子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【3冊目】「それは『Number1』ではなく」をどうぞ。
【3冊目】それは『Number1』ではなく
あれは1980年、高校1年生のある日。通学電車の中吊り広告に目を奪われた。メタリックシルバーのボディに黒のハイレグを着たなまめかしいロボットのイラストに「Number1」の文字。どういうアオリ文句だったかは忘れたが、そのビジュアルは鮮明に脳裏に焼き付いている。
どうやらスポーツ専門の雑誌が創刊されるらしい。なるほど『Number1』とは、トップをめざすスポーツの世界にふさわしいタイトルだなあ、と感心した。創刊号の表紙は、中吊りで見たのと同じセクシーロボットのイラスト。作者であるイラストレーター・空山基(そらやま・はじめ)の名前を初めて知ったのも、たぶんそのときだ。
表紙には「『ランニングとセックス』の熱い関係」なんて見出しも躍っていて高1男子としてはドキドキだが、当該の記事はさほど科学的でも官能的でもなく期待はずれ。その代わり、「スポーツにおける肉体の科学① バスト社会学の研究が緊急課題!?」という記事があった。バストサイズが競技にどう影響するかを検証したもので、内容はともかくバストのイメージ写真が眼福だった。
米『Sports Illustrated』提携誌ということで、第1特集「スポーツを撃て!」は、海外のスポーツカメラマンの写真で構成。
スタート時から現在と同じ月2回刊。ところが、2号目が出て驚いた。タイトルが『Number2』になっているではないか。つまり『Number』がタイトルで、数字は号数を示していたのである。しかし、創刊号の表紙を見れば、誰もが『Number1』が誌名と思うだろう。というか、創刊号の編集長・岡崎満義氏によるメッセージにも〈「スポーツグラフィック・ナンバー1」は~〉とあり、巻頭の情報ページでも〈「ナンバー1」の創刊号だから、“1”にちなんだスポーツ・コレクションをおめにかけよう〉との記述がある。これでは勘違いするのもやむをえまい。
この数字込みのタイトルデザインは4号まで続き、5号からは現在と同様のスタイルになった。創刊から40年以上を経て今や1000号を超えている。
私自身、『Number』はかなりの頻度で購読しているし、仕事も何度かした。349号「スポーツ美少女、夏の記憶」(1995年)で女子プロレスの福岡晶らを取材したのがたぶん最初。622号「スポーツ小兵列伝。」(2005年)ではサッカー日本代表の森島寛晃にインタビューし、736号「あの人のノートが見たい。」(2009年)では「東大運動部のノートはかならず美しいか?」という記事で東大野球部と女子バレー部、アメフト部を取材した。南信長名義でスポーツマンガ関連の記事や書評も何度か書いた。が、何より記憶に刻まれているのは、584号「阪神の国 ニッポン」である。
時は2003年。我らが阪神タイガースは闘将・星野仙一監督の下、18年ぶりの優勝に向けて奇跡の快進撃を続けていた。大阪の街は虎フィーバーに沸き、『Number』も581号「虎に酔う。」に続く2度目の阪神特集を組んでイケイケだ。しかし、この年は『週刊文春』が星野監督の“黒い交際”を報じたため、同じ文藝春秋の雑誌である『Number』は阪神球団から出禁を食らっていたのだった。
よって、星野監督はもちろん選手の取材もできない。
総勢15人(取材が叶わなかった源五郎丸洋を含む)のうち、中田良弘、大野久、遠山奨志、仲田幸司、伊藤敦規、長崎慶一、弓長起浩の7人を私が担当した。東京、大阪、茨城、愛知、鳥取を2週間で飛び回る。同時に『週刊SPA!』臨時増刊の阪神特集号の取材や執筆、虎ファン漫画家アンソロジー『虎漫』の原稿依頼や打ち合わせもあり、当然レギュラーの仕事もある。さらに、プライベートで阪神の試合を見るため甲子園はもちろん広島、名古屋にも遠征していたため、当時のスケジュール帳は真っ黒だ。それでも9月15日、甲子園で星野監督の胴上げを見ることができたので、生涯最高の年と言っていい。
星野監督といえば、今年9月発売の『Number』1104号で「星野仙一と仰木彬。」という特集があった。「令和に考える『昭和の監督論』」という、ちょっとひねった企画である。大谷翔平のケタはずれの活躍もあり、近年はメジャーリーグ特集が多く、次いでプロ野球、サッカー、ボクシング、あとは季節もので高校野球、競馬、五輪あたりが定番だが、たまに繰り出す変化球の特集に「おっ!」と思う。1064号「M-1グランプリ スポーツとしての4分間の競技漫才」(2022年)には「そうきたか!」とひざを打った。
