■ページをめくるたびに加速…サイクリングのような読書体験
現役AV女優でありながら、文筆家としても注目される異色の存在、紗倉まなさん。対談の取材をきっかけに、初めて著書を拝読した。
2025年6月には、エッセイ集『犬と厄年』(講談社)が刊行されたばかり。前年12月には小説『うつせみ』(講談社)を上梓している。
この2作を読んで衝撃を受けたのは、単純すぎるようだが(そして大変おこがましいが)、まず、とんでもなく文章が上手いこと。『犬と厄年』内のエッセイによると、本に関心を持つようになったのは高専在学中だそうだが、だとしたら、この文章のセンスは生まれつき備わっていたものではないだろうか。
母親ってどうしてこんなにもおしゃべりなのだろうか。
おしゃべりじゃない母親もいると思うけど、うちの母親は口から生まれた化け物だと言ってもいい。いま、まさにそんな母親と電話越しで揉めている最中である。
(『犬と厄年』「母と遺伝子」より引用)
エッセイでは、その言葉選びの軽やかさが前面に出ている。軽やかと言ってもあっさりしているわけではなく、読み応えのある話題を、しっかりと読ませてくれて笑わせてくれる。さながら、力を込めて踏み込みながら爽やかな風を感じてスピードを上げていく、サイクリングのような読み心地だ。
書名の通り、一緒に暮らしている愛犬の話、「厄年に入ってしまった」話のほか、中学生の時に「解散」したというハチャメチャな家族の話、友達の話、キャンプの話……と、等身大のアラサー女性の暮らしが楽しくつづられている。時に思い悩んでいる様子まで見せてもらえ、親近感を抱かせてくれる。
トークイベントなどで「本音」を求められる違和感や、最悪なカメラマンに当たった撮影など、業界ならではの話題も登場する。そんなエピソードも決して遠い世界には感じさせず、そうか、カメラのそちら側に立つとそんな感覚なのか……とリアルに感じられる。
自転車で河川敷を延々と漕いでいくように、気持ちよく読めるのは小説も同じだ。ただしテーマの重たさが加わって、また違った読み口を味わえる。『うつせみ』が描くのは、グラビアアイドルの主人公「辰子」と、美容整形を繰り返す「ばあちゃん」を中心とする家族の日々。このように書くと華やかな言葉が並ぶが、作品に流れる空気感は良い意味で冴えず、ドライで、同時に生々しい。
■AV女優の身体感覚があざやかに、そして生々しく
作品全体がドライに見えるのは主人公の態度の投影だろう。人気商売をしながらもどこか冷めていてやる気のない主人公は、それでも、否応なく外見やふるまいのジャッジに巻き込まれていく。
視線をカメラに戻すと、光がいろんなところに当たって動き回って、それは太陽ではなくレフ板の反射の光だった。
光に射られて、視線に射られて、笑って、とにかく笑うんだ、と言われている。笑いは口角を上げることで、辰子にとってそれ以上でもそれ以下でもなかった。
(『うつせみ』より引用)
肩書きこそ違うが、こうした撮られる・見られる身体感覚は、紗倉さん自身が体験してきたもののはずだ。読者が体験しようもない人生の感覚が、文章を通じて、生々しく体の中へと入ってくる。
辰子のすぐそばには、対比のようにして、一番人気で見た目にも相当気を遣っている「みぞれちゃん」がいる。辰子と「みぞれちゃん」は仕事への姿勢こそ対照的だが、窮屈そうな日々を送っているのは変わらない。そこへ、「ばあちゃん」が別のベクトルの対比になってくる。周囲からどんな目を向けられようが、“年甲斐もなく”美を欲する「ばあちゃん」は、突き抜けていてまぶしい。
見られる痛み、欲望する痛み。紗倉さん自身の世代だけでなく、年配のキャラクターの中にも同じものを見出すことで、このテーマは強固な普遍性をもつ。読者として欲を言えば、作中で「痛み」という言葉が抽象的に使われている感があったので、その「痛み」はどんな感覚なのか、さらに具体的に知りたい、書いてほしいと思った。
AV女優というと、どうしても社会の周縁に位置付けられる存在だ。
ちなみに、『犬と厄年』では、実は紗倉さん本人は「ばあちゃん」が苦手だったと書いている。まるでさくらももこさんの祖父が、『ちびまる子ちゃん』の友蔵とは正反対の意地悪じいさんだったという話のよう……。2020年の小説『春、死なん』についても触れられており、『犬と厄年』は小説の副読本としても楽しめる。
文:梁木みのり(BEST T!MES)