子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【9冊目】「一寸の『GON!』にも五分の魂」をどうぞ。





【9冊目】一寸の『GON!』にも五分の魂

 



  90年代半ばに悪趣味ブームというのがあった。いわゆる「鬼畜系」と同列に語られることも多いが、自分の中では悪趣味と鬼畜系はちょっと違う。己の趣味嗜好を突き詰めた結果、周囲から奇異な目で見られるのが悪趣味であり、最初から逸脱を狙ったのが鬼畜系なのではないか。つまり無自覚なのが悪趣味、自覚的(露悪/偽悪的)なのが鬼畜系。倫理の面でも一線を越えないのが悪趣味で、越えているのが鬼畜系だと勝手に思っている。



 まあ、そのへんの解釈については論客も多そうだし、ここで深くは追究しない。とにかく、良識ある人々からは眉をひそめられそうな悪趣味(バッドテイスト)な事物が、ある種の最先端カルチャーとして注目された時代があったのは事実である。もちろん歴史を遡れば、それこそ戦前のエログロナンセンスの時代から似たようなものはあるが、私がリアルタイムで体験したのが90年代のブームだった。



『芸術新潮』(新潮社)が1993年6月号で「悪趣味のパワー」という特集を組んではいるが、ブームを象徴するのは1995年に刊行されたユリイカ臨時増刊『悪趣味大全』(青土社)と、翌96年刊の『悪趣味百科』(ジェーン&マイケル・スターン/訳:伴田良輔/新潮社)だろう。前者は、高山宏、秋田昌美、伴田良輔、ジョン・ウォーターズ、森村泰昌、松尾スズキ、横尾忠則、中沢新一、大竹伸朗、都築響一といった豪華キャスト。後者の帯には「〈悪趣味=BAD TASTE〉ブームの元祖本、ついに日本上陸!」とのキャッチコピーがあり、本文中の「う」「ん」「こ」の文字がすべて特太ゴシックになっている(装丁:祖父江慎)。



 95年には『危ない1号』(データハウス)、『BURST』(コアマガジン)が創刊され、96年には別冊宝島250『トンデモ悪趣味の本』(宝島社)、その名もズバリ『BAD TASTE』(東京三世社)なんて雑誌(ムック)も刊行されている。

『BRUTUS』(マガジンハウス)1995年3月15日号の特集「インモラル図書館へようこそ!」も悪趣味系だった。何はともあれ、“時代は悪趣味!”だったのである。



 そして、そうした悪趣味ブームを半歩先取りしたかのような雑誌が『GON!』(ミリオン出版)だった。VOL.1は1994年4月20日発行。「SUPER NEWS MAGAZINE」と銘打たれ、「街の世紀末NEWS満載! すべて本邦初公開だぞ!」との惹句を掲げる。ごちゃごちゃと詰め込まれた表紙の見出しを見れば、どんな内容かだいたい想像はつくだろう。



「尾崎豊は新宿2丁目で生きている!」「89歳のバアさん暴走族ハコ乗り大暴走!」「あの口裂け女がよりパワーアップして帰って来た!」「高尾山にUFO出現!」「雪男はカーブを投げて獲物を仕止めた!」「中国に現れたエイリアンは肉マンが好物!!」……etc.



 



 同年8月発行のVOL.2では「街の世紀末B級NEWS満載!」とのキャッチコピーで、「スクープ!! 石神井公園にワニはいた!」「高速道路を疾走するチャリンコ小僧 東関道で発見!!」「エイリアンの赤チャンを緊急手術!」「村人157人みんな同じ顔!」といった見出しが躍る。





 



  B級というよりC級、D級、なんならZ級のトンデモニュースやオカルトネタ、どうでもいい街ネタ、バカネタを無秩序にぶち込んだ、ごった煮マガジン。ノリとしては「プレスリー生きていた?」「マドンナ痔だった?」などの名(迷)見出しで知られた(かつての)『東スポ』や、エイリアンやUMAネタを独占スクープとして発信していたアメリカのタブロイド紙『ウィークリー・ワールド・ニュース』と同様だ。 



 創刊当初は「人肉の味は仔牛と同じ! あの佐川一政が衝撃の発言!」「人は誰でも殺人鬼」「自殺の名所 青木ヶ原の樹海で死体を捜そう!」「衝撃! これが首吊り自殺!」「都内女便所大図鑑」といった、それこそ“鬼畜系”の記事もあった。が、月刊化され判型も変わったVOL.7あたりから、その手の記事は徐々に減り、くだらな面白路線にシフト。「音楽パンはうまいか?」と題していろんな音楽を聴かせたパンの食べ比べ、電車の網棚に置いた『GON!』の追跡調査などの実験企画、温泉卓球場全30カ所リストや『ミスター味っ子』全料理データなどの調査ネタが増えていった。

