死のかたちから見えてくる人間と社会の実相。過去百年の日本と世界を、さまざまな命の終わり方を通して浮き彫りにする。
■2020(令和2)年木村花(享年22) 月乃のあ(享年18)三浦春馬(享年30)竹内結子(享年40)
2020(令和2)年はコロナ禍による死をはじめ、印象的な死が目立った。とはいえ、死の印象はその人との関係性や自分の気分に左右されるから、身近に感じられる死も、他人事めいた死もある。
ただ、多くの人が関心を抱くのが自殺による死だろう。1月2日には、元・国会議員の三宅雪子が入水自殺。韓国では7月、ソウル市の市長がセクハラ疑惑のさなかに自ら命を絶った。
また、大晦日に亡くなったユーチューバーについても自殺だった可能性が取り沙汰されている。訃報を発表した所属事務所は「誹謗中傷」を控えてほしいと呼びかけた。
誹謗中傷といえば、大きな注目を浴びたのが、5月に硫化水素による自殺を遂げた女子プロレスラー・木村花(享年22)のケースだ。彼女は本業のかたわら、テレビのリアリティーショー「テラスハウス」(ネットフリックスなど)に出演していた。そこにおける暴言などの態度をめぐって「ネットいじめ」のような状況下にあり、精神的に追い込まれていたという。
また、彼女の母親はいじめの原因となった「態度」について、番組を盛り上げるための演出、いわば「やらせ」だったことを指摘。制作サイドの責任を問う声もあがった。
ちなみに、リアリティーショーには台本がなく、出演者たちの日常生活を覗き見できるかのようなところが世界的に人気だ。もちろん、演出なしでは面白くならないから、現実そのものではないのだが、そう思わせるくらいでないと成立しない。そのぶん、虚像と実像との区別が曖昧化しやすいわけだ。
木村の場合も、どこまで「演じて」いたかはわからないながら、一部の視聴者はわからないまま彼女にいらつき、叩いた。つまり、虚像のせいで実像が傷つくということが、ドラマや映画以上に起こりやすいのだ。実際、海外の報道によると、この30数年間にリアリティーショー出演者が36人、自殺したという。
もっとも、人は誰もがさまざまな「像」のなかで生きている。芸能人が特殊なのは「虚像」の見せ方が仕事に直結するところだ。なかでも、その最たる存在がアイドルだろう。
9月には、元アイドルの月乃のあが18年の生涯を自ら閉じた。
SNSで自殺をほのめかす発言をしたところ「どうせ死ぬ死ぬ詐欺だろ」とアンチにけなされ、その数日後、友人とともに飛び降り自殺。SNSには、遺書のようなラストメッセージが残された。
「次はちゃんと死にます ファンのみんな、私の分まで強く、強く、生きてね 逃げれる時はちゃんと逃げて、ずっとみんなのことだいすきだからね」
木村や月乃のケースから垣間見えるのは、自殺はときに「他殺性」ともいうべき他虐的要素をはらんでいるということだ。そういうところも、多くの人をただならぬ気にさせるのだろう。
そのあたりについては、自殺文学の名手・芥川龍之介も言及している。河童の国という異世界を借りて人間を風刺した小説「河童」のなかで「人非人」呼ばわりされただけでも自殺に至ったりするのだから、それはすなわち「殺人」に他ならないという論理を展開した。
さて、自殺の他虐的要素といえば、なかなか考えさせられたのが三浦春馬の死だ。7月に首を吊り、30歳で旅立った。
警察の検視により、事件性のない「自死」と発表されたが、ネットの一部では「CIAの仕業」といった陰謀論が流れたり、再捜査を求める署名運動が起きたりした。そこには、遺書らしき遺書がなく、死に至った具体的な背景もほとんど見えないという事情が作用している。それゆえ、突然の別れを受け止めきれず、何が、あるいは誰が彼を追いつめたかを探ろうとすることで心のバランスをとりたい人が続出したのだ。
そんな人気俳優の死に深いショックを受けた人が、身近にいる。彼のファンだった妻だ。筆者も彼のことは好きだったが、家族にそういう人がいると他の家族はそうそう落ち込んでもいられない。おかげである意味、平静でいることができた。
しかし、その2ヶ月後、立場が逆転する。今度は自分がファンだった女優・竹内結子(享年40)が首吊り自殺。こちらも、死を選んだ経緯についてははっきりとしていない。
ただ、夫婦でふたりのことを偲べたのはせめてものことだった。配偶者という隣人の存在をありがたく感じたものだ。
そして、三浦と竹内にも隣人的接点があった。ふたりは一昨年公開の映画「コンフィデンスマンJP-ロマンス編-」で共演。ともに詐欺師で、愛し合うフリをしながら騙しあうという華も裏もある関係だった。
「音声は入っていないんですが、実は竹内さんと即興でおふざけの芝居もしていたので、そういった部分でも印象深いです」
そんなふたりは、おたがいの共通点には気づいていただろうか。それは、屈折した生育環境だ。
三浦の場合は、小学校時代に親が離婚。母が再婚して継父との三人暮らしとなり、十代後半で売れてからは彼が家計を支え始めた。そんななか、マルチっぽいビジネスに手を出していた母と関係が疎遠になり、ハタチくらいで引退も考えるように。周囲には、地元に帰って「町工場でも何でもいいから人目につかない所で普通に生きたい」(デイリー新潮)とも話していたという。
一方、竹内の場合も高校時代までに、親の離婚と母の病死、父の再婚にともなう、継母とその子供たちとの同居という経験をしていた。デビューまもない十代後半には「私、ちょっと複雑な家庭なんで戻る場所なんてないんです。だから、この世界で絶対に頑張らなきゃいけない」(スポーツニッポン)と語っている。
こうした生い立ちは、独特の色気を生む反面、繊細すぎて本物の自信を持てない精神性につながりがちだ。ふたりとも、ある種の欠落を埋めようとして、仕事に取り組んだことは大きな成功ももたらしたのだろうが、十代のうちに心のなかの何かが死んでいたともいえる。
そのあたりについて、竹内は自ら文章にもしていた。18歳のとき、桜井亜美の小説「サーフ・ スプラッシュ」の解説を担当。彼女は自分のことを「連れ子という荷物」と呼び「その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった」と書いている。そんな強がりの魅力こそ、彼女の芝居を根幹で支えていたものだろう。しかし、自分を「荷物」にたとえてしまうような心性は、ともすれば、消えたい、いなくなりたいという衝動を生むのである。
そういう意味で、自殺は一種の「病死」でもある。人生のどこかで壊れかけた心がついに堪えられなくなり、死を選んでしまう、自殺から、そんな印象を抱かされることは珍しくない。
それでも竹内が、40歳まで生きて、二度の結婚で子供をふたり産むこともできたのは、希望を持ち続けたおかげだ。解説のなかで、18歳の彼女は「過去をなかったものにはできないけれど、いつまでも引きずっていたくはない」として、
「いつか絶対、全部吐き出せる人に出会えるはずだから。(略)もう少し生きてみなきゃ分からないけど、私はそう信じている」
と、綴った。
死を選ぶにあたって、彼女がそういう出会いをあきらめ、信じることをやめたわけではないだろう。ただ、希望を絶望が上回ってしまうことはあるし、その瞬間、人は生きていくことに堪えれらなくなるのかもしれない。
あるいは、生きづらさという病から自らを解放する自発的かつ合法的な安楽死、として自殺をとらえることもできそうだ。多くの人が関心を抱く理由には、それもあるのではないだろうか。
(宝泉薫 作家・芸能評論家)