2月中旬の北京市地下鉄の様子。■中国においてコロナの話はもう「古い」

 新型コロナウイルスによる肺炎が猛威を振るう中国ではいま、「準戦時」とも言うべき厳戒態勢が敷かれている。

 全土の交通インフラは現在もほぼ麻痺状態。人と人との接触は制限され、防疫用品も相変わらず足りていない。そこに情報統制が加わって、肝心な情報は隠されつつも様々なデマが飛び交うというカオスな状態が続いている。

 ところが、現在も中国国内で暮らしている身からすると、街ゆく人々の表情や巷の空気感は、海外のメディアで報じられるほど暗いものではないと感じる。むしろ武漢封鎖からまもなく1カ月が経とうとする今、中国では大騒ぎする段階を通り越し、人々の間には混乱に対する「慣れ」であったり、一部では「飽き」の感情すら生まれている。家に引きこもるのはもうたくさん、というわけだ。

 中国人の特性を表す言葉のひとつに「3分間熱度」というものがある。とことん熱しやすく、冷めやすい。ひとたび怒りや恐怖に囚われると爆発的なパワーを発するが、興味を失うのもまた早い。今回の新型肺炎はさすがに国を揺るがす大事件であるため、誰もが「コロナの話、もういいわ」と考えているわけではないが、中国国内の雰囲気は日本の人々が考える以上に落ち着いている。統制国家の面目躍如といったところである。

中国における「新型コロナウイルス阻止戦」の実態 ─感染への恐怖から経済へと移る中国人の関心─
中国では人々にマスクの着用を呼びかけるためのさまざまな宣伝活動。

 流行真っ只中の湖北省は別として、感染拡大がそれほど深刻でない地域では、むしろ人々の関心が徐々に経済へと移りつつある。果たして今回の事態でどれだけ多くの企業が潰れるのか、自分の勤め先は大丈夫なのか…。

 この傾向は都市部だけでなく地方も同様で、観光地の住民は現金収入が完全に断たれた現状を嘆き、農民たちは出荷できない作物の山に頭を抱えている。人民は恐慌状態から我に帰り、現実に目を向け始めているのだ。

 このように、ウイルス発生源である中国では、これからやってくる経済問題という本当の危機に人々の関心が向かいつつあるのに対し、海外では中国国民が今もなお未知のウイルスに震えながら日々暮らしていると考えており、『政府の初動の遅れを非難し、事態をいち早く告発した医師を扇動者として捕まえたことに怒りをつのらせる国民の不満は、いつ爆発してもおかしくない…』といった報じ方になる。

 当然、怒りも不満もある。それらに対して政府がこれまでになくデリケートになっているのも事実だ。しかし、新型肺炎絡みのトピックが連日新たに生まれる中、また当局の情報統制も相まって、関心の焦点は否応なしに移ろいゆく。乱暴な言い方をすれば、中国においてその話題はもう「古い」。

 中国国内と海外には確かなズレが生じているのである。 

 それでも筆者の考えでは、日本人は比較的冷静に今回の事態を受け止めており、また日本国内のメディアも細やかに現地の情報を伝えていると感じる。意外に思われるかもしれないが、日本のマスメディアは欧米に比べ、中国報道に強みを持つ。

現在中国で起こっていることについて、日本国内で報じられている内容は多少のタイムラグがあり、媒体によって誇張はあれど、核心を突いた記事も少なくない。ただ、報道されるのはどうしてもニュース性のある話題に限られるため、それらを総合すると中国が危ない、中国の対応はケシカランといった論調が中心になってしまう。

 そこで北京在住の筆者が主要メディアが些末な話として見逃しがちなトピックを中心に、いま中国で起きていることについて私見をお届けする次第である。

 

■報道されない、中国で実際に起きていること

 まず手始めに、筆者自身の身の回りに起きていることから語る。

 自分が住んでいるのは、紅い皇帝が統べる帝都・北京。我が家のある住宅エリアは封鎖措置が取られていて、住人以外は基本立ち入れない。出入りには許可証が必要で、さらに体温検査がある。もし発熱していると検査となり、陽性なら隔離である。

 また、春節の帰省から戻ってきた住民は、症状があろうがなかろうが自宅で14日間観察期間に入る。こんなことが北京市内、というか中国全土の住宅街で行われているのだから恐れ入る…。

 そう聞くとまるで戒厳令下であるように聞こえるかもしれないが、緊張感というのは長く続かないもので、既に管理はグダグダ。保安員がどこかに行っていないこともあるし、適当な人だと体温検査をスルーすることもある。

