■元号のはじまり
漢武帝御存知のように、元号が使用されるようになったのは、古代中国のことです。漢の武帝(在位:紀元前141~87年)が、即位の翌年(紀元前140年)を「建元元年」としたのが最初と言われています(『漢書』)。その後、中国では、正確な記録が遺されている中国・唐の建国(618年)から清の滅亡(1911年)までの間に用いられた元号の数は189を数えています。
一方、日本ではどうでしょうか? 最初の元号とされている「大化」(645年~)から「平成」(1989年~)までの間に用いられた元号の数は、なんと「本家」のそれをはるかに上回る247を数えています。御存知でしたでしょうか?
■日中・元号比較!日本は重複なし
中国の元号数が189、これに対して日本の元号数は247ですが、元号に使用された文字の種類をみてみますと、中国が148、日本が72と、日本の方が圧倒的に少ないのは意外です。ちなみに、元号に多用された文字のランキングを見ますと、
中国/①元(46回)、②永(34回)、③建(26回)、④和(21回)、⑤興(18回)
日本/①永(29回)、②元(27回)、②天(27回)、④治(21回)、⑤応(20回)
となっていて、両国とも「元」と「永」が上位を占めています。また、採用元号の重複を調べてみますと、
中国/「建武」「太平」(各5回)、「永興」「太和」(各4回)
日本/重複無し
という結果になりました。日本で用いられた247の元号に、重複は一切無いのです。
■今、世界の元号は?
本家の中国では、清の滅亡(1911年、孫文による辛亥革命)により元号は廃止され、「中華民国元年」(1912年)となりましたが、中華人民共和国はこれを採用せず、現在は西暦を使用しています。ただし、台湾では今でもこれが継続され、今年(2019年)は「中華民国紀元108年」になります。
この他、ベトナムでも10世紀の中頃から第2次大戦後まで元号が使用されていました。日本で「大正」の元号が決まった際に、ベトナムで1530~1540年まで「大正」の元号が使用されていたことを知っていた歴史小説家の森?外は、新聞紙上で「不調べの至」と、このことを厳しく糾弾しました。
■元号以前は?
皆様も高校の日本史の授業で習ったことと思いますが、『魏志』倭人伝には、「景初三年」(239年)に、倭国・邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に使者を送ってきたと記されています。この時は、おそらく卑弥呼も、その親書には魏の元号である「景初三年」を用いていたと思われます。ただし、倭国内では、元号ではなく干支が用いられていたようです。埼玉県行田市の稲荷山古墳(5世紀後半)から出土した鉄剣には、「辛亥年」(471年)の記載があり、このことを裏付けています。
さて、次回は、改元の手続についてお話いたしましょう。
文/宮瀧 交二

大東文化大学文学部教授。学術博士。1961年生まれ。埼玉県立博物館主任学芸員を経て現職。大東文化大学のほか東京大学、東京女子大学、早稲田大学等で博物館学を講義。
【参考文献】
・宮瀧交二監修『元号と日本人』プレジデント社、2019年。
・所 功・久禮旦雄・吉野健一『元号 年号から読み解く日本史』文春新書、2018年。
・グループSKIT・編 『元号でたどる日本史』PHP文庫、2016年。〈次回以降の予告〉第2回 改元はこう行なわれる!第3回 平成にまつわる話あれこれ第4回 新元号は…第5回 元号の将来