子どもから大人までみんなに読んでもらって、生きるのがラクになってほしい中田考先生の名著『みんなちがって、みんなダメ:身の程を知る劇薬人生論』(KKベストセラーズ)がロングセラー中。イスラム法学者の中田考先生が、「レンタルおじさん」を始めました。

いったいどんな方が「知の怪人」中田考先生を「レンタルおじさん」としてご利用され、どんな時間を一緒に過ごすのでしょうか?  第2回の依頼者の要望は、「サウジアラビアと日本の共同製作のアニメ映画『ジャーニー』を一緒に観に行ってもらえませんか?」。映画館ではたまたま隣の席に居合わせたアラビア語教育学の名物博士・榮谷温子(さかえだに・はるこ)先生と出会うことに。観賞後、榮谷先生もまじえて依頼者と映画について語り合う中田先生。イスラームの社会や文化、歴史まで知ることができる稀有な爆笑批評会となったのであるーーー。「果たして映画はどうだったんでしょーか?  中田先生ーー!」



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■レンタル依頼者の内容 

先日サウジアラビアと日本の共同製作のアニメ映画「ジャーニー」が公開されました。中田先生がどの様な感想を持つのか非常に興味があります。是非ご一緒に観に行っていただけませんか?





■中田先生の依頼内容の感想

上記の依頼があり、中田先生は「MbS(サウジアラビアの皇太子ムハンマド・ビン・サルマン)が作らせたアニメかぁ、期待しないで観に行ってみるか」と即快諾。今回の連載ではその映画「ジャーニー」のレビューを中心に中田先生と偶然隣の席で映画を観た榮谷先生(慶応義塾大学講師、さすらいのアラビア語フリーター講師。またの名を季節労働者。あるいはパートのおばちゃん。2027年8月2日の皆既日食を、エジプトの王家の谷で見るのが夢!@harukosakaedani)が語っていきます。





■映画「ジャーニー」とは

日本の東映アニメーションとサウジアラビアのアニメ制作会社マンガプロダクションズが共同で手がけた、初の日本・サウジアラビア合作による長編劇場アニメ。

古代アラビア半島を舞台に、侵略者に立ち向い、未来を切り開いていく主人公と仲間たちの姿を描く。貿易都市メッカを目指す侵略者アブラハの軍隊に対し、当初は平和的な解決を望んでいたメッカの民だったが、アブラハの提示する非情な条件に怒り、戦うことを決意する。そんなメッカの民の志願兵のなかに、ひとりの青年アウスがいた。彼はかつて盗みに入った家で陶工のジュバイルと出会ったことで大きく運命が変わり、成長してジュバイルの娘ヒンドと結婚した。過去の罪を贖うため、そして家族との幸せな生活を守るため剣を取ったアウス。やがてメッカとアブラハの軍が激突する。映画の主な構成やコンセプトをサウジアラビア側が手がけ、映像制作を東映アニメーションが中心となって担った。監督は「名探偵コナン」劇場版や「GOZILLA 怪獣惑星」を手がけた静野孔文。日本語版声優は「機動戦士ガンダム」の古谷徹、「進撃の巨人」の神谷浩史ら。



※映画ドットコムより抜粋( https://eiga.com/movie/94660/ )





■依頼者との映画鑑賞はどうだったのか?



◆ 突っ込みどころ満載なストーリー



中田:制作のマンガプロダクションズは、ムハンマド・ビン・サルマン(MbS)皇太子が設立したミスク財団の子会社です。私はMbSが嫌いなもので、どうせろくなもんじゃないっていう先入観はあったんですけど、いやぁ、期待を裏切らないひどい映画だったねぇ。技術的にも映像のクオリティが明らかに低いよね。

動きのない一枚絵でナレーション入れて動画枚数削ったり、同じ映像を無意味に使いまわしたり。大金使ってクオリティの低いものが出来るっていうサウジらしさは感じたけどね。





依頼者:細かいところですけど、キャラクターの髭とかも同じ色で陰影もなかったし。あと象ってあんなにデカくないですよね。





中田:そうだよね。サウジがお金出して大々的にやっている割には雑だよね。写真撮ろうと思ったのに、そもそもこの映画館(新宿Wald9)にはジャーニーの宣伝ポスターが一枚も貼っていない。上映前にかろうじて一枚デジタルの映像を見つけた(*写真)けれど、上映が終ったらもう変わっていました。仕方ないのでパンフレットを買おうと思ったら、そもそも作っていない、ということでした。他の映画はグッズとかいろいろ売っているのに、グッズはおろか、パンフレットやポスターすら売っていない。私はあまり映画館に映画を観に来ることはないけれど、こんな映画は初めてです。パンフレットさえ作っていないってのは、東映アニメーションが恥ずかしいから自分たちの作品であることの記録をできるだけ残しておきたくない、黒歴史として葬り去りたいんだ、と邪推されても仕方ないですよね。