そうかと思えばやたらと張り切っている人もいて、春節から戻ってきた住民が自宅に入ろうとして押し問答からの怒鳴り合い、なんてことも目にする。

 ただし湖北省は話が別なようで、武漢市に次いで被害が深刻と言われる黄岡市に住む友人からは、勝手に歩き回っていた不届き者を当局が捕らえ、拡声器片手に市中を引き回す動画が送られてきた(残念ながら方言だったので何を言っているかは聞き取れず)。ただし、湖北省で今何が起きているかについては筆者は伝聞でしか知り得ていないので、デマ拡散とならないようこの点は深入りしない。

中国における「新型コロナウイルス阻止戦」の実態 ─感染への恐怖から経済へと移る中国人の関心─
2月初旬頃までは、北京市内とは思えないほど交通量は減っていた。

 北京市内の様子は、確かに人も少なければ車の往来も減っている。しかし1月末から2月初頭のような全市ゴーストタウンといった状態は既に終わり、中心部では通勤の時間帯に渋滞が起きるまでになった。ただし地下鉄などは相変わらず客より保安員の方が多い状態もしばしば見られる。 

 公共交通機関や商店、住宅街に至るまであらゆる場所で体温が計られる現状は、海外の方からすれば異様に感じられるかもしれないが、元々中国は電車に乗るのにも保安検査が必須というお国柄。そこにマスク着用と体温検査が加わっただけで、慣れてしまえば何ということはない。不便があるとすれば、スーパーや薬局、一部の飲食店を除く大半の店が閉まったままということくらいだ。

 中国は2003年のSARS流行の際、ギリギリまで事態を隠し続け、必要な対応をせずに多くの被害を出した。そのためか、この度の新型肺炎においても、初動で明らかに隠蔽があったものの、事態の公開に転じて以降はむしろ他国ではありえないほど過剰な防疫対策を全国的に繰り広げている。

 それが正しいことであったかどうかの検証は収束後に行われるべきだが、現状で見てもはっきりしていることがある。明らかにやりすぎ、もしくは実際には意味のない対策が多々あるということだ。

 例えば商店では客などほとんどいないのに、エレベーターを1日10回くらい消毒する。人の往来が途絶えた繁華街で、辺りが見えなくなるほど大量の消毒ガスが何度も撒かれる。買い物に行けば店のオヤジが現金をトングで受け渡ししている光景を目にすることもあるし、野生動物の取引が禁じられたことに伴い『当店ではカエル料理(中国人は牛蛙=養殖の食用ガエルが大好き)はお出ししません』と張り紙がされたレストランも現れる始末である。

 エキセントリックな対応の最たるものは「封村」、つまり農村の封鎖だろう。これは地方に住んでいる友人からの報告だが、湖北省から遠く離れた田舎であっても、村人たちが自警団を組んで村唯一の出入り口を封鎖する事態が各地で起きている。

 ただし、重機で道路に土を持ったりして本気で村を外部と遮断したものだから、何かあった時に救急車や消防車が通れず大騒ぎ。今となっては作物をどうやって出荷したらいいのかと悩む段階に至っている。

中国における「新型コロナウイルス阻止戦」の実態 ─感染への恐怖から経済へと移る中国人の関心─
右)自警団の方々が外部者の出入りをチェック。左)さまざまな「代用マスク」を使う人々。■死者数など、当局報道の正確性はどうか

 2月23日午前現在、中国での死者は2,445人となっている。

 海外では実際の死者は10倍などと本気で語る人もいるが、現段階においてこれはまずありえない。死者を後で調べたら新型肺炎が原因でした、という事例は少なからず生じるだろうが、国のトップから正確な報告を上げるように指示が出ている現在、地方幹部が数字を過小に伝えるメリットはどこにもなく、そんなことをしたら下手すれば監獄行きとなる。

 むしろ中国国内では「患者狩り」というべき状況が繰り広げられていて、発熱を隠す者は処罰対象。解熱剤を買うのにも身分証が必要となっている。患者の定義が中国と海外では微妙に違うため、今後定義の見直しでいきなり患者数が増えることはあっても、死者10倍は考えられない。

 話を戻せば、これから果たしてどれだけの人が職や家業を失い、露頭に迷うのか…ということに、市井の人々だけでなく政府も既に気づいていて、中国では防疫と経済復興を両立させよという流れに傾いている。

 中国国営メディアは新型肺炎との戦いを「新型コロナウイルスによる肺炎の防止・抑制阻止戦」、経済を正常な軌道に戻すことを「経済防衛戦」と呼ぶ。このふたつの総力戦において人民は奮闘すべし、とりわけ党員は模範となって挺身せよと喧伝される。中国は何事においても戦争に例えて話すのが大好き。つまり、表向きは準戦時体制のような雰囲気になるのだが、人々はそのような勇ましい掛け声に乗せられることなく、もう少し冷静に事態を眺めているのが実際のところであろう。

