なぜ人を傷つけてはいけないのかがわからない少年。自傷行為がやめられない少年。

いつも流し台の狭い縁に“止まっている”おじさん。50年以上入院しているおじさん。「うるさいから」と薬を投与されて眠る青年。泥のようなコーヒー。監視される中で浴びるシャワー。葛藤する看護師。向き合ってくれた主治医。「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた牧師がありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月を綴った著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』が話題の著者・沼田和也氏。沼田牧師がいる小さな教会にやってくる人たちはどんな悩みをもっているのだろう? ほぼ同い年のあるおじさんとの対話を通して感じた、年を重ねても未知なる冒険に挑戦するということとは?







 ずっと関わり続けている男性の話をしよう。その人は2年ほど前であっただろうか、初めて教会にやってきた。わたしと同い年くらいなので、おじさんである。

礼拝にも時々は来るが、むしろ平日、仕事が早上がりした後に、彼はやってくる。紆余曲折を経て、今は独り身である。つらいこと、苦しいこと……ときどき教会にやってきては、彼はわたしに話してくれた。バナナやキャベツ、だしの素なんかを差し入れしてくれたこともある。 



 そんな彼が最近、若いころからずっとやりたかったことを始めた。それがあんまり嬉しいので、ほんとうは詳しく書きたくてうずうずしているのだが、プライバシーのこともあるし、我慢する。とにかく彼は、若い頃にいったん諦めたことに、かたちは違うとはいえ、もういちど挑戦し始めたのだった。いや、それはもはや「再」挑戦ではない。今よりも自由がきいた若い頃とはやり方も違うし、年齢すなわち積み重ねてきた記憶も違うという意味において、今回のことはまったく新しい、未知の冒険である。だからこそわたしは、このおじさんの取り組みを心から応援したいと思う。



 わたしは今49歳である。彼も同じくらいだ。

そういえば、わたしは何歳からおじさんになったんだろう。とにかく今はどう考えても、自分のことを若者と呼ぶのはおかしいと感じる。じゃあ、何歳からわたしは若者ではなくなったのだろう。ひきこもりを脱して、ようやく牧師という仕事に就いた、32歳の春のことだろうか。世話好きの知人に紹介されて、お見合い結婚をした34歳の春、わたしはおじさんになったのか。だがあの頃はまだまだ、自分は若いと感じていたように思う。



 昔の人なら、そう、たとえばわたしの父なら、わたしを含めた子どもたちが生まれ、母と共に子育てに責任を持つようになったとき、自分のことを少なくとも父親と思うようになっただろう。記憶のなかにある父はたしかに若々しかったが、若づくりはしていなかった。父は自分のことを若者とは感じていなかったはずだ。わたしには子どもがいないので、そういう通過儀礼的なものがない。ただ、はっきりと自分がおじさんであると自覚した時期がある。それが、精神の調子を崩し閉鎖病棟に入院した、42歳の初夏のことであった。

わたしは病棟内で43歳の誕生日を迎えた。詳しいことは拙著『牧師、閉鎖病棟に入る。』に書いてあるので割愛するが、要するにそこでわたしに要求されたことは、これまでの思い込みを脱すること、価値観を方向転換することであった。そしてその際に重要だったのが、「いろいろ諦める」ことだった。この諦めるという作業をとおして、わたしは自分が年相応のおじさんであることを自覚するようになっていったのである。



 もっと若い頃に精神障害があると分かっていればよかったのにとか、あの頃に分かっていればこうすることができたとか。もっと早く治療を始めていればよかったとか。40代にもなって入院したわたしは後悔ばかりしていた。40を過ぎて今さら自分の価値観を変える? そんなことできるのか? いったいどうしろというのか。同世代の友人知人を思い浮かべれば、みんな会社や家庭ですっかり落ち着いていた。彼ら彼女らはこれまでの価値観を変えるのではなく、さらに深めていく時期にさしかかっていた。ところがわたしにはそれが許されていなかった。

わたしは生き延びるために一から自分を見つめ直し、再構築する必要に迫られていたのである。



 



 冒頭のおじさんもそうだった。彼はわたしと違って精神障害ではなかったし、中間管理職として会社にも毎日出勤していた。だが彼はとてもつらい事情を独り抱え込み、自分のことを「社会のレールから外れてしまった」と強く責めていた。はたから見ていて、ほんとうに心が痛む状態であった。彼が初めて教会にやってきて、わたしに苦しみを吐露したとき。わたしは聖書の詩編にある、こんな言葉を想いだしていた。



