脳科学者・中野信子氏の『脳はどこまでコントロールできるか?』(ベスト新書)がロングセラーとなっている。生まれつき決まってしまっている脳の性能、男女の違いなどもズバッと解説している。
■「快楽の分子」ドーパミン
男性と女性で、脳が生理学的に異なっているもうひとつの例として、「ドーパミンの放出量の違い」があげられます。ドーパミン量の違いによって何が違ってくるかというと、中毒に陥る可能性、つまりハマりやすさが違ってくるのです。
ドーパミンは、俗に「快楽の分子」と呼ばれ、チョコレートを食べることから、セックスに至るまで、さまざまな行為によって分泌され、人間に快楽をもたらします。
ドーパミンは脳の深部・線条体という場所でつくられ、ドーパミン神経を通って側坐核に運ばれます。
ドーパミン神経は脳の広範な領域に投射して、運動学習から情動の制御まで、非常に多岐にわたる人間の行動を快楽という報酬によってコントロールします。
つまり、ドーパミンは、生体にとって利益となる行動をプラス評価して、脳に記憶、学習させるという機能を担った物質なのです。
脳内のドーパミンの量が多くなると、人が何かに熱中になるのを助長します。恋愛の始まる頃のドキドキ感とか、仕事で大成功を収めたときの高揚感だとか、そんな状態をドーパミンがもたらすので、ドーパミンが出ている限りは、興奮した状態がずっと続くのです。
さて、人間の脳にとって、ドーパミンは基本的に「報酬」として働きますが、一方で、望ましくない作用も持っています。ドーパミンは、薬物依存症やアルコール依存症における病態中心となっています。
オールズとミルナーの実験では、ネズミの脳の快感中枢に電極を刺して、ネズミが自分でレバーを押すとそこに直接、電気刺激が入るようにしました。するとネズミは、食事も水を飲むことも忘れて、ひたすらレバーを押し続けましたが、ネズミがレバーを押し続けるのはドーパミンを脳内に放出させるためです。
人間でも、これと同じような現象が起きます。
たとえば、アルコール依存症の人の場合は、まるで、ひっきりなしにレバーを押し続けるネズミのように、アルコールを絶え間なく摂取しないといられなくなるわけです。
あるいは、薬物依存なら、ドラッグによって得られる快感を脳が覚えてしまったために、もうそれなしではいられなくなる。覚醒剤事犯の再犯率は非常に高いとされますが、これは、脳に異様な強さの快感が、刻み込まれてしまって消せないからなのです。
同じ量のアルコールやドラッグによって放出されるドーパミンの量は、繰り返すたびに減っていきます。ですので、同じ強さの快感を得るために必要なアルコールの量やドラッグの量は、どんどん増大していくことになります。
米国ジョーンズ・ホプキンス大学の神経内分泌学者、ゲーリー・ワンドが行った実験では、男性は女性よりも、同じ快楽刺激に対するドーパミンの放出量が多いために、さまざまな刺激や快楽に対して、中毒を起こしやすい、ということが明らかになりました。
■男性は女性より30~50%増
ワンドは実験前に、被験者の脳のドーパミン受容体を調べましたが、男性と女性で、受容体の違いや密度の差はなかったとのこと。異なっていたのは、ドーパミンの放出量のみで、男性では、女性より30~50パーセントも多かったという結果になりました。
では、ドーパミンの放出量が多いとどうなってしまうのでしょうか。
一度の刺激で放出される量が多いということは、それだけ快感が強いということになります。すると、再び快楽の刺激を受けたくて、中毒になってしまうリスクが上がるということに……。
男性では、女性よりも覚醒剤の中毒者が多いのですが、この理由のひとつがドーパミンの放出量の違いあると考えられています。
また、イェール大学とコロンビア大学の研究者による別の実験では、アルコールに対する依存性が調べられました。やはりこの実験でも、男性のほうが女性より、アルコールによるドーパミンの放出量が大きいことが明らかになりました。
とくに、快楽・強化・依存の形成などにかかわるとされる、腹側線条体でのドーパミン量が増大していました。男性が女性よりもアルコール依存症になりやすいのはこのためなのです。
また、アルコール依存などに比べるとずっと良い例ですが、「オタク」と呼ばれる人には男性が多いでしょう。これは、男性の脳がひとつのことにハマり、夢中になりやすいために、簡単にはほかの追随を許さないほど、趣味を究めることができるのだということも言えます。
男性のみなさんは、この性質を知った上で、自分の脳をうまく活用してみてください。
仕事で大きな成果をあげる男性は、きっと自然に、自分の脳の性質を利用できているのではないかと思います。熱中しやすい脳を持っているということが自分でわかっていて、仕事に精力を注ぐことができるように、工夫して自分をコントロールしているなあと感じる場面がしばしばあるのです。
文:中野信子
〈『脳はどこまでコントロールできる?』より構成〉