―東京の強豪・東海大学菅生高校のコトバ
「吹奏楽の甲子園」での栄光
東海大学菅生高等学校吹奏楽部
松葉梨々花さん(3年・フルート)(右)
[2019年5月取材]
例年にも増して酷暑続きだった夏休みが終わると、いよいよ決戦のときがやってくる。
9月9日、府中の森芸術劇場。全国大会への出場校が決まる都大会本選だ。
その5日前、顧問の加島先生からメンバー55人に1枚の紙が配られた。そこには先生のメッセージが綴られていた。
「努力なしで偉業は決して成し遂げられない!」
「練習は決して裏切らない!」
「何でも産みの苦しみは存在する。それを乗り越えたところに喜びが待っている!」
先生からの熱い言葉は、メンバーの心を奮い立たせた。会場に到着したとき、2、3年生はみな前年の森本部長の涙を思い出し、「今年こそ!」という気持ちをより強くした。
しかし、東京には「6強」と呼ばれるライバルがひしめき合っている。
本番前、東海大学菅生高校ではメンバーが手紙やお菓子を交換し合う習わしがある。リリカは同じフルートの2ndを担当する3年の先輩と手紙を交換した。ふたりは前年も一緒にBチームで演奏した間柄だった。
『最高の相棒だよ!』
手紙にはそう書かれていた。
「先輩のコンクールを今日で終わりにさせちゃダメだ。絶対、先輩と一緒に全国に行こう!」
リリカはそう決意した。
出場順がひとつ前の都立片倉高校の演奏が終わり、東海大学菅生高校がステージに登場した。エンブレムのついた白いジャケットに黒のボウタイ、黒のパンツ。引き締まった表情の55人は、黒いスーツ姿の加島先生の指揮に合わせ、12分間の演奏を開始した。
もっとも緊張感が高まる課題曲だが、出だしから練習どおりの演奏ができた。「練習は決して裏切らない!」という加島先生の言葉は正しかった。
やがて、チューバのソロがやってくる。
「やればできる! 必ずできる! 絶対できる!」

ジュンヤはそう信じ、楽器に息を吹き込んだ。プレッシャーさえも力になっていくのを感じ、落ち着いて最後まで吹ききることができた。今回もソロは成功だった。
充分に納得できる仕上がりで課題曲の演奏が終わった。
ところが、自由曲《吹奏楽のための協奏曲》に切り替わると、楽曲の難しさゆえか、メンバーは硬くなってしまった。リリカたちフルートパートは、出だしの最高音をきっちり揃えて吹くことができたものの、バンド全体では細かなミスが目立った。その反面、菅生らしい重厚感のあるサウンドも響いていた。
完璧とは言い切れない12分間の演奏が終わった。メンバーはみな、自分たちが代表に選ばれるとは確信できなかった。
表彰式では、部を代表して野田部長ら3人が登壇した。
最初の審査結果発表では、東海大学菅生高校を含む6校が金賞を受賞した。その中から東京代表に選ばれるのは3校。最初に名前を呼ばれたのは、前年に全国大会で金賞を受賞している東海大学付属高輪台高校だった。続いて、八王子学園八王子高校が選ばれた。
残る枠はたったひとつ―。
「プログラム……10番! 東海大学菅生高等学校!」
悲鳴のような歓声が上がった。
客席にいたリリカは、泣きながら隣の席の先輩とハイタッチをした。
ジュンヤも号泣しながら、ステージ上で笑顔を浮かべている野田部長を見た。本当によかったと思った。ジュンヤの近くには、前年に苦汁をなめた卒業生もいた。
「先輩、去年の悔しさを晴らしました!」
「おめでとう!」
ジュンヤは泣きながら卒業生と抱き合った。
こうして東海大学菅生高校吹奏楽部の、6回目の全国大会出場が決定したのだった。
吹奏楽コンクールは夏に始まり、全国大会を迎えるころには紅葉の季節となっている。