 



 そこから生まれた人気企画が「まずジュー」こと「日本一まずい缶ジュースを捜せ!」である。企画自体はVOL.1からあったが、号を重ねるごとに存在感を増し、表紙での扱いも大きくなっていく。メーカーへの忖度なく名指しで「まずい」と断言する小気味よさはありつつも、むしろ「缶ジュース(コーヒー、お茶等も含む)にこんなに種類があったのか!」ということに驚く。いろんなジャンルの飲料が普通に100種類とか掲載されていて、「コレ集めるだけでも大変だろう」と、つい編集・ライター目線になってしまう。







  かく言う私も創刊当時、同誌で仕事をしたことがある。何かの機会に知り合った(何だったかは完全に忘れた)比嘉健二編集長に「今度こんな雑誌作るんだけど何かやらない?」と声をかけられ、「やりますやります!」と二つ返事で参加した。もともとそういうネタは好きだったし、フリーになって2~3年目で、基本的に「来る仕事は拒まず」でもあった。



 これまた詳細は忘れたが、簡単な打ち合わせののち企画を出し、結果的に「怪人『トンカラトン』の謎を追う!」「東大駒場寮に体長2mの巨大猫が!」といったフェイクニュースのほか、VOL.1から数号にわたって、担当記事がいくつか掲載されている。



 「街で見つけたオシャレなレゲエ」という記事もそのひとつ。いわゆるホームレスの中でも独自のセンスでオシャレな着こなしの人がいる。そういう人をファッション誌のストリートスナップ風に紹介する企画。今ならポリコレ的に完全にアウトだろう。

とはいえ、メジャー誌には載らない現場密着ルポとしても意義はあったと思うし、VOL.1に登場してもらったおじさんなんかは空手着にブランド物のネクタイ3本を帯代わりに締めていて本当にカッコよかった。



 



 が、そんなふうにネタ扱いしている時点で差別である、と言われれば返す言葉はない。若気の至りで申し訳なく、今は反省しています(その代わりというわけではないけれど、ホームレスの自立を後押しする雑誌『ビッグイシュー』では、もう10年ぐらいサポーター会員を継続中)。というか、ほかのフェイクネタ記事も、今見るとちょっとウソくさい。いや、もともとウソなわけだが、うまいウソをつく才能は自分にはあまりないらしい。



 そんなこんなで個人的な反省点はあるものの、『GON!』自体はユニークで面白い雑誌だったと思う。くだらないバカネタもよかったが、前述の「日本一まずい缶ジュースを捜せ!」のような比較検証企画は、『暮しの手帖』のかつての名物企画「商品テスト」に通じるものがなくもない気がしなくもない。その対象は缶ジュースからカップ麺、お菓子などの食品にとどまらず、さらにはテレビドラマ、マンガ、雑誌へと広がっていった。



 「史上最強につまらないNHK大河ドラマの謎を解く!!」(1997年3月号)、「'96年日本一つまらんマンガはこれだ!!」(1996年3月号)といったディスり系もあるが、「伝説の少女雑誌ギャルズライフ完全大図鑑!」(1998年3月号)、「エロ実話誌全30冊大検証!」(1999年6月号)、「『週刊宝石』あなたのオッパイ見せて下さい徹底大検証!」(1998年11月号)などは資料的にも貴重な労作。こうした企画は、一種のメディア批評とも言える。雑誌ネタが多いのは、テレビなどに比べて調べやすいというのもあるだろうが、編集者もライターもやっぱりみんな雑誌が好きなのだ。



 悪趣味ブーム真っ只中の1995年12月号では、「優良悪趣味雑誌15選」と題して比嘉健二、藤木TDC、田原大輔の3氏がそれぞれの悪趣味雑誌ベスト5を挙げている。

〈悪趣味雑誌のガチンコ王「GON!」が自らを棚にあげてKING OF悪趣味雑誌を選定!〉というメタ視線というか開き直りはさすが。〈そこはかとない情けなさが漂っているのが悪趣味だ〉(比嘉)、〈狙ってる悪趣味は正統な悪趣味とはいえないよ〉(藤木)、〈不自然や無駄なものに意味があるんだ〉(田原)という各氏の悪趣味観も味わい深い(ちなみに各氏の1位は、比嘉:『たまごクラブ』、藤木:『出目研究』、田原:『バディ』だった)。



