神戸大学工学部100周年記念学内シンポジウム「大学(工学)教育を考える」(2022年7月15日)が、小池淳司・神戸大学大学院工学研究科長の司会のもと開催された。ゲストは工学以外の分野で活躍されている方として、評論家の中野剛志氏と作家の適菜収氏が迎えられた。

テーマは、①「そもそも教育するとはどういうことか?」、②「教養とは何か、またそれをどう教えるべきか?」 ③「これからの大学(工学)教育はどうあるべきか?」。 大学の社会的役割、次世代の技術者・研究者の教育に関する議論、および「知」「技」の伝達をめぐる議論は、ビジネスの世界でも参考にもなるだろう。今回BEST TIMESでは全5回にわけてシンポジウムの内容を配信する。





■第4回 科学技術についての悲観論と楽観論



中野:科学技術については悲観論と楽観論があります。楽観論からいうと、たとえばマクドナルドとかスターバックスとか、ああいうどこに行っても同じ味で、標準化された、いろいろなところに展開しているといったような、近代主義の権化みたいな、数値目標とマニュアルで管理しているので、職人芸なんかいらないというビジネスがあります。街の小料理屋みたいに裏メニューもない。お店に来る人と、お店の人が、知り合いになることもない。こういった世界になっている。それが効率的だというわけです。そして、そういう発想で標準化しないとグローバル化もしない。



 ビジネスマンたちは大学も同じように効率的にしようとしている。「授業を英語でやりましょう」が典型ですけれど、大学の教育を標準化してグローバル化しようとしている。

ロシアだろうが、インドネシアだろうが、マクドナルドがあるのと同じです。挙句の果てに、「スーパーグローバル大学」なんていう、なんか、英語としてもおかしいような名称が出てきて、逆にガラパゴス化するという、笑えない話になっている。



 それでも、楽観論といったのは、そういう街の小料理屋の名店が潰れたかっていうと、そうはなっていないということです。ファストフードに飽きる人もいるし、ファストフードばかり食べて太っちゃったとかいう人もいる。それではつまんないなという人間の根源的な欲求があるはずです。AIに全部任せて、考えなくてもいいやっていうことで済む人間は、もともとAIがなくてもどうせ考えてなかったわけです。本当に考えている人、面白い人、クリエイティビティの高い人は、AIに任せて何も考えないということには耐えられない。そういう標準化されてない人間、クリエイティビティの高い人間、規格外の人間もいます。彼らはやっぱり、生きづらいわけですね。行き場がない。私みたいに役所にいられればいいんですけれど。でも、そういう規格外の人間がイノベーションを生み出すわけです。

そういう人たちを守って育ててあげる場所が必要です。それが、まさに大学です。



 成績はよくないけれど、どれか一つだけ突出している子がいます。平均点が低い子はサラリーマンとしてはダメですが、天才的なソフトウエアの開発者には向いていたりする。そういう規格外の人間を許容して、彼のいいところを知るためには、彼と長く付き合う必要がある。だから、大学に置いておくのです。そういう人間は、世の中から消えてなくならない。人間はロボットにはなりきれないので、どんな時代でも、一握りの少数の優れた人間、規格では我慢できないクリエイティビティの高い人間がいる。科学技術においてものすごい成果を成し遂げるような人間を、規格にそろってないからといって排除すると、進歩のチャンスを奪うことになる。それはすごい損失です。



 たとえば、「シリコンバレーでは、こうなってるから、日本の教育は、こう変えるべきだ」と言う人がいるけど、考えてみてください。そんなにアメリカの教育が素晴らしくて、シリコンバレーができるのなら、どうしてアメリカ全土がシリコンバレーになっていないんですか。

おかしいじゃないですか。あるいは、なんで、みんな、シリコンバレーに行きたがるんですか。デジタル化で場所を選ばないんだったら、行く必要はない。なぜシリコンバレーに憧れるんですか。これはアナリ-・サクセニアンという人が、ちゃんと研究している(『現代の二都物語』)。



 シリコンバレーは、フェイス・トゥ・フェイスで、人間関係を欲する連中が集まっている。変な奴でも、あそこに行くと、変な奴ばっかりだから、認めてもらえる。「オレのことをわかってくれる奴が、あそこならいる」って、変人たちが集まって、変人のコミュニティができて、彼らが、仕事が終わったら、変人たちが集まるクラブに集まったり、ビール飲みに行ったりする。それで、「オマエ、すげえな。面白いな。今度、ウチの研究室、来いよ」とか「ウチの企業ではこういう研究やってるから意見を聞かせてくれ」といった感じの交流が生まれる。そういうような人脈が欲しいから、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションが欲しいから、シリコンバレーに集まるのでしょう。

