社会学者・宮台真司が、旬のニュースや事件にフォーカスし、この社会の〝問題の本質〟を解き明かした名著『社会という荒野を生きる。』がロングセラーだ。
■「ブラック企業」問題を切り分ける必要
「ブラック企業」という言葉がインターネット上で使われ始めてから、随分時間が経ちました。その間、非正規雇用者がますます増えてきました。そんな中で、この「ブラック企業」という言葉が指し示すべきものも、ずいぶん変わってきてしまっているんです。
だから「ブラック企業」という言葉で一括りにされると、問題の切り分けが難しくなってしまいがちです。実際、何が問題なのか見通しが利かなくなっていると思います。まずは、そのあたりから整理をさせていただき、根本的な処方箋を提案いたします。
最初に「ブラック企業」の存在が世間的に大きな話題になったのは2008年の「ワタミ」事件[2008年、ワタミフードサービスに就職した女性が、入社後わずか2カ月で自殺。
例えば、これは2014年に「すき家」で話題になった、非正規労働者による「ワンオペ」と呼ばれる過酷な夜間の長時間労働とは、方向性が違うものです。まず前者の「正社員の終身雇用を前提とした、長時間のサービス残業」。例えば、「霞が関官僚」にとっては、普通のこと。
それどころかマスコミ各社でも普通に行なわれています。皆さんも御存じの通りです。でも、これはABCマートの件と同じで、労使協定を締結して、労働組合側が「ここまではいいよ」という風に合意すれば、法的に全く問題ないということになっているのです。
これは「サブロク協定」と呼ばれるもので、労働基準法第36条に規定があるのでそう呼ばれます。だから「正規労働者の終身雇用を前提とした長時間サービス残業」については、労使協定を作ればエグゼンプション(除外規定)を持ち込めるので、長時間労働規制は事実上ザルです。
■サブロク協定の交渉力を担保する労組
この場合、協定が会社の言いなりである可能性や、協定を会社が守らない可能性があるので、労使の交渉力のバランスが重要になります。
日本の労働者は労働組合法で労働組合を作ることが認められています。詳しくは労働三権と言って、労働組合を作る団結権に併(あわ)せ、それをベースにして団体交渉する権利と、その結果次第でストライキという団体行動をする権利が、認められている訳です。
団結権・団体交渉権・団体行動権の三権は重要で、労組を作るのを妨害したり、労組からの交渉申し入れを拒絶したりすると、最悪、経営陣は罰金刑を超えて懲役刑を喰らいます。逆に、労組を作らないでストをすると、営業妨害で巨額の損害賠償を請求されかねません。
その意味で、小さな企業、新しい企業であっても、正規雇用の人たちはちゃんとした有効な労働組合を作って、労働三権をちゃんとした形で利用できるようにしておかなければなりません。さもないと長時間労働を規定したサブロク協定が有名無実になります。
ちなみに、正規労働者には労組があるから大丈夫だとも言い切れません。かなり大きな会社でも、ちゃんとした組合じゃなく、何もしてくれない「御用組合」が多いからです。労使協定も不利だし、協定が破られても文句を言わない。そんなダメな労働組合のことです。
ちゃんと有効に機能する組合に加入し、組合として会社ときちんと交渉することができないと、労使協定を自分たちにとって不利なものにならないようにすることができないということです。
■非正規労働者の見做し労働という地獄
繰り返すと労働組合を作ることが大事ですが、労働組合の結成は非正規労働者にとってハードルが高く、問題が深刻になりがちです。ちなみに、ABCマートの件(2015年7月に靴の販売チェーン大手、ABCマートで従業員に違法な長時間労働があったとして、東京労働局は労働基準法違反の疑いで運営会社を書類送検しました。ABCマート原宿店では、2014年4月から5月、20代の従業員2人にそれぞれ、月109時間と月98時間の残業をさせていたということです。この会社では労使協定で、残業は月79時間までと定めていたということですが、ABCマートで起こった労働問題はこれを完全に無視していたことになります。)は、昔から知られているタイプの「正規労働者の終身雇用を前提とした長時間サービス残業」です。
むしろ深刻化しているのは、「非正規雇用を前提とした見做し労働(裁量労働)の押しつけ」です。非正規労働者と雇用者の間ではサブロク協定を締結できず、サービス残業は違法です。しかしそこに「見做し労働の押しつけ」がなされる。今日的なブラック企業です。
見做し労働はこの後で説明しますが、これについて、非正規労働者が戦うための有効な手段がなかなかない。個人でも入れるユニオン(労働組合)が一部にあるので、一人で悩まずにユニオンに入り、ユニオンを通し交渉するようにして交渉力を上げる必要があります。
今は工場で労働集約的集団作業をする人はごく一部です。取材してアイディアを練るマスコミ人や、僕みたいな研究者は、食事中に頭を使ったり仕事中に頭を休めたりして労働時間を厳密に計れないから、労働時間を自分の裁量で決めるしかない。これが見做し労働です。
ところが昨今、見做し労働の範囲を不当に拡張して、とりわけサブロク協定を結べない非正規労働者に長時間勤務を強制する動きがあります。これをどうチェックできるか。これも最終的には労働組合を作って団体交渉し協定書を残さないと、チェックは難しい。
■終身雇用の正社員という制度を廃止せよ
とはいえ、先に申し上げた通り、終身雇用を約束されない非正規労働者にとって、会社が嫌がる組合結成はリスキーです。他方、正規労働者には、昨今のように非正規雇用だらけの状況では、非正規に落とされたくなければ無理して働けという圧力が働きがちです。
こうした障害が生じるのは終身雇用制があるからです。第一に、正規と非正規の別なく同一内容同一賃金化を進めた上で、第二に、企業の都合でお金でカタをつけて解雇できるようにすることが大切になります。終身雇用を廃止し、国際標準化するのですね。
右肩上がりの時代がとっくに終わった日本では、終身雇用制は有害か、少なくとも役割を終えています。
第二に、右肩下がりの時代なのに正規労働者を解雇できないので、労働調整のためにサービス残業をさせるしかなくなります。さもなければ、業績不振で賃金カット、挙げ句は倒産となります。正規労働者も倒産と非正規化が恐くてサービス残業せざるをえません。
終身雇用の正社員と、会社が契約更新を拒絶できる非正規労働者の区別がある現状を前提にすれば、団結権・団体交渉権・団体行動権の三権を有効利用する労働組合への加入が必要で、非正規労働者も弁護士がついたユニオンに個人で加入することが重要になります。
しかし、そもそもこの前提がおかしいのです。おかしい理由は今述べました。だから、これまで繰り返し「まず同一労働同一賃金化から出発し、やがて全職種・全組織で終身雇用制を同時に撤廃せよ」と申し上げてきました。これに対する理屈の通った反論は皆無です。
文:宮台真司
(※書籍『社会という荒野を生きる。』から抜粋連載。