興行収入はあげないといけないので、ネット上では宣伝してますが、ネットの宣伝は上映期間が終ればなくなるけど、紙のパンフレットはいつまでも証拠として残るので。





イスラム法学者とアラビストが映画『ジャーニー』を観に行った…【中田考のレンタルおじさん】





依頼者:あれを観てサウジ人は感動するんですかね





中田:いやぁ、しないと思うけど、うーん





榮谷:そもそもこのアニメ、クルアーンの「象」章をベースに構成されてるけど、メッカにアブラハが侵略しに来た年にムハンマドが生まれたんですよね。だから当時のメッカは多神教の世界だったはずです。字幕でも”God”って単数形になっておかしいと思って。







中田:もちろん「アッラー」という名の神は信じられており、マッカのカアバ神殿はアラブのパンテオン(万神殿)で、アッラーはその主神ではありましたが、カアバには360柱の神々の偶像が祀られていました。預言者ムハンマドが620年にメッカを征服した時に、その360体の偶像を破壊し、カアバ神殿を多神教の穢れから浄めたのです。だからアッラーという名の神はいたことはいたのですが多神教の一つの神でしかなかった。だからイスラームやユダヤ・キリスト教のような一神教とは全く違う偶然崇拝の多神教でしかなかったのです。



 それに当時のアラブは部族社会だからあんな感じでメッカの民として団結するなんてことはありません。士気を高めるなら、それぞれの部族の名前を個別呼んで、「A部族の者たちよ、あなた方の祖先Aの勲(いさお)しにかけて戦え。B部族の者たちよ、あなた方の祖先Bの勲しにかけて戦え。C部族の者たちよ、あなた方の祖先Cの勲しにかけて戦え...」と激を飛ばさなければなりません。

日本の今の核家族みたいな、ああいう家族観もない。日本のように女性が結婚すると姓が変わって夫の家に入る、という考えがそもそもない。嫁は結婚してもあくまでも父親の部族の一員なのです。



 それに盗賊が汚れた罪人なんていう価値観もないから本当に変だよね。イスラーム以前のアラブ時代を「ジャーヒリーヤ(無明時代)」と呼びますが、ジャーヒリーヤには「サアーリーク詩」という一分野があります。「サアーリーク」とはアラブの部族から外れ砂漠で略奪を生業とする強盗団です。彼らは苛酷な砂漠の厳しい生と勇猛な戦いの日々を雄々しい詩に歌い上げ、中世日本のまつろわぬ民「悪党」のように、悪のヒーローでもありました。そんなサアーリーク詩人としてはウルワ・ブン・アルワルドが有名です。



 またノアの方舟とか旧約聖書の話、円柱都市イラムのようなクルアーンの話が出てくるシーンが幾つかありましたが、当時のアラブ人はそんなものは「昔の人々の作り話(アサーティール・アウワリーン)」だと言って嘲笑っていたのです。それを聞いてメッカの人たちが感動する、というようなそんな話では全然ないんです。多分欧米人向けを意識して作ったからでしょう。モーセの話とかも我々はユダヤ人と仲間だっていうメッセージなんじゃないかな





依頼者:可哀想なヘブライ人って感じで出てきましたよね。

ヘブライ人かわいそうっていう意識はアラブにあるんですか?





中田:ないない全然。クルアーンの中でファラオは悪者だから、その意味ではかわいそうだった、というのは確かです。しかしせっかく暴虐なファラオの奴隷だったのを救い出してもらったのに、モーセの言うことを聞かずに逆らって文句ばっかり言っている、聞き分けのない連中だ、という感じで、全然かわいそうに書かれていませんね。



 この作品は2019年に製作発表されています。つまり、企画はトランプ政権時代ということです。実はトランプは、ユダヤ人の娘婿クシュナーを大統領上級顧問に任命し、クシュナーとUAE(アラブ首長国)のムハンマド・ブン・ザイド皇太子を通じて、イスラエルとUAE、バハレーン、スーダン、モロッコの国交を樹立させましたが、クシュナーとUAEはサウジのMbS皇太子もそれに巻き込もうとしていたのです。結局、MbSの父親のサルマーン国王の反対によってサウジアラビアはイスラエルと国交を結びませんでしたが、MbSはトランプ時代にイスラエルに迎合する政策を次々と打ち出しました。この映画に不自然な旧約聖書の物語を無理やりにたくさん詰め込んでいるのも、その一環で、ムスリムとユダヤ人、サウジアラビアとイスラエルのお友達アピールだと思えば腑に落ちます。



 ともかくアラブ・イスラーム研究者としても突っ込みどころ満載の映画でしたね。







■何故クオリティが低いのか!?



