早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。

いったい自分は何者なのか? 「私」という存在を裸にするために、神野は言葉を紡ぎ続ける。新連載「揺蕩と偏愛」がスタート。#11「5年ぶりの帰郷。私は何が怖くて、何が嫌で地元から逃げ出したのか」





◾️夢の中の白昼夢



 5年ぶりに帰った地元は思ったよりも普通で、私は何を恐れてここから逃げ出したんだっけ、とステンドグラス前で待ち合わせをする人間たちを眺めながら静かに思った。



 仙台行きがあと3日と迫ったとき、久しぶりに熱を出した。「もしかして行かなくて良いかも」と浮かれつつも、高校時代の友人の結婚式はさすがにキャンセルする気にはなれなかった。解熱剤と強めの咳止めを無理やり流し込む。私の身体との相性が良すぎるのか、悪すぎるのか意識がぼうっとする。思考にもやがかかり、身体の外側に弾力のある膜が1枚張っているかのようにコントロールが効かなくなっていた。



 まだ肌寒い頃に仙台行きの切符を予約したときも同じような症状に悩まされていた。結局そのときは予定自体無くなったのだけれど、予約を取り消した瞬間に快方に向かったのを今でも覚えている。



 どんなに効き目の良い薬を飲んだところで私の身体を、私の精神を蝕むソレの治療は不可能であるのは分かっている。

思わずため息をついてしまう。飲み終わった部分のシートを切り取り、ゴミ箱へと放り込んだ。





 その夜、夢を見た。私は仙台駅の改札の前に立っていた。改札機を挟んで少し離れたところで私に手を振る人間たちがいた。顔は靄がかかったようではっきりとしていないが、どこか懐かしい雰囲気が溢れ出ていた。なぜか私の頬には生ぬるい液体が伝い、その場から固まって動けなくなっている。遠くから到着案内の音声が聴こえてくる。早く行かないと。行かないと乗り遅れてしまう。私を白昼夢へと連れていってくれる鉄の塊が動き出してしまう。そう思っているのに身体が言う事を聞かない。

手を振る人が私から徐々に遠ざかっていく。



 「待って、いかないで、助けて、私動けないの。動けなくて怖くて怖くてたまらない。ひとりにしないで」



 そう叫んでいるはずなのに、口がパクパクと動くだけで音として生まれることはなかった。





◾️私の居場所



 ワンワンワンワン…。動けないまま犬に襲われたと思ったら、我が犬が外に向かって吠えていた。近くに置いてある携帯を拾い上げると、時刻は7時と表示されていた。どうやら私は現実にちゃんと帰ってきたようだった。起き上がることもできるし、声を出すこともできる。あーっ、あーっと意味もなく音を出す。洗面所に向かい、ふと鏡の中の私を見つめてみると目尻がほんの少しだけ湿っていた。



 当日、怯えながら新幹線から降りてみると真空パックに保存されていたかと疑ってしまうぐらいに何も変わらなかった。

周りを見渡しても、ふらふらと彷徨ってみても私を脅かす何かは見つからない。思わず胸を撫で下ろすと同時に、私はとある疑問が浮かんだ。



 私は何が怖くて、何が嫌でここから逃げ出したのだろうか。そしてなぜずっと敬遠してたのだろうか。いまいち理由が分からなかった。この土地の空気を身体に取り込んでも、何も起きなかった。胸を熱くするような懐かしさや身体が拒絶する嫌悪感は込み上げてこない。何も生まれてこない無味無臭の空気だった。東京であれこれ考えている間はあんなにも不調に陥っていたというのに。





 でも、今回ではっきりとしたことがある。





 この土地は私にとって生まれ育った場所には違いないが、帰る場所でも精神的な拠り所ではない。私には帰るべき場所がある。

そしてそこでは誰にも支配されずに一人で立つことができている。その紛れもない事実は私の中で勝手に膨れ上がっていた恐怖心みたいなものを薄めてくれた。



 同じようにこの土地を離れた人間たちが酔っ払って「東京は住む場所じゃない」と話しているのを聞いて、思わず飲んでいる酒を吐き出しそうになった。



 私は東京が住む場所で、私のたった一つの居場所で、絶対の聖域。きっと東京に恋しているのかもしれない。いやもっと汚い、もっと醜い執着だ。この場所で何度もずたずたに傷ついたとしても、離れることなく呼吸し続ける。





 ここだと誰に寄りかかることなく、色々なラベルを付けられることなく、1人の人間として扱われる。もう同じ沼地には戻りたくない。誰にも重たい鎖の首輪を付けられたくないのだ。





 ここまで書き終えたとき、そのまま深い眠りへと落ちた。



 次に私の耳に届く音は、東京駅へ到着する合図だろう。





文:神野藍

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