だから、シリコンバレー以外は、シリコンバレーになっていないのです。言い換えれば、シリコンバレーは標準化されておらず、グローバル化していないからこそ、イノベーションが起きるのです。





適菜:中野さんがおっしゃるような人間のつながりの問題は重要です。なぜなら、近代、およびその原理としてのナショナリズムは、人間を個に分断する働きを持っているからです。グローバリズムは、辛うじて国家という単位でつくりあげたつながりをさらに分断する。人間を数値化していけば国という単位すら必要なくなってくる。実際、そういう人間が増えてきたから、日本は壊れたのだと思います。



 私はたまに「日本はどうすれば立ち直ることができるんですか?」みたいなことを聞かれることがあるのですが、たぶん無理です。世の中には取り返しのつかないことは山ほどあります。一般論としても壊れたものは元には戻りません。先ほども言ったように、歴史を見れば衰退した国もあるし滅んだ国もあります。私が「日本はすでに滅びている」と言うと、言いすぎじゃないかと思う人もいると思いますが3つメルクマールを挙げることができると思います。



 1つ目は省庁をまたがる形で発生した国家の根幹の破壊です。森友事件における財務省の公文書改竄、防衛省の日報隠蔽、厚生労働省のデータ捏造などで国家の信用を地に落とした。しかも、その多くは根本的には解決していない。公文書の改竄は国家の記憶に対する攻撃です。



 2点目は、デタラメなやり方で、日本政府は安保法制を通したわけですが、そのときに首相補佐官の礒崎陽輔が「法的安定性はどうでもいい」と言ったんです。つまり、日本は法治国家ではないということです。その後礒崎は訂正しましたが、要するに人治国家であることを宣言したわけです。これは法に対する攻撃です。



 3つ目は稲田朋美が防衛相だったときに、南スーダンの戦闘に関し、「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、(日報で)武力衝突という言葉を使っている」と発言したことです。現役の閣僚が国が憲法を無視していることを公言したわけです。以上の3点で日本をまともな近代国家と考えるのには無理があると思います。日本が壊れている主張する証拠はこれだけで十分だと思います。

一連のグローバル化により国そのものが壊れてきて、人間のつながりも稀薄になった。だから、社会から活力が失われた。私はかなり悲観的です。壊してしまうのは一瞬でできますが再建するのには時間がかかる。再建できないケースも山ほどあるということです。





■工学の力がない国は、これから生き残れない





小池:適菜さんのおっしゃることは重要で「結果よければすべていいでしょ」という人が増えてきて、手続きの正当性や議論、熟議・熟考といったものを効率が悪いものとしてしまう。それで制度を無理矢理解釈してしまう。政治の世界でも大学内でもそうです。感情で物事を決めたりが横行しています。



 しかし、これは今に始まったことでもないかもしてません。オルテガ・イ・ガセットの『大学の使命』をたまに読むのですが同じようなことが書いてあります。何百年も同じことをやってきたのですね、それも大学内で。ここで抵抗しないとこのまま押し切られてしまう。適菜さんが言うようにやっぱり大学は抵抗しなきゃいけない。議論は正当に行われないとなかなか変わっていかない。それが大学の危機の一つだし社会全体の危機に通じますね。





適菜:だから効率とかコスパとかいう奴を徹底的に罵倒しなきゃいけない。





小池:中野さんは経産省としてこの大学の工学教育あるいは神戸大学のレベルの技術者とか教育体制、将来に期待することはありますか。高度経済成長期、5割以上、6割近くのGDPは製造業で行われてきて、現在は3割切っていると。時代に合わせるならば、縮小化というのは、当然、考えられるでしょう。



 しかし、一方で、工学の役割が終わったわけではない。あるいは、神戸大学は、そんな悪い大学じゃなくて、技術者のエリートを育てている自負もある。こういったなかで、経産省のお考えと中野さん自身の将来に対する次の100年に向けての展望はありますでしょうか。





中野:経産省の考えは基本的に間違えてますから、経産省の話なんか聞かないほうがいい。私個人の見解は、経産省よりだいぶマシだと思います。まあ、それは冗談でして、それはともかく私見を申せば、産業の中心が農業から工業になり、さらに情報サービス業になるという発展段階説が流布しています。こういう発展段階説に立つと、製造業の時代は終わったかのような印象を受けます。ところが、この10年間くらいは、第4次産業革命と言われて、IOT(様々な「モノ」がインターネットに接続され、情報交換することにより相互に制御する仕組み)なんか典型ですが、もう1回、製造業に戻ってきているんですね。バーチャルの世界だけではダメで、リアルの世界とつながらないといけないと言われるようになってきた。工学の世界はデジタル化で駆逐されるのではなくて、むしろ重要性を増しているのではないでしょうか。



