音楽業界も激動の時代を生き抜いてきた。ビジネスモデルが変化する中、波に飲まれて消えていった連中もいれば、ローリング・ストーンズのようになにも変わらないことで生き抜いてきたミュージシャンもいる。
適菜:先日、成田悠輔という人物がこんなツイートをしていました。「人は音楽にお金を使わない。ライブ、ストリーミング、CDなど含む全音楽の全世界の売上は年間10兆円以下らしい。この売上は三菱商事1社より小さい。ちっちゃなパイを無数の天才が奪い合ってる血の海が音楽という市場」。
近田:音楽は、ビジネスのジャンルとしてはずいぶん縮小しちゃったってことですね。
適菜:私は大学生時代に渋谷でアルバイトをしていたので、仕事が終わるとその足でディスクユニオンとレコファンに立ち寄って中古CDを買うのが楽しみだったんです。自分の部屋のラックにCDが溜まっていくのがうれしかった。
近田:適菜さんの大学時代というと、90年代半ばってことだよね。
適菜:ええ。
近田:もはや、フィジカルなCDを購入するのは、相当コアなファン以外にいない。つまり、消費という行為は、忠誠心の証明となってしまった。秋元康が導入したAKB46の握手券商売ってのは、フィジカル時代の終わりに打ち上げられたド派手な花火だったんだと思うよ。
適菜:CDは最後のメディアになると思っていましたが、外れました。音楽が単なるデータとしてウェブに飲み込まれるとは、昔は考えてもいませんでした。
近田:時代は変わるよね。でも、俺は、20世紀末の時点で、音楽はいずれタダになるって予言してたんだよ。インターネットの現状に鑑みれば、それが事実上、達成されちゃったことは分かるでしょ?
適菜:ええ。ほとんどの楽曲の音源は、Youtubeなどを探せば、どこかに転がっている。
近田:さらにいえば、音楽って、聴くよりも作る方が楽しいじゃん。そのために必要なソフトウェアが廉価あるいは無料になったり、わざわざ録音スタジオを手配する必要もなくなったりして、音楽制作の民主化が進み、世間では、リスナー指向よりクリエイター指向が高まった。それは、コンピュータが誕生した時点で決まっていた運命だったんじゃないかと思う。
適菜:これは原点回帰なのかもしれませんね。音楽が媒体に記録されて商品になること自体、それほど長い歴史があるわけではないのですから。音楽のみならず、動画におけるYouTuberの大発生というのも、同じ文脈ですよね。
近田:そうそう。まったくその通り。今、若い子は、テレビなんかろくに観ちゃいないもんね。でもさ、自分たちの手がけた成果物が採算につながるかどうかは、よっぽど本格的に事業化を狙っている向き以外には関係ない。単に、作ることそれ自体が楽しいってことでさ。TikTokなんてその最たるもんでしょ。
適菜:近田さんは、AIについてはどんな考えをお持ちですか。
◾️ AIは秀才だが、天才ではない
近田:AIは秀才ですよね。どこまで行っても天才ではない。スティーヴ・ジョブズがiPhoneを思いついたようなひらめきは、AIからは生まれ得ないと思う。
適菜:AIは、論理でしか先に進むことができませんからね。一方、人類史上に残る発明とか発見といわれるものは、誰かがふっと予感したり予知したりした後、それが証明されるまで長い時間がかかる。コペルニクスの地動説がいい例です。まだ言葉にできないもの、具現化できないイメージを、暗黙のうちに予感してしまう。これが本当の天才だと思うんですよね。
近田:その点は人類にアドバンテージがあるよね。ただ、AIは指数関数的に長足の進化を続けているから、どのレベルまでたどり着くかに関しては興味があるね。例えば、音楽や映像に関して、人間の作ったものとAIの作ったものと、完全に見分けがつかなくなるのはいつなのかとか。
適菜:ところで、近田さんが音楽に関して、最近、思考をめぐらせていることは何ですか?
近田:音楽において、現在、一般的に普遍と思われていることが、歴史的に考えると実は特殊だったというケースがあると思う。例えば、ビートルズの登場まで、音楽って、娯楽以上でも以下でもなかった。音楽と社会との関係性が、ビートルズから急に変わったんですよ。ごくごく一般のリスナーまでが、音楽に何かしらの意味を見出すようになった。
適菜:言われてみれば、ビートルズの受容のされ方には、単なる娯楽を超えた何かがある。それ以前、例えばエルヴィス・プレスリーの頃までは、そういう傾向はなかったということですか。
近田:うん。小難しいイメージのあるジャズにしたって、そんなものだったよ。音楽について考えたりすることが面白いという認識を市井に普及させたのは、やっぱりビートルズ。
適菜:ビートルズを論じた文章って、本当にたくさんありますよね。
近田:でもさ、実は、音楽評論がそれなりのプレゼンスを保持していた時期っていうのは、ビートルズの登場からついこの間までの60年ぐらいだったと思うのよ。現状は、それが旧に復しただけなんじゃないかな。今、音楽評論の重要性って、かつてに比べれば相当低いものになってるじゃない?
