「まさかオレが!? 脳梗塞に!」ある日突然人生が一変。衝撃の事態に見舞われ仕事現場も大混乱!現役出版局長が綴った「半身不随から社会復帰するまでのリアル奮闘日記」。

連載配信前から出版界ですでに話題に!だって名物営業マンですから!



誰もが発症の可能性がである「脳卒中」。実際に経験したものでないと分からない〝過酷な現実と絶望〟。将来の不安を抱えながらも、立ち直るべくスタートした地獄のリハビリ生活を、持ち前の陽気さと前向きな性格でもって日々実直に書き留めていったのが、このユーモラスな実録体験記である!



リハビリで復活するまでの様子だけでなく、共に過ごしたセラピストや介護士たちとの交流、社会が抱える医療制度の問題、著者自身の生い立ちや仕事への関わり方まで。 克明に記された出来事の数々は、もしやそれって「明日は我が身!?」との声も!?  笑いあり涙ありの怒涛のリハビリ日記を連載で公開していく。



第8回は「脳梗塞で半身不随になって経済的に困ったこと・業務に関わるうえでの悩みなど」



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第8回脳梗塞で半身不随になって経済的に困ったこと・業務に関わるうえでの悩みなど



①入院による経済的な事柄



6月8日に脳梗塞で入院してからの経済的なことを記しておこう。





6月8日~7月31日までは有給扱いで給料があったが、8月以降は無給となった。



年内休職となり8月~12月は無給。



けれど社会保険料や年金は払わなければならない。



無給期間は傷病手当の支給を受けるが、支給額から社会保険料を立て替えている会社へ払うから、支給額の半分は無くなる。



傷病手当は無給になっている期間が1ヶ月過ぎてからの申請となり、給料と違って支給まで時間がかかる。



いまこの日記を書いている9月8日時点で8月分の傷病手当は申請したが、支給はいつになることやら。





入院の費用は急性期(救急)病院に17日間分の52万円を支払った。



ここは個室ではないので差額ベッドの費用はかかっていない。



実費は食事代と着替えのパジャマ代などである。



高額療養費用制度で支払った金額は52万円よりは減っているのだが、それでもかなりの金額である。



無給で収入が途絶えた状態での療養費用は大変である。



ここで役立ったのが生命保険である。



死亡保険金のことしか気にしてなかったけれど、三大疾病の給付金や後遺症の給付金があったお陰で、とても助かったのである。



去年、保険料として毎月払う金額が無駄な気がして解約を考えたこともあったが、止めずに良かった。



給付金は契約の内容で違ってくるが、まったく無いよりは、まとまった金額が入るのは、とても心強かった。



日々の給付金、例えば日額5000円でも、幾つか保険に入っていたら、それぞれから支給されるのだ。



私は二つの保険から合計1万1千円支給されている。



支給は一度の疾病で最大180日と制限がある。



リハビリテーション病院の入院期限は150日なので、急性期病院の17日間を含めても充分である。



この給付金のお陰で個室で療養が出来て、声を出したり、テレビを観る時にイヤホンもいらず、パソコンで会社とリモート業務が出来たのである。



年収は半分以下になってしまったのだが。



来年は確定申告で納め過ぎた税金を戻してもらわないといけない。





出版局長が脳梗塞で半身不随になって経済的に困ったこと・業務に関わるうえでの悩みなど【真柄弘継】連載第8回
イメージ写真:PIXTA



もし、リハビリテーション病院の入院期間(最大180日)を過ぎて、別のリハビリテーション病院に転院したら?



健康保険は使えず3割どころか10割満額が自己負担となるのだ!



よほどの金持ちでなければ無理な話である。



中には勘違いする人もいて、回復期のリハビリテーション病院に180日入院すれば治ると思うらしい。



治りきらずに退院して日常に戻ることを想像したら、1日3時間のリハビリ以外に筋トレなど自主トレを積極的にするしかない。



退院したら通院してリハビリをするという人もいる。



バスや電車に乗って通院が出来る身体ならまだしも、車椅子生活の身体なら家族や介助してくれる人でもいない限り無理だ。



私の場合は退院したら、バスと電車で会社まで通勤しなくてはならない。



片手しか使えない身体では厳しいから、歩きは杖無しまで回復しないとならない。



あと70日ほどで出来る限りのことをして、歩きは仕上げてから退院するのが目標なのだ。



金銭面の不安が無いと言えば嘘になる。



その事がストレスとなるのは肉体的にも精神的にも悪影響だ。



あえて頭の中から消し去っているし、それをさせてくれる家族に感謝しかない。





②負の感情は無くなった?