 加えて、最近のコロナもそうですし、気候変動、あるいはウクライナ戦争や台湾の危機など、地政学的に不安定化している。そうすると、マスク、食料、水、電力、ガスといった、当たり前にあったはずの基礎物資が足りなくなるという激しい時代になった。そうすると、議論が逆転するんですよ。これからはソフトウエアだとか、デジタルの世界だという議論は、アメリカが覇権国で、世界がそこそこ平和で、食料や水やエネルギーの供給に心配する必要のない、グローバル化で上手くいっていた時代の話です。いまは、そこが全部、ぶっ壊れている。そういう基礎的な物資が欠乏し、稀少になってくると、工学の力がない国は生き残れなくなります。



 最近、メタバース(コンピュータやコンピュータネットワークの中に構築された、3次元の仮想空間やそのサービス)なるものが流行っているようですが、明日食うものがなくなったらどうするのという時代に、メタバースとか言ってはしゃいでいる場合かということです。文明論的には、かなり暗い話ですが、しかし、基本に立ち返って、リアルな世界で真面目にやろうよということです。今、米中で技術の取り合いをやっています。これは工学の奪い合いですね。結局、地政学的にきな臭くなると、工学技術の競争ということになる。その意味でも、時代はすっかり変わって、工学が極めて重要性を増しているように思いますね。





小池:ありがとうございます。アメリカにレッドウィングという靴メーカーがあります。伝統的なレザーブーツを作っていて知っている人も多いと思います。そこが去年サイバーテロに遭った。すでに全工程をオートメーション化していたので、設計図がなくなり、工場も止まった。それでどうしたかというと、レッドウィングの引退した職人を呼んできて、もう1回設計図を作らせている。これ、あと、10年遅かったら、大変なことになっていたそうです。



 われわれはウクライナ情勢とか、いろんなことで、このようなリスクを目にしているわけですけれども、できる限りリスクを分散させないと非常に危険です。だから、継続させることは非常に重要で、大学の存在あるいは大学の教育も社会全体のリスク管理としても、当たり前のこととして、やっておかなければならない。そしてそれは非効率的なものをふくめて議論しなければならないということと思います。今日のお二人のお話で、僕の疑問はだいぶわかったし、もっと、わからなくなったこともあります。一度、ここで、シンポジウムを終えて、質疑応答を始めたいと思います。



(鼎談第5回へつづく)





<登壇者プロフィール>





■中野剛志(なかの・たけし)



1971年、神奈川県生まれ。評論家。元京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治思想。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『日本の没落』(幻冬舎新書)、『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)など。『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』、『全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』、『楽しく読むだけでアタマがキレッキレになる 奇跡の経済教室』(KKベストセラーズ)は大ロングセラー中。また適菜収との共著『思想の免疫力』(KKベストセラーズ)もある。最新刊は『奇跡の社会科学 現代の問題を解決しうる名著の知恵』(PHP新書)が絶賛発売中。





■適菜収(てきな・おさむ)



作家。1975年山梨県生まれ。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、『安倍でもわかる政治思想入門』『安倍でもわかる保守思想入門』『国賊論 安倍晋三と仲間たち』、『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』、中野剛志との共著『思想の免疫力』(以上、KKベストセラーズ)、『ナショナリズムを理解できないバカ』(小学館)、『コロナと無責任な人たち』『ニッポンを蝕む全体主義』(祥伝社新書)など著書50冊以上。最新刊は『日本をダメにした 新B層の研究』(KKベストセラーズ)が絶賛発売中。「適菜収のメールマガジン」も配信中 https://foomii.com/00171





■小池淳司(こいけ・あつし)



神戸大学大学院工学研究科長。1992年岐阜大学工学部土木工学科卒業。1994年岐阜大学大学院工学研究科博士前期課程修了(土木工学専攻)。岐阜大学助手。1998年長岡技術科学大学助手。1999年博士(工学)(岐阜大学)。2000年鳥取大学助教授。2007年鳥取大学准教授。2011年神戸大学大学院工学研究科教授。主な著書に、『ようこそドボク学科へ!』(学芸出版)、『Policies to Extend the Life of Road Assets』(International Transport Forum,OEC)、『社会資本整備の空間経済分析』(コロナ社)、『インフラを科学する-波及効果のエビデンス』(中央経済社)、『価値創造の考え方:期待を満足につなぐために』(日本評論社)などがある。

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