■安倍晋三の力を最も高く評価していたのはアベガーだった



 安倍晋三元首相が暗殺されてから、ひと月が経とうとしている。直後には参議院選挙が行われ、9月に国葬が営まれることも決まった。



 しかし、この未曽有の大事件によって何が変わったかといえば、意外と何も変わっていないという印象だ。



 たとえば、参院選において、いわゆる同情票が自民党に集まるのではといわれたが、得票率は前回の参院選とほぼ同じ。厳密には、0.9ポイント(%)下がっている。



 また、国葬決定にも反対意見が出た。その代表的勢力は、例によって朝日新聞。連載コーナーの「朝日川柳」において、



「疑惑あった人が国葬そんな国」「死してなお税金使う野辺送り」



 といった句を積極的に掲載し、批判的空気を醸成しようとしている。



 とまあ、生前とさして変わらない風景が広がっているわけだ。この暗殺事件が世界的にも注目され、国内でも語り継がれることは間違いないが、にもかかわらず、何も変わっていないというのはちょっとした驚きではある。



 ただ、その理由はわからないでもない。安倍嫌いのいわゆる「アベガー」たちにとって、彼は生きていても死んでいても関係ない存在だったのだ。言い換えれば、人間以外の存在、キャラクターとか概念みたいになっているのだろう。



 だからこそ、暗殺直後から生前の言動に対する批判、さらには「ざまあみろ」「自業自得」的な声もあがった。

参院選の自民党得票率が横ばいだったのも、同情と嫌悪がプラマイゼロだったことの反映といえる。「朝日川柳」も一部にはウケると確信していたのだろう。むしろ、暗殺に憤り死を哀しむ人がいればいるほど、アベガ―も意地になって叩き続けている印象だ。



 ではなぜ、アベガーは生前の彼をこうしたキャラクターや概念にして、死後も変えようとしないのか。



 転機として考えられるのは、2012年の復活だ。その5年前にもっぱら健康上の理由から首相を辞任した彼は、体調を回復させ、再登板を果たした。しかも、前回の在職時より政治家としての実力を高め、難病で一度は退陣した人とは思えない心身のタフさを示しながら、歴代最長となる安定政権を築いていく。



 いわば、政治生命を絶たれたかに見えた人が奇跡的に甦り、さらに強大化して頂点に君臨し続けたのだ。支持者にとっては頼もしい限りだが、嫌いな人にとってはゾンビのようにも思えたのではないか。その恐怖と不安が、彼を人間以外のキャラクターや概念にしてしまうという、飛躍的行動に走らせたのだろう。すなわち、安倍の「悪魔化」である。



 ただ、彼は人間だった証拠に、2年前、再び健康上の理由から退陣している。

にもかかわらず、アベガーは悪魔化をやめなかった。またすぐに回復して、再々登板をするのではと怯え、ともすれば、現職の首相以上に叩き続けたのだ。ある意味、彼の力を最も高く評価していたのはアベガーだったともいえる。



 さらに今回、たった一発の銃弾で亡くなるという最期を遂げたことで、生身の人間だったことがまた証明された。それでも、アベガーが悪魔化をやめないのはこれまでとは別の理由も加わったからだろう。それは「うしろめたさ」というやつだ。



 約10年間「アベしね」などの誹謗中傷をネットやリアルで行ったり、国会やデモで葬式ごっこやそれに似たパフォーマンスをしたり。そういう過激さのまかり通った状況が、彼になら何を言ってもいいし、何をしてもいいという「反アベ無罪」的な空気を生んだ。ひいてはそれが、殺害対象に彼を選んだ犯人の意識に影響を与えたことは否定できない。



 つまり、彼を人間だと認めてしまうと、自分も間接的にこの暗殺に加担してしまったのでは、といううしろめたさにとらわれかねないのだ。そこから逃れるためにも、悪魔であり続けてもらわないと困るのだろう。





