BEST TIMES人気連載だった森博嗣先生の「道なき未知 Uncharted Unknown」。不可解な時代を生き抜く智恵や考え方を教えていただきました。
第2回 一人で楽しんでいることいろいろ
【ドライブが好き】
工作は子供の頃からの趣味。ずっと続けていて、常に10以上のプロジェクトを抱えている。無類の飽き性のため一つのことに集中できないから、このようなスタイルになった。工作以外では、庭で土木作業をすることと、近くの野原で模型飛行機やヘリコプタを飛ばすことと、あとはドライブが好きだ。
2年まえにクラシックカーを購入したので、週に2、3回は出かけている。
あと10年もしたら運転が怪しくなるだろうから、今のうちに楽しもうと考えている。その頃には自動運転になっているかもしれないけれど、そういう新しい車には興味がない。古い車はオートマではないし、クーラもないし、ナビもパワステもない。窓も手動で開け閉めする。とてもシンプルなので、素人でも修理ができる。これは、自作の機関車で庭園内をぐるりと巡ってくるのと同じジャンルだ。
18歳で免許を取って以来、コンスタントにドライブを楽しんできた。出勤はいつも車だったし、休日も車で出かけた。新婚旅行も長距離ドライブだったし、作家になって編集者と四国や九州の遊園地へ行ったときも車だった。作家デビューして思わぬ印税収入があったのでポルシェを新車で買った。最後の空冷エンジンだった。ミニやチンクエチェントも乗った。大学の講座の学生たちと一緒にキットカーを組み立てたこともある。
何が良いのかというと、車で走っているときはエンジンの音しか聞こえない、いわば静寂な環境、これだと思う。だから、車内で音楽を聴いたりはしない。なにかを考えることもなく、周囲の風景を見ているわけでもない。ただ運転をする、というシンプルな体験が面白い。
【読書は趣味というよりは日常】
「森博嗣は本を読まない」と噂されることがあるが、これは誤解だ。「小説は読まない」と何度か書いたから、「本=小説」と認識している皆さんに、そう受け取られたらしい。僕は、小説以外の本を年間で200冊以上読む。このほかに雑誌を60冊以上購読している。毎日数時間は読書に費やしていて、その時間は年々増加傾向にある。歳を取ったので、躰に負担のない時間の過ごし方として読書が最適だからだ。ただ、目が疲れる。無制限に本を読めない理由は目の耐久性にある。睡眠を充分に取る以外にないだろう。僕は薬とかサプリメントというものを一切飲まない人間なので自然治癒に頼っている。
漫画はだんだん読まないようになった。アニメもほとんど見ない。
ほぼ電子書籍で読んでいる。読みたいものを好きなときに買って、すぐ読めるのが良い。面白くても、面白くなくても、必ず全部読む。面白くないものも、何が面白くないかを考える材料になる。
【ゲームはしなくなった】
コンピュータ・ゲームに夢中になった時期がある。80年代後半から90年代だったか。自分でもゲームを作ろうとした。いくつかは完成して周囲の友人たちに配った。その後、小説家になってからは、ゲームから遠ざかった。時間がなくなったためだが、入れ替わるように、世間でゲームが普及していったように思う。
僕の奥様(若い頃に苦労をかけたので、あえて敬称)の父上は、会社を定年退職したのちゲームを趣味にされている。それ以外には目立った活動をしていないようにお見受けする。コンピュータは老後にはもってこいだ、と何度か書いたけれど、ゲームもこれに含まれる。運動不足になるという欠点はあるものの、過度に体力を消耗することもなく、膝や腰が痛くても楽しめるし、なによりも手軽で経済的だ。頭の運動になるので、その点でも良い効果が見込める。
ギャンブルもゲームだろう。スポーツもゲームの一種だと認識している、僕はギャンブルもスポーツもしない。20代くらいまでで卒業した。夜に飲みにいくのもゲームかもしれない。これは30代で卒業した。友人とラインをやり取りしたり、ツイッタに没頭するのもゲームだと思う。これは入学しなかった。世の中は、だんだんゲームの世界へシフトし、ヴァーチャルに近づいている。悪いことではない。
世界中で勃発している争いも、すべてヴァーチャルの中で戦い合えば良いのに、と思うことがある。まだまだ、人間は現実の物体(土地や人も含む)に取り憑かれているのだ。
そういう自分も、庭で土を掘って、線路の工事をする。手は汚れ、躰は疲れる。楽しみをヴァーチャルで再現できたとしても、疲労などのマイナス面は現実で生じるだろう。そのマイナス面を「やり甲斐」とか「生き甲斐」と総称する。これらの言葉をプラスの意味に受け取っている人が多いようだけれど、希望的観測であり、悪くはない。
【仕事をきかれたら「無職です」と答える】
四十七歳までは国家公務員だった。その後も作家業は続けているけれど、最近では、尋ねられたり、書類に記入するとき、「無職」と答えている。なにしろ、ほとんどなにもしていないのだから正直なところである。
「働く」といえるのは、奥様からの依頼で掃除とか、なにかの修理とか、屋根の上でブロアをかけたり、ペンキを塗ったり、ホースをつないだりくらい。終わったときには「ああ、仕事をしたなあ」という達成感が味わえる。特製ジュースくらいが報酬だ。
犬のシャンプーや落葉掃除、あるいは除雪なども僕の役目と決まっている。これら定例の「仕事」は、前述した「遊び」の合間に行う。さらに、その遊びと仕事の僅かな合間で、こんなとりとめもない文章を書いている。
文:森博嗣