 

■一連の騒動が生んだ中国の変化・現象

 この度の一件で新たに生じたプラスの現象もある。そのひとつが、中国人の対日イメージの変化だ。

2011年の東日本大震災時、中国ネット界隈では心ない声がしばしば見られた。それにひきかえ、今回の新型肺炎で日本の民間団体や企業が世界に先んじて支援の手を差し伸べたことに対し、中国国内の反応は驚くほど称賛一色に染まった。

 こういう場合、過去であれば「歴史を忘れるな」「奴らの本性は変わらない」といった論調が目に入ってくるのが常態だった。ところが本音が語られる匿名のネット空間において、今回のことに関しては中国の人々は本気で日本の行動に感動し、賛辞を惜しまない。

 もちろん『4月の主席訪日を成功させたい』、『米国との関係が悪化している今は日本とまでモメたくない』という中国側の思惑から、日本の支援が中国メディアで大きく報じられていることも理由としてある。とはいえ、それだけでは中国の人々の日本礼賛を充分に説明できないと感じる。何しろ、日本で感染拡大が始まったことにも、同情のみならず「申し訳ない」なんて言葉が出てくるのだ。

 もっとも、それに対して日本側の中国に対する国民感情はさほど変わっていないのも事実。やがて事態が落ち着いた時、両国の認識ギャップが露呈し、反作用を起こすかもしれないが、少なくとも現状において日本の支援が中国人を勇気づけたことは間違いない。

中国における「新型コロナウイルス阻止戦」の実態 ─感染への恐怖から経済へと移る中国人の関心─
日本同様、品薄状態を解消すべくマスク工場は他の産業に先んじて操業が再開。

 また、感染拡大を防ぐためにさまざまなハイテクの活用が進んだことも注目に値する。封鎖地域への物資配達や治安パトロールにドローンが使われ、感染発生エリアや自分が濃厚接触者であるかどうかを調べるアプリも生まれた。

 当然、その過程には混乱があり、大学教員をしている筆者の友人はいきなり「オンライン授業を開始せよ」と言われ、準備も教材作りも到底間に合わないと発狂寸前になっていた。しかし、基本的には何事も見切り発車、トライ&エラーで進むこの国では、失敗を繰り返しつつも何かが生まれるのである。

 ただし、中国政府は経済見通しが明るいことをアピールしたいがために、危機下におけるハイテクの活用を誇張して報じている。それらを鵜呑みにするのは危険だが、今回の一連の騒動による、思わぬポジティブな副産物であることもまた事実だろう。

 

■騒動鎮静後の中国はどうなるのか…

 では、今後どうなるか。これを確実に言い当てられる人は、おそらく地上に存在しない。それでもあえて予測するならば、大方は元通りになるだろう。

 経済が止まったといっても、産業基盤が破壊されたわけではない。なんだかんだ言っても中国は富める国。他国に比すれば打つ手は充分にある。おそらくは、ここぞとばかりに湯水のごとく経済対策を打つに違いない。それによって産業構造がますます歪むかもしれないが、お得意の泥縄式で、その時になったら考えるのだろう。

 また、今回のことで「国民は政府を批判することに目覚めた」という人もいるが、これも事態が落ち着いていくにつれ統制の締め直しが起こるのではないか。筆者は政治記者ではないので確たることは言えないが、この国において例の人の権力基盤、そして党の力とは絶対的なものである。唯一揺らぐことがあるとすれば、最高権力者の健康不安が生じた時のみであると感じる。

 今回の防疫のスローガンで「生命は泰山(中国が誇る名峰)より重い」というものがあるが、実際には死者のケタが10倍になったとしても、中国の政治システムは微動だにしないのではないだろうか。

 むろんこれらはあくまで予想にすぎない。今この瞬間も普通に社会が回っていること自体不思議なほど巨大で、なおかつ秘密主義を貫く国について、何かを断言するのは極めて困難だ。

 中国で暮らしていると、平時においてものけぞるような驚きがある。ところが長く中国にいる日本人はだんだんと感覚が麻痺してきて、少々のことでは動じなくなる。この国に染まり、身も心も大陸人となってしまうわけだ。

 筆者はまだ中国生活数年目、日本人の感覚を辛うじて保っているつもりである。すっかり現地人化した者の戯言と思わず、ぜひ現地の実情を知るよすがとして、本稿を参考にしていただければ幸いだ。

編集部おすすめ