10月21日、全日本吹奏楽コンクール・高等学校の部。会場である名古屋国際会議場センチュリーホールに東海大学菅生高校はやってきた。
バスの中では、メンバー55人に再び加島先生のメッセージが配られた。

「もう恐れるものは何もありません!」
「肩の力を抜いてお互いを信じ、無心になって感性という音楽の扉を開きましょう!」
「音楽を奏でることを心から楽しみましょう!」
先生の言葉は力強く55人の心に響いた。
リリカとジュンヤにとっては2年ぶりの名古屋。会場の外にそびえ立つ純白の騎馬像、ざわめくロビー、通路、音出しをするイベントホール……すべてが懐かしかった。
「またここに戻ってこられたんだな」
ふたりは同じ思いを抱いた。
しかし、中学時代とは何かが違う。吹奏楽界でもっとも注目を集め、全国各地から強豪校や指導者、吹奏楽ファンが集結する高校の部―「吹奏楽の甲子園」の持つ空気感はやはり特別なものだった。
体育館のようなイベントホールでは複数の学校が同時に音出しをしていたが、響いてくる音の美しさや圧力は中学校の部とは比べものにならなかった。
だが、リリカは緊張はしながらも、心の奥底は凪ないでいた。「謎の自信」があったのだ。
「中2のときも、中3のときも、私が出たコンクールは全国大会で金賞だった。だから、きっと今回もいけるはず!」
根拠も何もない。とにかく、リリカはそう信じて疑わなかった。

午後5時すぎ。東海大学菅生高校の55人は舞台裏で出番を待っていた。反響板の向こうからは、福岡県の福岡工業大学附属城東高校の演奏が響いてくる。全国大会に通算32回出場し、15回も金賞を受賞している名門校だ。
福岡工業大学附属城東高校の演奏が終わり、東海大学菅生高校の55人は照明の落ちたステージへと出ていった。
リリカはフルートの席に腰を下ろし、客席を見渡した。リリカはステージから見るセンチュリーホールの風景が大好きだった。
「やっとこの景色が見られた……」
ステージに対してそそり立つ壁のような客席と、そこに漂っている空気に神聖なものを感じた。
ジュンヤはホールに詰めかけた人の多さに驚きながらも、意外に落ち着いている自分を感じていた。
「先生のメッセージのとおり、ここまで来たらもう、心から楽しんで演奏するしかないな!」
ジュンヤは苦楽を共にしてきた大きなチューバの管体をギュッと抱き締めた。
「プログラム10番。東京代表、東京都、東海大学菅生高等学校吹奏楽部。課題曲Ⅴに続きまして、高昌帥作曲《吹奏楽のための協奏曲》。指揮は加島貞夫です」
運命のアナウンスが響いた。
客席に向かって加島先生がお辞儀すると、大きな拍手が巻き起こる。
先生が両手を胸の前で構え、指揮を振り始めた。全国大会の先はもう存在しない。泣いても笑っても最後の12分間―その幕が切って落とされたのだ。
まずは課題曲《エレウシスの祭儀》からだ。冒頭、何かの予兆のように音楽は静かに始まる。銅ど鑼ら のジャーンという響きをきっかけにして金管楽器の力強い旋律が飛び出した。
「菅生の空気が作れたな!」
その銅鑼の音を聴いて、ジュンヤは思った。
「細かいところも、みんなちゃんと揃ってる!」
リリカも安心して演奏に入り込むことができた。
ジュンヤのソロもうまくいった。《エレウシスの祭儀》は大きな崩れもなく曲の終わりに到達した。
残るは、《吹奏楽のための協奏曲》だ。都大会本選ではミスが目立ち、課題を残した。
果たして、全国大会は―。
加島先生の指揮に合わせて、運命に立ち向かうかのような、トランペットを中心とした重厚なファンファーレが鳴り出した。リリカには、その音が大きなセンチュリーホールの隅々にまで響き渡るのがわかった。
「よし、このままいけば!」
思わずフルートを握る指に力がこもった。
