時代を鋭く抉ってきた作家・適菜収氏。当サイト「BEST T!MES」の長期連載「だから何度も言ったのに」が大幅加筆修正され、単行本『日本崩壊 百の兆候』として書籍化された。
◾️西行に学べ
世の中にうんざりしている人は多い。彼らは悲観的になり、絶望し、社会と距離を置き始める。多くの文学作品でも、絶望し、隠遁し、しばらくして気を取り直して再び世の中に入って行き、そしてまたうんざりするパターンが描かれている。そこを貫いているのはマイナスの感情だ。
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しかし、もっと積極的に力強く、能動的にポジティブに世を捨てることはできるのではないか。私がこの連載を始めるにあたり最初に思い浮かんだのは西行だった。武士佐藤義清は23歳で出家したが、仏道だけに励んだわけでもないし、恋の歌も花の歌も詠った。
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小林秀雄は西行の歌を挙げ、「これらは決して世に追ひつめられたり、世をはかなんだりした人の歌ではない。出家とか厭世とかいふ曖昧な概念に惑はされなければ、一切がはつきりしてゐるのである。自ら進んで世に反いた廿三歳の異常な青年武士の、世俗に対する嘲笑と内に湧き上る希望の飾り気のない鮮やかな表現だ」と述べている。
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西行の出家の理由については、友人範康の死や待賢門院璋子との関係の話などいろいろ出てくるが、突発的なものではない。西行はあちこちの草庵を見て、しっかり準備をしている。私は「わくわく」という言葉は死ぬほど嫌いだが、西行は「わくわく」しながら出家したと思う。積極的にポジティブに世を捨てたのである。世を捨てるのはどう考えても面白い。それはこれまでの延長線上ではなく、新しい道を歩きはじめることなのだから。
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さてもあらじ今見よ心思ひとりで
我が身は身かと我もうかれむ
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白洲正子は「若い頃の西行は、まったく心が定まらず、定まらぬ故に出家を切に願ったのだと思う。出家をとげても一向に定まらなかったことは、次のような歌が物語っている」(『西行』)と書いている。
世の中を捨てて捨てえぬ心地して
都離れぬ我身なりけり
捨てたれど隠れて住まぬ人になれば
なほ世にあるに似たるなりけり
あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ
来む世もかくや苦しかるべき
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西行は出家後、嵯峨に庵を結んだが、世俗とも付き合っていた。このくらい適当でいい。とりあえず出家してみるのもいい。形から入ることも必要だ。
■庵を結ぼう
願わくは花の下にて春死なん
その如月の望月の頃
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西行の辞世の一首とされるが、『山家集』に入っているので、死の十年以上前の作である。「花」とはもちろん山桜だ。現在、全国に植えられているソメイヨシノは、日本原産種のエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれた園芸品種であり、明治になってから広まったもの。西行は生涯で作った2090の和歌のうち、230首で桜を詠んだ。
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西行は吉野に庵を結んだ。吉野山には平安時代から桜が植え続けられてきた。特に桜があるところは「一目千本」と呼ばれ山下の北から山上の南へと順に下千本・中千本・上千本・奥千本と呼ぶ。
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私が吉野の西行庵に行ったとき思ったのは、こんな不便な場所にある粗末な小屋に本当に3年間も住んでいたのだろうかということだ。吉野の庵はいくつかあったとされるし、移動は繰り返していたとは思うが、大変だったとは思う。
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私も嵯峨に庵を結びたい。しかし、勝手に庵を作ったら文句を言われそうだし、山の中で暮らすのは面倒。もう少し便利で快適なところがいい。駅からも近いほうがいい。できたらクーラーがあったほうがいい。それでとりあえず自宅を庵にすることにした。
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心なき身にもあはれは知られけり
鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮
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麻薬取締法違反で逮捕され、懲役4年の実刑をくらった角川春樹が出所したとき、私の友人の料理人が「お祝いになにか用意しましょうか」と言ったら、「鴫が食いたい」と言ったそうな。人間の煩悩は服役くらいでは消えない。
文:適菜収