パンデミック、ウクライナ戦争、安倍元総理の暗殺、ChatGPTの衝撃・・・予測もつかない出来事が絶えず起こっている世界で、私たちがよく観察し、考えるべきこととはなんだろう。森先生の日常世界にそのヒントがたくさんひそんでいるようだ。

ふと自分の足元を見つめ直したくなる「静かに生きて考える」連載第31回。





第31回 「頑張って」はいわない方が良い?



【「頑張ってね」と気安くいえる人たち】

 別れ際にこんな言葉をかける。「頑張ってね」「気をつけて」「元気を出して」などは、優しい言葉として日本人に広く親しまれている。人間関係の遠近で違ってくるとは思うが、概ね、どんなときでも使える便利な言葉だ。もちろん、日本語以外でも同じような表現がある。いずれも、相手のことを気遣っている、心配している、というこちらの気持ちを伝えたいときに出る。



 けれども、たとえばもの凄く悲惨な境遇の人に、赤の他人がこれをいえるかどうか、というと、なかなか難しい。事故や災害で大切な人を失った人たちに、「頑張ってね」といえるだろうか?



 少なくとも僕はいえない。「元気を出して」もいえない。どうやって頑張れというのか、どんな元気が出せるのか、と反発されそうだ。黙っている方が良い、言葉にならないのが普通だと思う。むしろ、そんな言葉を気安くかけるのは、失礼だと感じてしまう。



 だいたい、僕は人に「頑張って下さい」といわない。そんなことを他人からいわれて、「はい、頑張ろう」と思うだろうか? 思う人もいるけれど、思わない人もいる。どちらなのかわからないから、いえない。



 「気をつけて」は、なにか危険があるかもしれないところへ出かけていく人には、普通にいえる言葉だと思う。でも、できれば何に気をつけるのかを示した方がずっと有効だろう。ただなんとなく、なにかに(あるいはすべてに)気をつけるというのは、難しいのでは?



 いちいちそんな責任を感じず、さらりと挨拶としていえば良い、というのが社会の常識だろうか。「おはようございます」だって、早くなくてもいえるから、挨拶にはそもそも意味はないのかもしれない。言葉を言葉どおりの意味に解釈するのは、素直すぎる?



 「頑張って」よりももっと無責任なのは「応援しています」だと思う。応援することで、どんな影響があるのか知らないけれど、精神的にプレッシャをかけるのは確かで、その言葉で相手を緊張させるかもしれない。応援してもらっているんだ、と自信を強くするような強いメンタリティの持ち主は、なにをいわれても影響しないだろうけれど。





【「頑張るな」というアドバイス】

 「頑張れ」は、英語の「ベストを尽くせ」と同じだろう。集中して、力一杯、ほかのものには目もくれず、しゃかりきになれ、ということだ。

よくスポーツなどで聞かれる「自分を信じて」という信仰も、ほぼ同じで、ようするに、持てる能力の最大限を出せ、というのが「頑張れ」の意味だ。



 ところで、僕の親父は、子供の頃の僕に「頑張るな」と教えてくれた。そういう捻くれた人だった。その親にしてこの息子ありか。



 どうして「頑張るな」なのか。それは、「無理をするな」ということである。そう、頑張るとは「無理をしろ」に近い。そして、脇目も振らず突進するから、「気をつける」こともできない状態になれ、といっている。相当危険なアドバイスなのだ。



 人がパニックになったときが、これに似ている。冷静な判断ができず、周囲に気を配ることもできない。パニックになると、人間は「大変だ!」という気持ちに集中し、「どうしよう?」で頭がいっぱいになる。

元気は出ているかもしれない。でも、冷静にあれこれ連想したり、状況を観察し想像することを忘れるほど、頭が真っ白になる状況を作り上げる。これは「頑張っている」のとほぼ同じだ。パニックに集中し、自分の全能力をそこに注ぎ込んでいる状態なのだから。



 このパニック状態が上手く作用すると、ゾーンに入ったみたいな状況で、良い結果を導くこともたまにある。でも、多くの場合はそうではない。パニックはパニックで、ただ悲鳴を上げて走り回るだけで、適切な行動ができなくて、大きな失敗をしてしまうだろう。



