何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。
「視点が変わる読書」第16回
『楢山節考』のおりん婆さんの精神はいつまで続く
◾️酒井順子著『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)
今年、還暦を迎えた。
フリーライターという職業柄、定年がないので、これまでと大きく生活が変わるわけではないけれど、やはり一区切りという気がする。
還暦の年は同窓会が多い。5月に開催された高校の同窓会に出席した。私が卒業したのは千葉県立の男女共学の高校で360名ほどの同窓生がいるが、千葉駅近くのホテルを会場とした同窓会にはその約半数が集まった。結構な出席率ではないかと思う。
青春真っ只中、さあ、これから人生が始まるという時に手を振って別れ、再会してみれば、早くも定年の歳。いやいや皆さん変わりましたね。特に容貌が。
我々は男女雇用機会均等法初年度入社組だから、女性で総合職入社を果たした人もいる。役員になって会社に残る、実力を買われて他社に移るなど恵まれた境遇の人がいる一方、一般職でこつこつ定年まで勤めたけれど、再雇用で給料が激減すると嘆いている人もいた。就職したけれど、すぐ辞めて子育てに専念していたという人ももちろん、いる。月並みな言い方になるが、「人生いろいろ」だ。
しかし、共通する点もある。それは、来年の3月までに会場に集まった全員が60歳になること。つまり、全員が老いの入り口に立っているということだ。
日本の高齢化率は2023年時点で29.1パーセント。人口の3割が高齢者という、世界でもトップクラスの高齢社会である。そんな日本では今、「老い本」の花盛り。「老い本」とは高齢の著者による「老い」をテーマにした本だ。
「老い」をテーマといっても、老いをどう生きるかといった哲学、定年後の時間の使い方、一人暮らしの過ごし方、お金の使い方、セックスライフから死に方まで、内容は様々だ。書店に行けば、「老い本」コーナーができていて、それらの本がズラリと並んでいる。こうした現象は高齢化が進んだ他の先進諸国では見られないらしい。
そこに着目し、「老い本」をもとに日本の精神史を探究したのが、酒井順子の『老いを読む 老いを書く』である。
◆1200年も前から「老人」は疎まれる存在であった!?
第一章ではまず、過去に出された「老い本」から、日本人にとっての「老い問題」が探られる。取り上げられたのは、『楢山節考』深沢七郎(1957年)、『恍惚の人』有吉佐和子(1972年)、『いじわるばあさん』長谷川町子(1968~72年)。
この三冊はいずれも、日本の高度経済成長期に出されている。衣食が足り、生活が向上し、誰もが明るい未来を信じていたこの時代に、『楢山節考』は「老い」と「死」の残酷さ、『恍惚の人』は「老い」による「痴呆」への恐怖、『いじわるばあさん』は家庭内での「老人」の孤立を描き、将来日本が抱えることになる「老人問題」をいち早く提起したと著者は指摘する。
なるほどねぇ。『いじわるばあさん』など、単におばあさんがいじわるする漫画だと思って、げらげら笑いながら読んでいたが、その背景には息子たちに疎外される「老人」の悲哀があったのかと、認識を新たにした。
ここからさらに著者は、『竹取物語』、『枕草子』、『今昔物語』、『徒然草』、『方丈記』といった古典にまで遡り、日本人の「老い意識」を探究していく。
すると1200年も前から「老人」は疎まれる存在であったことが分かる。
こうした「老い」を厭い、「老い」を恐れる意識があったからこそ、おじいさんとおばあさんが不思議な力で子供を得て、最終的に幸せになるという『かぐや姫』や『桃太郎』といった日本の昔話が誕生したのだと著者は言う。
「むかし、むかし、おじいさんとおばあさんがいました」で始まるあの昔話は、辛い思いをして生きている老人を救うために生まれたのか!と納得。
◆何故、日本で「老い本」がこんなに出版されているのか?
