子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【6冊目】「文化系クルマ好きの教科書『NAVI』」をどうぞ。





【6冊目】文化系クルマ好きの教科書『NAVI』

 



 近年はあまり「おっ!」と思うような新雑誌との出会いがないが、2024年の暮れも押し詰まった時期に「おっ!」と思って即買いしたのが『クラクション』(発行:クラクション/2024年12月23日発売)という雑誌だった。ツイッター(自称X)で発刊を知り、雑誌専門オンライン書店「富士山マガジンサービス」で購入した(それ以外では代官山蔦屋書店など一部の書店でしか取り扱いない模様)。



  創刊号の特集は「『NAVI』とは、いったい何だったのか。」。いきなりそう言われても何だかわからない人も多いかもしれない。



  説明しよう。『NAVI』とは、二玄社より1984年に創刊され、2010年に休刊した自動車雑誌である。その元編集スタッフが創刊40年の節目に『NAVI』という雑誌の足跡を振り返るべく立ち上げた企画が、クラウドファンディングによる支援を得て実現した。それが『クラクション』なのだった。







 



 雑誌で雑誌の特集を組むことはままあるが、『クラクション』のように“一冊丸ごと特定の雑誌を特集する雑誌”というのはかなり異例の存在だ。「VOL.1」と銘打たれてはいるものの、2号目が出るかどうかは定かでない。雑誌というよりムックに近い存在で、そういう意味では新雑誌と呼べるかどうか微妙なところ。しかし、そんな企画が成立してしまう(クラウドファンディングは開始からわずか28時間で目標額を達成したという)のは、『NAVI』という雑誌がいかに多くの人の心に残っていたかを示すものだろう。



 かく言う私も『NAVI』愛読者の一人だった。免許を取ったのが、ちょうど同誌創刊の1984年。ただし、その頃はまだ読者ではなかった。『クラクション』に掲載された『NAVI』の歴代表紙を見ながら記憶をたどれば、最初に買ったのはおそらく1989年7月号。大川悠氏に代わって鈴木正文氏が2代目編集長に就任、誌面リニューアルして2号目で、シルクスクリーン風に処理した表紙写真に目を引かれて手に取ったのだと思う。







 



 いわゆる自動車雑誌を買ったのは、それが初めて。たとえば同じ二玄社の『カーグラフィック』は、自動車雑誌の老舗にして頂点のようなハイクオリティ雑誌ではあるが、個人的にはあまり興味が湧かなかった。なぜなら自動車のことしか載ってなかったから。



  自動車雑誌に自動車のことしか載ってないのは当たり前だろ、と思うかもしれない。が、『NAVI』は違った。自動車を中心としながら、広く文化全般を扱っていた。スーパーカーブーム直撃世代の男子としては、もちろん自動車に興味はある。

しかし、それは必ずしもスペックやドライビングテクニック云々ではなかった。むしろそれぞれのクルマのコンセプトやデザイン、社会的ポジション、背景にある各メーカーの歴史や哲学など、クルマを取り巻く文化に惹かれたのだ。



 



 そこにぴったりハマったのが『NAVI』だった。自動車業界やカーマニアだけの閉ざされた世界ではなく、社会に開かれた雑誌。『NAVI』は、単なる自動車雑誌ではなく「自動車文化雑誌」だった。



 それは特集タイトルにも表れている。バブル全盛の1990年1月号は「当世高級(車)事情」。自動車雑誌でありながら車を( )に入れるのが心憎い。「ドイツを盗む」と題された同年12月号の特集には「東西ドイツ統一記念!」のサブタイトルが付されている。1997年8月号「“ワオ!”のイタリアvs“深み”のイギリス」のように比較文化論的な特集もあった。自動車という存在は社会状況、国際情勢などと無縁ではありえない。