 しかも、アベガーにとって好都合なことに、犯人は統一教会への恨みを口にしているという。

母が信仰にのめりこみ、それによって自分の人生がおかしくなったため、その宗教団体とつながりを持つらしい大物政治家を殺したという動機が伝えられている。それが本当なら、所詮、逆恨みにすぎない。子は親を選べないという意味で、すべてが自己責任とも言い切れないとはいえ、なるべく他人を巻き込まずに、自分自身で決着させるしかない問題だからだ。



 ただ、統一教会にはこれまで培われてきた負のイメージがあり、アベガーはそこを免罪符に利用できる。いわば、悪魔同士がつながっていたから、殺されても仕方ないのだという、責任転嫁に使えるのである。



 なお、政治と宗教がある程度つながるのは当たり前のことだ。政治とはつまるところ、利益の配分調整なのだから、支持してくれそうな勢力は受け容れ、その便宜を図る。この能力に優れていたことが、安倍を大政治家にした。はっきりいって、共産主義とは国益上、絶対に組めない以上、つながる相手として統一教会はまだマシだろう。



 そういえば、彼の死で未亡人になってしまった安倍昭恵に、有名な写真がある。「アベ政治を許さない」と書かれた紙を持った人たちと、笑顔で記念撮影しているものだ。自分以上になんでも受け容れるタイプの妻の自由奔放な振る舞いも、あっさりと受け容れるのが安倍流でもあった。



 が、そんな安倍流は両刃の剣だったりもする。なんでも受け容れ、取り込みながら強大化していく姿は、嫌いな人にはいっそう悪魔的にも映っただろう。



 とはいえ、彼はアベガーに対し「こんな人たちに負けるわけにはいかない」とは言ったが、弾圧をするわけではなかった。いわば、安心して叩ける悪魔だったのだ。しかも、叩くことで野党は存在感を保てるし、メディアは儲かる。ひょっとしたら、死んだことでますます叩きやすくなったと思ってる人もいるのではないか。もはや歴史的悪役、それこそ、ヒトラーあたりと同じ扱いかもしれない。



 ただ、沈黙した人もいる。左翼的芸能人の小泉今日子がそのひとりだ。2年前には、



「こんなにたくさんの嘘をついたら、本人の精神だって辛いはずだ。政治家だって人間だもの」



 と、ツイート。人間性を疑うような指摘をして、そこに「さよなら安倍総理」というハッシュタグをつなげたりした。

が、今回の暗殺についてはまだ何も言及していない。その死によって、彼も「人間」だったことを改めて思い知らされ、ショックを受けたのだろうか。



 あるいは、人気とイメージがすべての芸能界で一度は成功した人だから、彼に好感を持つ人のほうが、アベガーよりも多いことにそろそろ気づけたのかもしれない。



 ちなみに、人気がありながら志なかばで非業の死を遂げた人は怨霊になるので、祀って鎮めなければいけないという伝統的心理が日本にはある。が、今回はこんなツイートを見かけた。



「安倍元総理が怨霊になる姿は想像できない。人柄ですね」



 いっそ、怨霊になってアベガ―を恐れさせてくれれば痛快なのだが、たしかに彼はそういうタイプの人ではないように思える。



 実際、海外のほとんどの国では悪魔化する必要もないため、人間としての追悼が普通に行われているようだ。米国の政治評論家、トバイアス・ハリスはこんな言葉を手向けた。



「時に孤独な戦いを行ってきた安倍は、危険な世界で国を守ることができる『強い国家』という彼のビジョンを、国民が理解しはじめたかもしれない矢先に逝ったのだった」



 また、遭難の知らせを聞き、病院に急行した菅義偉前首相は「淋しがり屋でもあったのでそばにいてやりたいと」と、故人の人柄も合わせて哀しみを吐露した。



 悪魔化に取り憑かれた人にはそんな「人間・安倍晋三」が見えない。ただ、その悪魔化運動が彼のカリスマ的イメージをさらに強大なものにした。

そのイメージは、実体をはるかに超えるものだ。皮肉なことに、アベガーが日本史においても類を見ない国民的政治家を生み出したといえる。





文:宝泉薫(作家・芸能評論家)

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