◾️9月14日日曜日

今日はオフの日だから朝の自主トレとリハビリ以外は運動をしない日。



リハビリの合間は競馬と、この日記を書くこと。





これまで何度も「不安」「焦り」「怒り」「苛立ち」などの負の感情がなくなったと言ってきた。



これは私自身に負荷を与える感情。



「怒り」や「苛立ち」のような他人へ向かう感情はなくなっているから、腹が立つことを言われても以前のような瞬間湯沸かし器にならない。



けれど最近になって、あら?意地悪な感情はあるじゃん!と気がついた。





会社を休職しているため部下に頼んで私宛のメールには、休職の旨と営業部共通アドレスを添えて返信してもらっている。



それでも個人アドレスにしか送ってこない人が何人かいる。



部下もいちいち私のメールをチェックしなくてはならず、面倒臭いことこのうえない。



だいたい病気療養で休職している人に対して、月毎の売れ行き報告と内容を確認したら返事をしてほしいなんてメールをしてくる人間の常識の無さに呆れる。



そんな人に、



「どういう了見を持っているんだ! 病気療養で休職してる取引先の社員に対して業務メールするなんて! それがストレスで療養にならないじゃないか!」



と先方の会社の法務部へ電話しようかと思ったりもする。



「なんならしかるべきところへ通報しようか?」



一言添えたりもするかな。



このような意地悪な感情は健在なのだ。



会合の幹事をしていたから、出欠のメールが私に届く。



それを幹事の代理を頼んだ人に転送するため、すぐには自動返信設定が出来なかったのだ。



私と連絡がとれると思う人がいても仕方がない面はある。



頭の障害で怒りがなくなっているからか、執着心もなく、まっいいか、となるから不思議だ。



セラピストさんとも、高次脳機能障害ではなく脳機能特典と呼んで楽しんでいるのだが(笑)





なんとなく今日は日曜日らしい雰囲気をリハビリテーション病院も醸し出している。



たぶん普段よりも多くの面会の人たちが来ていたのと、いつもより早くトレーニングルームが終了したからかもしれない。



リハビリも全部終わり、あとは夕食を食べたら、日曜日のルーティンである足湯をして、20時前には就寝。



今日1日の休息で明日からまた身体の機能回復に全力投球。



あと66日のリハビリでどこまで回復できるのか?



神のみぞ知る、である。





③会社の仕事



◾️9月16日月曜日

6月8日(日曜日)に社長へ電話したことで自ら救急車を呼び、自分の手で服を着替え、自分の足で診察台に乗り、けれども明くる日の朝には半身不随となった脳梗塞患者の私。



翌月曜日、またしても社長へ電話した。



脳梗塞になった報告をしたが、それで終わらずに直近の会合のことや仕事のことで、それ以降も会社へ連絡をしていた。



会合の件は仲の良い版元仲間に代わってもらい、細々した引き継ぎも済ますことができた。



仕事は引き継ぎする相手がおらず、LINE電話で唯一直轄の部下である事務子さんに指示したり、確認したりを以降ずっと続けている。



17日間入院していた急性期病院(救急病院)では、呂律が回らないながらもLINE電話で伝わりにくい私の話し方を聞き取ってもらいながら、なんとか急ぎの案件を終わらせることとなった。



いま考えたら、HCU病棟はベッドの間隔が広くて、私は一番奥に寝かされていたから電話してもさほど目立たなかった。



5人部屋へ移動後は一番端とはいえ他の入院患者さんは迷惑だっただろう。





リハビリテーション病院に転院したときに、最初は隔離のため個室だったのは運がよかった。



急性期病院同様にLINE電話で会社と業務の連絡を取り合っていた。



隔離明けで大部屋となったら仕事は出来ないと思い、妻にお願いしてそのまま個室での入院生活とさせてもらったのだ。



LINE電話ではなにかと不便なので会社から新品のノートパソコンを送ってもらった。



以降はリモートで会社と連絡を取り合った。



ネットもメールも可能になったことで、書店のPOSチェックもでき、適宜指示も出すことが可能となった。



けれどだんだんと問題点もわかってきた。



一番困ったのは私が身体障害者というのが伝わりにくいこと。



そもそも身体障害者とは無縁な人たちだけに、時間的な感覚が健常者へ対するものと変わらないのが辛かった。



とにかくなにをするにも健常者の何倍も時間がかかる。



身体障害者になり初めてわかったことだ。



高次脳機能障害がないお陰か仕事はモニター越しに進められた。



しかし私が仕事をサポートすることが脳のストレスとなるのも否めない。



仕事には関わりたい、けれど壊れた脳にはストレス。



心は悶々とするしかない。



回復期のリハビリテーション病院には残り64日はリハビリのために入院している。



退院しても年内は自宅療養しながら社会復帰のためのリハビリを続けていくのである。



会社へ出社できるのが年内なのか、年が明けてからなのか、いまはまだわからない。



この日記はリハビリテーション病院を退院するまでを目処にしている。



はたして無事に書き終わるのだろうか。





文:真柄弘継



(第9回「車椅子から脱却、そして自らの足で歩く」につづく…)



出版局長が脳梗塞で半身不随になって経済的に困ったこと・業務に関わるうえでの悩みなど【真柄弘継】連載第8回



◆著者プロフィール

真柄弘継(まがら・ひろつぐ)

某有名中堅出版社 出版局長
1966年丙午(ひのえうま)の1月26日生まれ。1988年(昭和63年)に昭和最後の新卒として出版社に勤める。以来、5つの出版社で販売、販売促進、編集、製作、広告の職務に従事して現在に至る。出版一筋37年。業界の集まりでは様々な問題提起を行っている。中でも書店問題では、町の本屋さんを守るため雑誌やネットなどのメディアで、いかにして紙の本の読者を増やすのか発信している。



2025年6月8日に脳梗塞を発症して半身不随の寝たきりとなる。急性期病院16日間、回復期病院147日間、過酷なリハビリと自主トレーニング(103キロの体重が73キロに減量)で歩けるまで回復する。入院期間の163日間はセラピスト、介護士、看護師、入院患者たちとの交流を日記に書き留めてきた。



自分自身が身体障害者となったことで、年間196万人の脳卒中患者たちや、その家族に向けてリハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性を日記に書き記す。
また「転ばぬ先の杖」として、健康に過ごしている人たちへも、予防の大切さといざ脳卒中を発症した際の対処法を、リアルなリハビリの現場から当事者として警鐘を鳴らしている。



 

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