なぜ人を傷つけてはいけないのかがわからない少年。自傷行為がやめられない少年。
ずっと関わり続けている男性の話をしよう。その人は2年ほど前であっただろうか、初めて教会にやってきた。わたしと同い年くらいなので、おじさんである。
そんな彼が最近、若いころからずっとやりたかったことを始めた。それがあんまり嬉しいので、ほんとうは詳しく書きたくてうずうずしているのだが、プライバシーのこともあるし、我慢する。とにかく彼は、若い頃にいったん諦めたことに、かたちは違うとはいえ、もういちど挑戦し始めたのだった。いや、それはもはや「再」挑戦ではない。今よりも自由がきいた若い頃とはやり方も違うし、年齢すなわち積み重ねてきた記憶も違うという意味において、今回のことはまったく新しい、未知の冒険である。だからこそわたしは、このおじさんの取り組みを心から応援したいと思う。
わたしは今49歳である。彼も同じくらいだ。
昔の人なら、そう、たとえばわたしの父なら、わたしを含めた子どもたちが生まれ、母と共に子育てに責任を持つようになったとき、自分のことを少なくとも父親と思うようになっただろう。記憶のなかにある父はたしかに若々しかったが、若づくりはしていなかった。父は自分のことを若者とは感じていなかったはずだ。わたしには子どもがいないので、そういう通過儀礼的なものがない。ただ、はっきりと自分がおじさんであると自覚した時期がある。それが、精神の調子を崩し閉鎖病棟に入院した、42歳の初夏のことであった。
もっと若い頃に精神障害があると分かっていればよかったのにとか、あの頃に分かっていればこうすることができたとか。もっと早く治療を始めていればよかったとか。40代にもなって入院したわたしは後悔ばかりしていた。40を過ぎて今さら自分の価値観を変える? そんなことできるのか? いったいどうしろというのか。同世代の友人知人を思い浮かべれば、みんな会社や家庭ですっかり落ち着いていた。彼ら彼女らはこれまでの価値観を変えるのではなく、さらに深めていく時期にさしかかっていた。ところがわたしにはそれが許されていなかった。
冒頭のおじさんもそうだった。彼はわたしと違って精神障害ではなかったし、中間管理職として会社にも毎日出勤していた。だが彼はとてもつらい事情を独り抱え込み、自分のことを「社会のレールから外れてしまった」と強く責めていた。はたから見ていて、ほんとうに心が痛む状態であった。彼が初めて教会にやってきて、わたしに苦しみを吐露したとき。わたしは聖書の詩編にある、こんな言葉を想いだしていた。
'わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。 '
詩編 22:2
'わたしは虫けら、とても人とはいえない。
人間の屑、民の恥。 '
詩編 22:7 いずれも新共同訳
最初の言葉のうち「わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか」は、十字架に磔となったイエスが、激痛と絶望のなかで絶叫した言葉でもある。
そんなおじさんとわたしは、かれこれ2年以上はつきあいを持っている。そういうなかでの冒頭の出来事であった。彼は苦しみぬいた末に、今の仕事を続けながらも若いときとは違う仕方で、地味に、しかし確実に、自分がずっとやりたかったことを始めたのだ。しかしそれは、いちど深い挫折の痛みを経験し、その傷痕を抱えたうえでの、若い頃とは一味も二味も違う、むしろ若い頃には決して味わえなかったであろう、静かな喜びをともなう出発なのである。
人は何歳からおじさんやおばさんになるのか。正確には分からない。人によってもちがうと思う。ただ、わたしなりに感じることを言わせていただければ、おじさんやおばさんになるのは、若い頃に持っていた夢や希望──具体的なそれらでなくても、そういう夢や希望を持つことができるという可能性そのもの──を諦める、そのつらさを知ったときなのかもしれない。いきなり挫折が襲ってくることもあるだろう。なにかの試験に失敗したり、外的な災難に襲われたり、離婚したり。あるいは、一見ポジティヴに見える出来事のなかでも、独りひそかに夢を諦めることだってあるだろう。結婚や出産を優先するため、長年追いかけていた夢を諦めざるを得なかった人。そんな人たちの話を聞かせてもらうこともあった。一方で、具体的な「これを諦めた」という自覚をともなわないこともある。年齢を重ねていくなかで不意に振り返ると、いろんなものを諦め捨てていた、そのことに気づいて愕然とする。それもまた苦しいことである。こんなふうに諦めるつらさ、人生の苦みを味わったとき、人は自分がもはや若者ではなく、おじさん、あるいはおばさんになったと気づくのかもしれない。
「何歳からでもやり直せる」とは言う。しかしそれがどれほど難しいことかは、わたしも閉鎖病棟で痛いほど味わわされたことである。何歳からでもやり直せるという言葉があまりにも空虚だからこそ、人は多くのものを諦め、手放しながら生きていくしかないのである。それが現実である。そもそも、「何歳からでもやり直せる」という表現は、あまりにもドラマティックすぎるのではないか。たとえば一念発起、起業して大成功を収めるとか。一発逆転、ぜんぜん違う分野で高い評価を得たとか。自己啓発本にありそうな、そういう「何歳からでもやり直せる」である。そんなことができるのは、ほんのわずかな人だけであろう。
おじさんが話してくれたことは、そういうことではなかった。プライバシーのため話せないが、もしも話せたとしてもほとんどの人が「なんだ、そんなことか」と思う程度の、ごくささやかな挑戦である。けれども、彼と2年ほどにわたる時間を共有してきたわたしにとって、それは輝かしい挑戦、大きな冒険に見える。なぜならわたし自身、やはりささやかながら、わたしにとっては至難の業であった価値観の転換を迫られ、時間はかかったものの、どうにかそうしてきたからである。
文:沼田和也