 



 



'わたしの神よ、わたしの神よ



なぜわたしをお見捨てになるのか。



なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず



呻きも言葉も聞いてくださらないのか。 '



詩編 22:2 



 



 



'わたしは虫けら、とても人とはいえない。



人間の屑、民の恥。 '



詩編 22:7 いずれも新共同訳



 



 



 最初の言葉のうち「わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか」は、十字架に磔となったイエスが、激痛と絶望のなかで絶叫した言葉でもある。

その同じ詩編22篇のなかに、自分なんか虫けらだ、人間の屑だと。恥でしかないじゃないかと。そういう言葉もまた連ねられているのである。彼は物静かな人で、泣いたりわめいたりすることは一切なく、むしろ笑顔さえ見せながらわたしに事情を話した。しかしその笑顔には寂しさが滲み出ていた。今さら自分になにができるというのかと。自分は完全に、生き方を間違えてしまったと。もうどうすることもできないじゃないかと。



 そんなおじさんとわたしは、かれこれ2年以上はつきあいを持っている。そういうなかでの冒頭の出来事であった。彼は苦しみぬいた末に、今の仕事を続けながらも若いときとは違う仕方で、地味に、しかし確実に、自分がずっとやりたかったことを始めたのだ。しかしそれは、いちど深い挫折の痛みを経験し、その傷痕を抱えたうえでの、若い頃とは一味も二味も違う、むしろ若い頃には決して味わえなかったであろう、静かな喜びをともなう出発なのである。

だからわたしは、それがまるで自分のことであるかのように嬉しかったのだ。かたちはぜんぜん違うけれども、わたしもまた精神科の閉鎖病棟のなかで、自分がおじさんであることを知り、変化を促され、勇気を出して一歩、踏み出したからである。



 人は何歳からおじさんやおばさんになるのか。正確には分からない。人によってもちがうと思う。ただ、わたしなりに感じることを言わせていただければ、おじさんやおばさんになるのは、若い頃に持っていた夢や希望──具体的なそれらでなくても、そういう夢や希望を持つことができるという可能性そのもの──を諦める、そのつらさを知ったときなのかもしれない。いきなり挫折が襲ってくることもあるだろう。なにかの試験に失敗したり、外的な災難に襲われたり、離婚したり。あるいは、一見ポジティヴに見える出来事のなかでも、独りひそかに夢を諦めることだってあるだろう。結婚や出産を優先するため、長年追いかけていた夢を諦めざるを得なかった人。そんな人たちの話を聞かせてもらうこともあった。一方で、具体的な「これを諦めた」という自覚をともなわないこともある。年齢を重ねていくなかで不意に振り返ると、いろんなものを諦め捨てていた、そのことに気づいて愕然とする。それもまた苦しいことである。こんなふうに諦めるつらさ、人生の苦みを味わったとき、人は自分がもはや若者ではなく、おじさん、あるいはおばさんになったと気づくのかもしれない。



「何歳からでもやり直せる」とは言う。しかしそれがどれほど難しいことかは、わたしも閉鎖病棟で痛いほど味わわされたことである。何歳からでもやり直せるという言葉があまりにも空虚だからこそ、人は多くのものを諦め、手放しながら生きていくしかないのである。それが現実である。そもそも、「何歳からでもやり直せる」という表現は、あまりにもドラマティックすぎるのではないか。たとえば一念発起、起業して大成功を収めるとか。一発逆転、ぜんぜん違う分野で高い評価を得たとか。自己啓発本にありそうな、そういう「何歳からでもやり直せる」である。そんなことができるのは、ほんのわずかな人だけであろう。



 おじさんが話してくれたことは、そういうことではなかった。プライバシーのため話せないが、もしも話せたとしてもほとんどの人が「なんだ、そんなことか」と思う程度の、ごくささやかな挑戦である。けれども、彼と2年ほどにわたる時間を共有してきたわたしにとって、それは輝かしい挑戦、大きな冒険に見える。なぜならわたし自身、やはりささやかながら、わたしにとっては至難の業であった価値観の転換を迫られ、時間はかかったものの、どうにかそうしてきたからである。



 



文:沼田和也

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