 創刊当初に少し仕事して以来、しばらくご無沙汰だった私も、1998年5月号では「仁義なきパクリ雑誌大戦争!」という特集を企画から構成・執筆まで担当した。表紙にも一番大きく打ち出された堂々の第一特集である。といっても4ページだけなのだが、その4ページのみっちりした詰まり具合がハンパない。



  





  「B級カルトマガジン」「エロサブカル写真誌」「お宝雑誌」「ストリート系コギャル雑誌」「パズル雑誌」「素人ナンパ誌」「ブルセラ美少女雑誌」「パチンコ情報誌」「公募雑誌」「中高年告白投稿誌」の10ジャンルの対決と相関図、いくつかのコラムで構成。もうジャンル自体存在しないようなものもあり時代を感じさせるが、マッチメイクも解説も我ながらよくできている。『東京ウォーカー』をパクって1号でつぶれた『東京インフォ』編集長へのインタビューなど、涙なくしては読めない。



  というか、文字が小さすぎて今となっては老眼鏡をかけてもほとんど読めない。この4ページでいったい何文字あるのか。一般的な雑誌の原稿料は400字=いくらで計算して支払われることが多いが、『GON!』の場合は1ページ=いくらだった気がする。この特集のギャラは、文字単価にしたらたぶんめちゃくちゃ安い。

それでも、やりたいことを好き勝手にやれて楽しかった記憶がある。



 今回バックナンバーをチェックしていたら、のちに知り合いになるライターやイラストレーターやカメラマンの名前がクレジットされているのを何人か発見した。おそらく私と同じような感じで、楽しみながらやっていたのではないか。ああ、あの人ならこういうテーマでやるよね、という納得感もあった。 



 B級ニュース、バカコラム、路上観察、現場ルポ、サブカル、芸能、エログロ、読者投稿……と、何が出てくるかわからない闇鍋雑誌。創刊編集長の比嘉氏は、別冊宝島345『雑誌狂時代!』(宝島社)のインタビューで次のように語っている。



 「やっぱり俺、エロ本もそうだし『ティーンズロード』(引用者注:比嘉氏が編集長を務めていた伝説の暴走族雑誌)もそうだけど、“ジャンクもの”というか、とにかく低い低いラインが好きなんですよ。もう志の低ーい、どうでもいい、世の中のためにならないもの。それが自分のベースだから、その集大成を作りたいということで。ちょうどその当時、雑誌がみんなキレイキレイになってて、気取ったものばっかりだった。でも、それじゃ面白くない。結局、雑誌ってくだらないものじゃないですか。

便所で読むとか、寝る前にちょこっと読もうかなぐらいのスタンスがちょうどいい」



  



 そこで立ち上げたのが『GON!』だった。低ーいラインのどうでもいいくだらない、まさに“雑”誌。しかし、『GON!』は、低俗ではあるが卑劣ではなかった。決してほめられたものではないにせよ、フェイクどころかヘイト記事を垂れ流す『WiLL』や『Hanada』より百万倍マシ。自分が一時期関わったというひいき目を抜きにしても、そう思う。 



 同じインタビューで比嘉氏は「よく過激とかなんとかいわれるけど、明からさまな個人攻撃なんてしたことないし、酒鬼薔薇事件のときでも、もしウチがあの少年の顔写真を載せるか載せないかってなったら、恐らく載せないと思う。載せたほうが面白いとは思うけど、それで『フォーカス』みたいに売れなくなっちゃったら意味ないでしょ。だからそういう意味じゃ、俺の中ではすごく一般常識に則った本だと思ってる」とも述べている。



 上記インタビューから4年後の2001年に『フォーカス』は休刊。『GON!』も2001年頃からエロ&風俗雑誌化し、最後は実話誌っぽくなって2007年に休刊した。なぜそんな路線変更をしたのかは知らないが、かつての『GON!』が得意としていたジャンクな情報が2000年代に入ってネット上にあふれるようになり、役割を終えた感はあったかもしれない。



 プーチン&トランプ&イーロンによって世界が鬼畜&フェイクニュース化する今、『GON!』のような雑誌は立つ瀬がない。くだらない雑誌が娯楽として存在できる平和な世界でありますように……と祈らずにはいられない今日この頃なのだった。



 



文:新保信長

編集部おすすめ