中田:この前「鬼滅の刃」の映画観に行ったんだけど到底比べ物にならないよね。まるで実写かと思わせるような鬼滅の緻密な絵と滑らかな動きと比べると、ジャーニーなど紙芝居のように感じられました。MbSが予算をケチってこういう出来になったのか、そもそも東映アニメーションがアラブを舐めて作ったとかなのかなぁ。

どっちだろうねぇ





依頼者:やれって言われたから作ったっていうくらいの作品でしたね





中田:本当にそうだよね。それにすごい説教くさいでしょ。





依頼者:日本人向けに教えてくれる感じはしましたよね





榮谷:説教くさいというよりあの回想で物語のテンポが落ちていたましたよね。こっちとしてはもうある意味結末を知っているのにムーサー(モーセ)の出エジプトとかヌーフ(ノア)の方舟とかの全く無関係な話が挟まれてすごく冗長に感じましたよね





中田:モーセの出エジプトにしても、ノアの箱舟にしても、主人公アウスにとって実体験に基づくリアリティのある実話でなく、ただの又聞きの昔話でしかない。そんなもので神の奇跡が起こるのを信じる、と言われても、偶像を崇拝していた当時のメッカの多神教徒たちにも説得力はないし、そもそもキリスト教徒でもなく聖書も信じていない日本人にはピンときませんよね。それに直接「努力して良いことをすれば必ず神は報いてくれる」とか「信仰心があれば必ず奇跡は起きる」とか口に出すのではなく、ストーリーと映像で伝えるのが本来のアニメでしょう。





依頼者:本当に心理描写がないままストーリーに置き去りにされていく様でしたね







■謎のオマージュ

依頼者:普段からアニメ見てる人にとっては、どこかで観た様なシーンがあってアブラハの象に乗ってるシーンなんて完全に「北斗の拳」のサウザーのポーズだし。敵の代表と戦うシーンで、でかい斧持っている奴いたけどあれも「幽遊白書」の武威みたいな感じだし。戸愚呂チームかっていう。





中田:言われてみればそっかぁ。





依頼者:真似しても全然良いんですけど





榮谷:主人公が実話に基づく普通の人の話だという設定ですから、あの高さから飛び降りたらただですまないでしょとかそういうのが気になりました。私は。





中田:そうですよね





依頼者:全体的にテキトーなんですよ





中田:主人公、北斗の拳みたいに超人的な人間っていう設定じゃないからね





依頼者:ズラーラに同じ軍の奴が殴られてたシーンとかもその後に全く活きてなかったですよね。伏線でもなんでもなかったっていう。普通のアニメとかだとさっきは殴ったけど戦場で助けるとかあるんですけど、全く無い。プロット一直線ですね。信仰の無いやつが死ぬっていうだけで、その伏線だけ





中田:無いねぇ。笑えるシーンも無かったしねぇ。





依頼者:そういえば女性の髪が出ていましたね





中田:あれも今のサウジアラビアが開かれていますよ、っていうアピールなんだろうね。ユダヤ人の少女も謎に可愛く描いていたしね。ただイメージを良くしたいので可愛く描いてみた、っていうので全然アニメのキャラの可愛さではない。可愛くは書かれてはいても、ツンデレのギャップ萌えだとか、アニメの文法は少しも押さえていませんよね。





■「ジャーニー」というタイトル

依頼者:そもそもタイトルのジャーニーってのはなんなんですかね





榮谷:アブラハさんの旅?





依頼者:エチオピアから遠路遥々神の奇跡を起こすためにやってきたとか。





中田:そうかも。ウフフ。



 ネットのレビューを読むと、有名人たちが褒めてますが、宣伝のサイトだから当たり前と言えば当たり前ですけど。なにしろ暗殺団を派遣し反体制派のジャーナリストをトルコのサウジアラビア領事館で殺害しバラバラにして化学薬品で溶かして証拠隠滅させた容疑(2018年10月2日、カショギ暗殺事件)で国際的に非難されているMbS皇太子の後援する映画ですから、みんな怖くて公然とは批判できないのかもしれません。でもよく読むと「幼児に見た東映まんがまつりを令和に彷彿」とは「昭和レベルの画像処理の技術」の婉曲表現、「あと象がかわいい」は「キングダム」の女傑媧燐大将軍が象部隊を前にして「戦象さんだよ。目がかわいい」と言う名シーンと比べて、同じ象部隊を描いても全く面白くない「ジャーニー」への皮肉なのかもしれません。





◆映画「ジャーニー」は渋谷TOEIにて7/16より公開予定。緊急事態宣言発令中ですが気になる方はどうぞ。





構成・文:ヒサマタツヤ



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