 1993年11月号では「55年体制崩壊記念! 秋の夜長の座談会特集」と謳う。

特集扉のリード文も骨太だ。〈自民党長期政権の崩壊、細川連立政権の誕生、そして1ドル=100円時代の到来。歴史に留められるべき1993年体制の現実を、NAVIが《自動車》をキータームに、最も現代的なひとびとの座談会5連発でもって解きあかす。読者に根気を強いる巻頭特集、アナタは最後まで読み通せるか!?〉と煽ってくる。



 現在の政治・経済状況とのギャップに呆然とするが、座談会のほうも隔世の感あり。同誌の主要執筆者でもあった自動車評論家の徳大寺有恒と新党さきがけ(当時)の若手議員・田中甲による「政治とクルマ」対談に始まり、伊藤輝夫+佐々木勝俊+渡辺和博という当時の放送・出版界の人気者による「ナベゾ画伯(渡辺和博)が次に買うクルマ」会議、自動車ブローカー・不動産会社社長・ふぐ料理店経営者によるバブル回顧、イケイケOL(死語)座談、東京在住の外国人クリエイターによる日本文化談義と続く。



 今読み返すと「私はポルシェの、いわゆる年代ものから今のヤツまで全部揃えて乗るというのがやりたかったんです。毎日、服の着替えじゃないけれども、今日は356のスピードスター、明日は73のカレラとかね、それを全部揃えたって、しれた金ですよ」なんてバブルのむちゃくちゃな話に目を剝いたり、「森瑤子って、書くものに、きちんとした視点があるじゃないですか。だから、ドぎついかんじがあるのに、林真理子みたいに反感わかないんですよね」というOLの言葉に苦笑したり。が、それがあの時代の感覚だったのだ。



 一方、1996年6月号の特集「遠くまでゆくんだ」などは、もうタイトルだけでグッとくる。私が初めて自分のクルマを持ったのは会社を辞めてフリーになった翌年の1992年だったが、「いつでもどこへでも行ける!」という“移動の自由”に喜びを感じた。

それこそクルマの本質的な魅力のひとつだろう。







 



 MGFで東京から神戸まで、トヨタ・メガクルーザーで信州まで、新旧シトロエン3台(CX、XM、エグザンティア)で四万十川まで……。誌面で展開された長距離ドライブは、今の自分には体力的に厳しいが、まだ若かった当時は「楽しそう」と心が躍った。実際、最初の愛車ローバー114で東京から伊勢志摩まで行ったことがある。ローバー114は超マイナーな英国の小型車で、設計自体が古くパワステなしでハンドルは重いわ、高速道路でちょっとスピード出すとビリビリ振動するわで、なかなか大変だったが楽しかった。



 その114に7年7万㎞ぐらい乗ったあと、一目ぼれしたアルファロメオ156に乗り換え。よく走り、よく曲がる楽しいクルマだったが、昔ほどではないにせよ、そこはやっぱりイタリア車であるからして、トラブルは多々あった。12年9万㎞ほど乗ってかなりガタがきたところでシトロエンDS3に乗り換え、今もそれに乗っている。ちなみに、3台ともオートマではなくマニュアル。何事も自分で決めたい性格なので、ギアも自分で変えたいのだ。



 その程度にはクルマ好きであり、かといって暴走族、峠族、ローリング族と呼ばれるような体育会系カーマニアとは相容れる部分がなく、セレブな高級車ユーザーとも分かち合えるものはない。ヒール&トウなんて運転技術より、むしろ都内の混沌とした道路状況でいかにスマートに運転するかのほうを重視したい自分のような文化系クルマ好きにとって、唯一無二の教科書的存在が『NAVI』だった。



 



「ちょっと、古い、クルマ」(1989年11月号)、「小型車は、たのしい。」(1993年5月号)、「超一流!ポジティブ・ドライビング」(1994年3月号)、「イエス!ウィ・アー・オープン」(1994年7月号)、「NAVIの自動車文化祭」(1995年6月号)、「NAVI読者が選ぶ好きなクルマ、嫌いなクルマ」(1997年11月号)など、他誌では見られないユニークな特集に惹かれた。