第二章からは一転、現代に目が向けられる。
現代の日本の「老い問題」の中核にあるのは、寿命の延長である。
2022年時の日本人の平均寿命は男性が81歳、女性が87歳。驚いたことに、100歳以上の人口は調査が始まった1963年には153人だったが、2022年は9万人超え! さらに2007年に生まれた日本の子供の半数が100年以上生きるという予測も出されている。今を生きる私たちは長い老後を生きなければならない宿命を背負っているのだ。
そうした私たちに向けて、年代で区分された「老い本」が数多出版されている。
『60歳、ひとりを楽しむ準備 人生を大切に生きる53のヒント』岸本葉子(2022年)、『70歳が老化の別れ道』和田秀樹(2021年)、『88歳、ひとり暮らしの元気を作る台所』多良美智子(2023年)、『老いの上機嫌 90代! 笑う門には福来る』樋口恵子(2024年)、『103歳、名言だらけ。なーんちゃって、哲代おばあちゃん長ういきてきたからわかること』石井哲代・中国新聞社(2024年)……ここ4年間だけでも50冊以上!
60代、70代、80代と進めば、体の状況も生活の状況も変わる。
その昔、食べることにもこと欠く日本の寒村で老人が家族に「迷惑をかけたくない」と山に入ったが、その思いは連綿と引き継がれ、現代の日本に生きる老人たちもまた周囲に「迷惑をかけたくない」と思い、そのためにはどうすればいいのかを模索し、その要求に応えて、多くの「老い本」が出版されているというのだ。
深い洞察をドライかつシニカルなタッチでさらりと書くのが、この著者の妙技である。
2003年に出た『負け犬の遠吠え』を読んだ時は大げさでなく、震撼した。私は著者より二つ年上だが、ほぼ同じ世代。しかも当時は、独身、子ナシ、30代とドンピシャの「負け犬」だった。周囲にはそういう女性が大勢いたので、自分の境遇をそれほど悲観したことはなかったけれど、ふとした時に既婚で子持ちの女性に対して感じる「負け感」や、誰も口にしないけれど私たちが置かれている実は厳しい状況を、よくここまで軽妙に表現できたものだと、心底感動したのだ。
さらに著者は40代の時に『子の無い人生』を著わし、「女性の人生の方向性には、『結婚しているか、いないか』よりも、『子供がいるか、いないか』という要因の方が深くかかわる」ということを喝破した。
そして、『ガラスの50代』。人生100年の現代において50代はまだ折り返し地点。これからまだまだ生きなければならないわけだが、会社員であれば定年間近。
こうした本を経て、著者が今回取り組んだテーマが「老い」だった。
◆日本の高齢者が目標とする最終到達点を突き止めた!
数多の「老い本」を検証した結果、著者は日本の高齢者が目標とする最終到達点を突き止めた。それは、「ぴんぴんころり」。健康なままで過ごし、ある日「ころり」と死ぬことである。その理想的な末期を目指し、日本の高齢者は日々「老い本」を読みながら奮励努力しているのだ。
認知症、孤独、定年クライシス、老後資金、配偶者ロス……この本は暗く重いテーマを多く扱っているが、著者が書くと悲壮感がなく、まるで「老い」のテーマパークを巡るような感覚で読み進めることが出来た。
ただ一つ、最後に疑問が残った。
日本人の根幹とも言える「他人に迷惑をかけてはいけない」という尋常でなく強い意識は、この先永遠に存続するものなのだろうか。私にはまだその意識が残っているが、そのうちに「私が手をかけて育てたのだから、子供が私の老後の面倒をみて当然」「他人に迷惑をかけて何が悪い?」と思う人が大勢を占めるようになるかもしれない。
『家族に迷惑をかけたくないから、早く自分を山に連れて行け』と息子にせまった『楢山節考』のおりん婆さんの精神が失われた時、この国はどう形を変えるのだろう。
文:緒形圭子