくなる「思考パターン」を読んでいたこと——日本はもう、詰んでいたのだ。
日本人は、部内説得こそが最難関だ。
誰も決められない。
議論が無いから、折り合いをつけられない。
刻一刻と、選択肢を失う。
最悪のシナリオになだれ込むことで、目の前のストレスから逃れられる。
忍従の挙句、無謀な選択に光明を見出す。
体を張って止める者は、もはやいない。
みんなで突っ込めば、怖くはない。
内部に摩擦が起きないところが、外部への落としどころだ。
ハル・ノートは、日本人の精神構造と癖を研究しつくした者たちが用意した、鬼滅への招待状だった。■