 連載では、「あなたのクルマに乗せてください!」「10年10万㎞STORY」「ちょっと、古い、クルマ探偵団」「それゆけ、徳大寺有恒と消費者派隊!」なども記憶に残る。新しく発表・販売されたクルマのスペックや試乗記(だけ)ではなく、クルマとユーザー=人間の関係を現場主義で掘り下げる。生活の中のクルマの存在意義を浮き彫りにする。そこには地に足の着いたジャーナリズム的リアリティがあった。







 



 リアリティという点では、編集者の顔が見えるのも大きかった。単に経費節約の事情もあるにせよ、記事の多くを編集部員が書いている。前述の「遠くまでゆくんだ」特集も、鈴木正文編集長以下、(本誌)とクレジットに表記される編集部員によるものだ。唯一の例外が自動車ライターの下野(かばた)康史だが、下野氏も元編集部員。各編集部員が1台のクルマを継続的にレビューする「長期リポート」、その月の良かったことと悪かったことを記す編集後記「〇と×」も地味に楽しい読み物だった。



 巻頭の鈴木正文編集長のコラム、神足裕司やえのきどいちろうの連載も(自動車につかず離れずのスタンスで)読者として面白かったのと同時に、編集・ライターとして“切り口”の勉強になった。えのきど氏の連載「是々非々ジドウシャ巷談」で取り上げられた「クルマに名前をつけるのか」問題には目からウロコ。

そういう視点でクルマを語るメディアはほかになかった。



 田中康夫と浅田彰の対談連載「間違いだらけのニッポン」、矢貫隆の「交通事件」シリーズ、河崎三行「僕はホンダの期間労働者として働いた」など、社会派の記事も読みごたえあり。自動車および自動車文化というフィルターを通して社会を批評するという手法は、【5冊目】で紹介した『広告批評』と同様だ。もちろん映画や音楽、本、ファッションに関する記事もあった。



 先ほど〈自分のような文化系クルマ好きにとって、唯一無二の教科書的存在が『NAVI』だった〉と書いたが、それだけにとどまらない。特集や連載の切り口、写真とデザイン、見出しと文章など、雑誌作りの面でも教科書だった。



 



 1995年から97年にかけて『PENTHOUS JAPAN』(ぶんか社)で新車紹介ページを担当したが、そこにも『NAVI』の影響が露骨に出ている。写真のテイストも似ていたし、〈速けりゃいいってものかもしれない。〉(スカイラインGT-R)、〈「これでいいや」と思える幸せ。〉(オペル・ヴィータ)、〈カッコイイとは、こういうことか。〉(三菱エクリプス)、〈インテリの自己主張。〉(ホンダ・プレリュード)、〈殿様のスポーツ〉(メルセデスベンツSLK230)といった見出しの立て方は、完全にパクリと言っていい。







 



 1台のクルマに3人の自動車評論家からコメントをもらって一本の原稿にまとめるという、なかなか手間のかかることをやっていたのだが、そのコメンテーターの常連が前出の下野康史氏であった。『NAVI』で下野氏の文章はずっと読んでいて、柔軟な視点と軽妙な筆致が好きだったので、クルマページをやることになったとき、真っ先にコンタクトを取った。同じく『NAVI』出身の小沢コージ氏にも何度かコメントをもらった。当時はあまり意識していなかったが、要するに『NAVI』っぽい感じにしたかったのだろう。



 冒頭で紹介した『クラクション』の表紙には〈Honk the Klaxon! to the times.〉というキャッチフレーズ添えられている。日本語にすれば「時代に警笛を鳴らせ!」。鈴木正文氏の発案らしいが、それはまさしく『NAVI』が実践してきたことだ。巻末の編集長からのあいさつには〈NAVIを愛するたくさんの人の想いから始まった、このクラクションを鳴らし続けていかなければ、という、ちょっとした義務感のようなものも生まれた〉と記されている。願わくば、新時代の『NAVI』として2号目以降も継続刊行されますように。





文:新保信長 

編集部おすすめ