東海大学菅生高校の55人は都大会本選から何段階もレベルアップしていた。一人ひとりが重ねてきた絶え間ない努力の成果をいかんなく発揮し、《吹奏楽のための協奏曲》という難曲を見事に奏でていった。
ジュンヤは、力強く指揮をする加島先生を見つめた。その姿は神々しく、まるで音楽の神様が先生の中に降臨しているかのようだった。そして、先生と55人は今までにないほど一体となっていた。
「あぁ、なんでコンクールは12分間しか演奏できないんだろう。まだ終わってほしくない。みんなと一緒にずっとここで吹いていたい!」
だが、一音一音、曲はフィーネに向かって進んでいく。55人の、110の瞳が熱く加島先生に注がれる。音楽は輝きとなり、まばゆいほどにホールを照らし出して―。
「ブラボー!」
会場中から歓声が湧き上がり、盛大な拍手が巻き起こった。東海大学菅生高校の12分間が終わりを告げた。ジュンヤは「最高の演奏だった」と思いながら、体いっぱいに喝采を浴びたのだった。
「9番、福岡工業大学附属城東高校―ゴールド金賞!」
喜びの声がホールを満たした。
全日本吹奏楽コンクール全国大会・高等学校の部の表彰式。東海大学菅生高校の前にすでに2校に金賞が与えられた。全15団体のうち、金賞を受賞できるのは4、5校だ。
ジュンヤやリリカたちはセンチュリーホールの3階席で固唾をのみ、成績発表を見守っていた。
「10番、東海大学菅生高等学校―」とアナウンスが響く
1秒にも満たないわずかな間だが、まるで時間が止まったかのように感じられた。メンバーの心拍だけがドクッドクッと響き……。
「ゴールド金賞!」
3階席は絶叫に包まれた。
リリカは最初、他の学校のことかと思った。
「え、金賞? 本当にうちの学校のこと!?」
周囲を見回し、歓喜する仲間たちの姿にようやく事実が受け入れられた。やっぱり「謎の自信」は間違っていなかった!
ジュンヤは満面の笑みを浮かべて他のメンバーとハイタッチを繰り返した。悔しさ、ためらい、プレッシャー、涙……すべてを乗り越えて到達した純度100パーセントの喜びに身を任せた。
前年の代表落ちから、一気に駆け上がったコンクールの頂点。創部36年目。加島先生がわずか7人の部員とともに活動を始めた東海大学菅生高校吹奏楽部が、ついに初めての全国大会金賞を受賞した。
喜びの中でジュンヤは思った。確かに、自分たちは歴史の扉を開いた。けれど、今はまだ「点」に過ぎない。翌年以降も金賞を取り続けることで、「点」と「点」がつながって「線」になり、本当の意味での歴史となるだろう。
「やればできる! 必ずできる! 絶対できる!」
ジュンヤは早くも翌年の全国大会に照準を定めた。
2019年、リリカとジュンヤは高校3年となった。リリカは副部長に、ジュンヤは学生指揮者に就任し、それぞれ吹奏楽部の運営と演奏を引っ張るリーダーを務めている。
2019年のコンクールの課題曲は日景貴文作曲《ビスマス・サイケデリアⅠ》、自由曲はベルト・アッペルモント作曲《ブリュッセル・レクエイム》に決まった。2018年に負けず劣らず難しい2曲だ。
並み居る強豪の中で2年連続で全国大会に出場することも、そこで再び金賞に輝くことも、かなり厳しい目標ではある。
しかし、リリカは思う。
「中学時代、私がメンバーじゃなかった1年のときは代表になれず、メンバーになった2年、3年は全国金賞だった。高校でも1年、2年と同じ流れで来てるから、きっと3年でも全国金賞がとれるはず!」
謎の自信―リリカはそれを胸に秘めながら、後輩たちの先頭に立って指示を出し、部長を支え、フルートを吹いている。
加島先生、そして、55人の仲間たちと一緒に、もう一度センチュリーホールのステージから大好きなあの景色を見るために。