しかし、創刊当初の特集はもっとすごかったのである。15号では「大相撲の『八百長』って何だ!?」と、いきなり危険球を投げ込む。29号「浅井愼平のスポーツカメラでオーストラリアの『いい海』発見!」は、ライフセイビングやサーフィンなどのマリンスポーツを紹介しているのだが、そのノリはまるで初期の『POPEYE』のよう。36号「風立ちぬSEXY SPORTSをどうぞ!」の巻頭では「地球星は今ときめきのジャズダンス」と題して金髪の外国人女性モデルがポーズを決める。「一瞬のオシャレ泥棒たち」というコーナーでは、ハナ・マンドリコワ、クリス・エバート・ロイド、馬淵よしのらのセクシーショットを掲載。新体操の選手の写真に〈ビニ本風開脚は日常茶飯事〉なんて説明が付いてて、今なら完全にアウトである。
とにかく創刊100号くらいまでの『Number』には、「なんじゃこりゃ!?」と目を疑うような特集がしばしば登場する。「スポーツ好きの高校、大学、社会人フレッシュマンへの贈物」(26号)、「スポーツの世界に『神』はあるか? ジンクス大研究」(67号)、「旅はスポーツ、スポーツは旅」(84号)あたりはまだいいが、「今、豊かに質素生活を楽しむ」(82号)となると、さすがに首を傾げてしまう。
緑の木立の中に手をつないでたたずむ外国人父子が表紙。「そよ風対談 セカンドハウスで楽しむ」「秩父山中2万円生活の斎藤たまさん」「八ヶ岳山麓・手作り生活の大笘夫妻」といった〈豊かに質素生活を楽しむ人たち〉を紹介し、なんとあの“フォークの神様”岡林信康まで登場する。ほかにも「いま流行のログ・キャビン・スクールに参加してみた」「ぶどうのツルで草履を作ろう」「自家製キノコを栽培しよう」なんて記事が目白押しで、ほとんど『田舎暮らしの本』か『BE-PAL』かという感じ。
ことほどさように、昔は意外とゆるゆるだったナンバーだが、取材されるアスリートの側も現在ではありえないほどゆるゆるであった。40号の特集「ドラフト“金の卵”諸君、これがプロフェッショナルの私生活だ!」では、当時の一流プロ野球選手たちがプライベートを惜しげもなく大公開。王貞治がエレクトーンを弾いていたり、中畑清が子供とキスしてたり、掛布雅之が豪邸と愛車を披露したり、あげくの果ては鈴木啓示の入浴シーンが見開きでドーンと掲載されているのである。
「スポーツ食事学」(53号)も写真がすごい。陣内貴美子が芝生に寝転びオレンジ片手にアイドルばりのポーズを決め、中嶋悟が大盛りの丼飯を手にニッコリ。釜本邦茂がトマトジュースの入った大ジョッキで乾杯ポーズ、高橋慶彦が生のニンジンにかぶりついたかと思ったら、山崎浩子が床一面のレモンの上で踊ったり。一流アスリートがこういう悪ノリとも思える撮影に応じてくれる大らかな時代だったのだ。
大らかを通り越して、ちょっとヤバイ感じなのが63号「それからの私」。タイトルからして『婦人公論』風であるが、かつての体操界の女王・岡崎聡子が引退前後の心境や恋愛、セックス遍歴までを赤裸々に語っている。そのうえ、なぜかヌードまで披露(ただし掲載写真は薄布越し)。何がどうしてこうなった?と目が点になる。
100号以降、こうした素っ頓狂な特集は影を潜める。当初はゴシップ週刊誌的ノリもあったが徐々に洗練され、“ナンバー文体”とも呼ばれるスタイルを確立した。クオリティの高い写真を大胆に使った誌面デザインも他の追随を許さない。「ホームラン主義。OVER THE FENCE」(272号)のラルフ・ブライアント、「どうするプロレス。」(342号)のアントニオ猪木、「特別な一日。」(700号)のイチローらの表紙写真のカッコよさったらなかった。
が、それでも時折、謎の特集が出現することはある。なかでも意味不明だったのが250号「石原裕次郎と加山雄三」(1990年)だ。サブタイトルは「スクリーンのなかでスポーツが輝いていた!」って、そこでスポーツとつなげるか。「未公開スチールで綴るスポーツ名場面」「ふたりの湘南原風景」「徹底研究 裕次郎と若大将の昭和30年代グラフィティ」といった特集は『BRUTUS』を彷彿させる。「『稲村ジェーン』公開直前特別インタビュー」として桑田佳祐も登場していて、もしかしたら映画のPRと絡めての特集だったのかもしれないが、それにしたって異色である。
のちに聞いた話では、この号は年間売り上げワーストだったとか。当時人気絶頂だったF1やプロ野球、ボクシング、プロレスなどの特集が並ぶなかではさもありなん、とは思う。しかし、手堅くストライクゾーンを狙った特集ばかりが並ぶより、たまにはこうしたバックネット直撃の“暴投企画”も見てみたい。担当編集者の趣味丸出しでかまわない。それが編集者という仕事、雑誌というメディアの醍醐味なのだから。
文:新保信長