適菜:音楽雑誌も売れなくなっていますし。
近田:ビートルズ以降、しばらくの間は、時代的にも、公民権運動とかベトナム戦争といった社会問題と共鳴して、音楽というものが、より意味のあるものにとらえられた。僕らなんかはさ、それでロックにコロリと騙されて、自分もロックミュージシャンになっちゃったのかもしれない。
適菜:騙されちゃったんですか?
近田:今、考えてみれば、あれは宗教みたいなもので、その熱に浮かされる形で僕はロックを信じていたんだと思う。僕に限らず、リスナーもそうだと思うんだけど、その信仰心が半生記以上経って少しずつ冷めて、平熱に戻っていった。70年代までは、ロックミュージシャンが何か考えを述べると、それに反応してくれる人がいたじゃない。ところが、先日の米国大統領選でテイラー・スウィフトがハリス支持を打ち出しても、結局、大勢に影響は及ぼさなかったわけでしょ。
適菜:接戦になるだろうという予想を覆して、トランプは圧勝してしまった。
◾️ローリング・ストーンズが生き残っている理由
近田:その点で、逆にすごいと思うのは、ローリング・ストーンズ。ビートルズの命脈が10年で尽きた後も、自分たちの立ち位置を変えないまま、何にも世の中を変えぬまま、ここまで生き残った。
適菜:ストーンズが、他のバンドとは違って、長寿を保っている理由は何でしょう?
近田:例えば、プレスリーは、世相の変化に対応できなかった。晩年は、時代遅れのキャラクターと捉えられていたでしょ。でも、ストーンズは、常にエンタテインメントと時代との関係性を読み切っている。特に、ミック・ジャガーはその距離を測るのが巧みなの。インスタとかものすごく頻繁にアップするし、ライブ会場を観客がスマホで撮影しようがまったく怒らない。そういう意味で、今の空気というものを本能的に察知している。……というのに、やっている音楽は何も変わらない。
適菜:まあ、変わりませんよね。
近田:面白いのはさ、ストーンズのライブって、どんな大会場でやろうがあんなに客が大入りなのに、彼らがたまに出す新しいアルバムって、そんなに売れないんだよね(笑)。CDを買うほどの熱狂的な信者に対してよりも、ライトな客層に対し積極的にアピールしてきたからこそ、続いているんじゃないかと思う。
適菜:なるほど。最近、ブルースに関するドキュメンタリーを何本か続けて観たんですが、その中で、ローリング・ストーンズについて語っている人物がいたんです。
近田:興味深いねえ。何て言ってたの?
適菜:「ストーンズは、ブルースをアメリカからイギリスに輸入し、ほぼ原曲そのままのナンバーを、彼らの作品として発表した。でも、それを自らのオリジナルだとは言い張らずに、アメリカから盗んできたんだと認めていたことが偉い」という趣旨の話。
近田:そこがストーンズなんだよ。正々堂々と割り切るんだよね(笑)。
適菜:ひとつ近田さんに質問したかったことがあります。昔、エレキギターを弾くと不良になるっていわれていましたが本当ですか?
近田:本当だったと思いますよ。エレキギターという楽器の表現の本質って、音色じゃないんだよね、音量なのよ。あれ、ちっちゃい音で弾いてれば何てことはない。でかい音で弾くから、迷惑になる。つまり、オートバイのエグゾーストノイズと一緒。
適菜:ギターもバイクも、大きな音出すだけなら簡単ですもんね。そして、自分が強くなった気になれる。
近田:しかも、どっちも音が歪んでるじゃん。エレキギターはアンプやスピーカーを通して、バイクのノイズは金属の部品を通して、それぞれ爆音を響かせてるわけで、その音は自然界には存在しない。それを、これみよがしに迷惑を承知で大人にぶつけるアティテュード。そこが不良たる所以なんだと思う(笑)。
適菜:ライブを観に行って浴びる音って、ヘッドフォンで聴く音とは全然違います。ベースの低音が、骨伝導でビリビリビリと響いてきますもんね。
近田:「しびれる」って、すなわちそういうことでしょ。
適菜:10年以上前ですが、六本木の「ビルボードライブ東京」でパーラメント/ファンカデリックの来日公演を観たんです。その時の座席が、チケットが安かったからか、巨大なアンプの目の前だった。席に着こうとしたら、現場のスタッフに「そこ座ると、鼓膜破れるかもしれませんよ」と忠告されまして。
近田:理不尽な話だなあ。向こうが用意した席に座ったっていうのに。
適菜:それで一曲目はマイケル・ハンプトンの爆音ギターの「RED HOT MAMA」で不安になった。うるさすぎる。二曲目以降はきちんとしたファンクをやってくれたので、鼓膜は無事でしたが。
近田:それはよかったよ(笑)。
構成・文:下井草 秀