■高本公夫著『競馬に勝って歓喜する本』との出会い

「マジか…」――読むほどに戦慄が身体中を駆け巡る。過去に読んだ競馬本とは、まるで異質の内容だった。

 中山競馬場のすぐそばにある高校に通っていた筆者は、土曜日になると私服持参で通学していた。学校帰りに中山競馬場で馬券を買うためだ。

 参考書代がすべて馬券本に化ける、そんな高校生は、持ち時計の速い馬が勝つこともあれば、休養明け2戦目で状態が上向いた馬が勝つこともあると体感した。予想しきれぬ展開で大万馬券となることもある通り、人知を超えた難解さこそ馬券の最大の魅力だと感じていた。

 そんな時期に発売されたのが、高本公夫氏の『競馬で勝って歓喜する本』だった。その内容は、少しずつ構築されていた若輩者の競馬観を根本から覆してくれた。

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『競馬に勝って歓喜する本』は、さまざまなサインから馬券が的中する楽しさを教えてくれた。

 祖父が根室競馬の調教師で、自身も地方競馬の馬主だったという高本氏は、たとえば次のようなことを記している。いくつか要約しよう。

 人気種牡馬のタネが欲しい生産者が、保有する肌馬に種付けをしたが、妊娠の兆候が感じられない。再度、人気種牡馬との交配をするも、相性が悪くてまたも妊娠しないかもしれない。そこで、人気種牡馬と同じ毛色で同じ血液型の馬があてがわれる。

 ちょっと待ってくれ。これが本当なら、血統馬券術は意味をなさないじゃないか。

「明日の代表馬を決める」とばかりに、レースに参加する調教師たちの談合が前夜に行われる。「勝ちたい者はそれぞれの事情を述べよ」と。

 これが本当なら、レースの公正さなどどこにもないではないか。

 とはいえ「競馬などバカらしい」とは思わなかった。むしろ逆である。その理由は、高本氏の記す内容のバックボーンがしっかりしていたからだ。

■タカモト式はむしろ当たっている!?

 それは、タテ社会における調教師・騎手同士の関係性であり、先輩後輩の間柄でもある。ましてや競馬主催者の目で読むと、納得できる箇所が少なくなかった。

 たとえば「開催の早いうちに大万馬券を出す」という主催者の意図がある。これも、馬券で夢をみたい自分を思えば納得できるものだった。

G1レース前日に大万馬券が飛び出れば、ビッグ・ドリームを追い求めて高配当を買いたくなるように…。
 
 高本氏の記した内容は、競馬界の「知られざる秘密」に触れたような気にさせてくれた。事実かどうかはわからないが、ありえない話でもない。

 いや、むしろ当たっているのではないか。

 時計や血統、馬場状態などとは異なる「怪しげなファクター」も、競馬予想に必要なものとして感じた私は、競馬界の人間関係を研究していくことになる。

 

■ノミ屋は当たり前、場立ちの予想屋に、デン助賭博も

 思えば「いい時代」だった。

 まだネット投票など存在せず、電話投票が始まるか始まらないかで街にはノミ屋が多く存在した。大元に中継する小元として、理髪店などが中継としての役割を果たしていた。筆者も数回利用したことがあり、負け金を1割バックしてくれたものだ。聞くところによると美浦周辺のノミ屋は「異常に儲かった」そうだ。

 競馬場やウインズの近くには「場立ちの予想屋」がいた。50万、100万単位の当たり馬券をかざしている。

「100円馬券を偽造している」という話だった。

 忘れもしないのは錦糸町ウインズ。錦糸町駅のロータリーに、師匠と弟子を名乗る二人組が馬券ファンを集めている。覆面をしている師匠は「馬券の預言者」だそうで、「先生!今、向かいの電柱に何羽のカラスがいますか?」「3羽!」――群衆は「おおお」と声を上げてメインレースの予想を我先にと買い始めるが、弟子の「質問の仕方」に答えがあったのだろう。

 中山競馬場の帰りには、八百屋の前でデン助賭博(ヤラセの賭博。参加すると必ず負けるシステム)が開帳されていた。声を掛けられた私の知り合いは「今日は非番なんだよ。面倒なことさせるな」と語り、立ち去ったそうである。 

伝説の「馬券術」本と、『競馬最強の法則』の終焉
高本公夫氏は、1986年(昭和61) のダービー馬・ダイナガリバーを2月の時点で小説形式で的中予言させた。

■馬名、キャッチコピー、場内放送にもヒントが!

 時は競馬ブーム真っただ中。競馬最強の法則創刊(91年)とともに、競馬雑誌は次々と発行されていった。時計、馬場状態、騎手、厩舎など、あらゆる予想ファクターが研究された。

 さて、高本氏が確立したのが「サイン馬券」である。たとえば枠順にヒントがあり、1番に●●ワンが、黒帽の2枠に●●ブラックという馬が入ったら勝負だ、という具合だ。「競馬には演出者がおり、すべては仕組まれている」という予想論が、多くの競馬ファンに知れ渡り、馬券の売り上げはグングンと伸びていった。

 競馬雑誌もまた、高本氏のお陰で新たな読者層に支えられていた。草島たかよし氏や秋月薫氏を筆頭に数名のサイン馬券作家も出現したが、高本氏ほどバックボーンがしっかりした人はいなかった。

 枠順と馬名のみならず、キャッチコピーの意図、あるいは場内放送にヒントがあった、などなど。予想術としては十分におもしろく、レースそっちのけで場内放送に耳を傾けたこともあった。

 筆者も出版されるたびに高本氏の著書を購入したが、ふと感じたことがある。処女作の『競馬で勝って歓喜する本』を上回るインパクトを感じないのだ。それはもしかすると、処女作がノンフィクションでサイン馬券がフィクションであることの証明だったのかもしれない。

 あれから30年が過ぎ、競馬の予想法は必要とされなくなってきた。情報化社会となり多くの読者が成長したからだろう。

一人一人の競馬観が備わっていくほど、予想本の類は必要とされなくなる。加えて誰もが自分の予想を自己発信できる時代となった。

 金を出して予想を買う。そんな時代ではなくなってしまったのだ。

 そう思うと、競馬雑誌が終焉を迎えるのも時代の流れだ。紙媒体で生きてきた筆者にとっては非常に悲しいことだが、時代には逆らえない。

 ある意味いい加減だったあの時代は、もう二度とやってこないだろう。

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