 失敗することに頑張ってしまうのだ。こんなときは、誰かが「水を差す」必要があるだろう。「落ち着きなさい」「深呼吸をして」などと緊張を解く。これは、「頑張らなくて良い」と諭しているのと同じ。「無理をするな」や「調子に乗るな」というアドバイスが、つまり「頑張るな」なのである。



 だいたいの場合、みんなから励まされる立場にある人は、誰よりも自分で「頑張らなくちゃ」と思っているのである。たとえば、結婚式の新郎新婦とか、試験を目前に控えた受験生とか、これから大事な仕事に挑むビジネスマン、新しいプロジェクトに着手する人、誰もが「頑張ろう」と自分を鼓舞している。そんなときに、周囲から「頑張れ」と声をかけられても効果はない。むしろ「この大変さがわかるのか?」と反発を招き、逆効果になりかねない。特に、10代や20代の若者であれば、反発するくらい元気が有り余っているはず。年寄りから「頑張れ」と応援されても、ほぼ効果はない。



 アドバイスとして有用なのは、「リラックスしていこう」という方向性で、「肩の力を抜いて」も同じだ。そう、ピンチの場面で、ピッチャマウンドに行って監督や野手がかける言葉である。つまり、それは「頑張るな」という意味なのだ。





【「頑張る」の反対は、「余裕をもって」】

 頑張ると、集中してしまい、周りが見えなくなる。そうではなく、余裕をもって、少し力を抜き、わざとゆっくりと、きょろきょろして、ほかごとを考えつつ、取り組むことで良い結果を生む場合が多いだろう。特に、なにかの問題で行き詰まっているときや、新しい発想が必要なときなどは、頑張らない方が良い。



 僕は、工作で一つの作業を続けないようにしている。沢山のプロジェクトを同時進行させ、つぎつぎと違う対象へ移って作業を行う。とにかく集中しないようにしているのだ。こうすることで、頭がリセットされるのか、物事を客観的に見ることができる、という効果が得られるからだ。このような仕事の進め方は、全体に余裕がなければ成立しない。なにものにも増して大事なこと、それは「余裕」である。



 余裕には、時間的なもの、金銭的なもの、スペース的なもの、がある。このいずれもが必要であり、さらに、能力的な余裕もあった方が良い。自分の能力の最大出力ではなく、少しセーブして臨む方が良い結果となる。目一杯ではなく、八分目くらいをリミットだと考えること。たとえば、締切は早めに、資金は全額使わない、できるだけ広い場所で作業する、そして、疲れるまえにやめておく、などである。



 「頑張れ」という励ましの言葉は、このように考えると、実質的にろくな効果がないばかりか、ぎりぎりの状態を招いて危険であり、失敗や事故につながる可能性も高い。

むしろ「頑張るな」が正しいアドバイスといえるだろう。





【暖かくなってきたので庭園鉄道の工事開始】

 庭園鉄道の工事を始める季節になった。冬の間は地面が凍結していて、スコップを刺すこともできなくなる。そして、当地では冬というのは半年近く続くのだ。6月になると、ようやく葉が茂り、森林はすべて木陰になる。夏は暑くない。台風も梅雨もないし、雨も夜しか降らない。蚊もいないし、もちろんゴキブリもいない。



 鉄道はほぼ毎日運行している。走っていると線路上に落ちている小枝などを踏む。切断され、排除されるので、2周めからは滑らかな走行となって快適だ。



 7年ほどまえに建設した木造の橋を、新しい木材を使って作り直している。庭園内で最も遠い場所なので、道具や材料も鉄道で運んでから作業を始める。誰も手伝ってくれる人はいない。すべて一人で行う。計画を立て、毎日少しずつ進める。でも、ほかにもいろいろやるべき作業・工作があるから、この工事は1日に長くても2時間程度で切り上げる。そういう進め方だ。



 また、ドライブにも適した季節である。窓を開けて走ると、風が心地良い。少し遠くへ行きたくなる。古い車に乗っているので、整備を入念にして出かけている。いつも、帰ってこられなくなる覚悟をして、いざというときに必要なものを持っていく。これはつまり、人間の人生、誰にでもある普通の人生と、まったく同じだ。覚悟していますか?







文:森博嗣

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